プリズンマンション
他の理事達も同様だった。丹波屋伝三を除いてだが。
「これでは今の所有者も不利になるかも知れねな、売りたい時に買い手がつかなくなるかもな」
松浦長助には、それを言わなくてはならない事情があった。
それは、穴生徳がマンションに現れる一週間前だ。
「寒おまんなー。よう来てくれはった、おおきに、おおきに」
「組は・・・」
「乗っ取り何かとちゃいますせ、友好的M&Aでんがな、そないたいそうに考えんでもよろし。松浦はん」
関西ナンバーの黒塗りのベンツの後部座席でふんぞり返っていたのは、関西の○○組組長の穴生徳英吉だ。
「それじゃ組はそのままで存続できるのですね」
穴生徳の隣に座っていたのは松浦長助。
松浦の○○組は関東で金看板の代紋を掲げてきた老舗の組だ。
このご時世組員からの上納金も減り組を存続していくのに困っていた。そこに関東進出の足掛かりを探していた穴生徳が、自分達の組織傘下に誘って来たのだ。
「悪いようにはしまへん。わいも西で金看板しょってる男や。黒駒の会長にはわてからあんじょうお願いしまっさかい」
穴生徳が会長と言っているのは関西最大の組織である○○組会長の黒駒勝男の事だ。
「○○組の代紋を看板に付け加えてもらうだけで結構でおます。その代わり融通しまっさかい」
穴生徳はその資金力で関東進出を進めていた。その道筋の東海道で名だたる地元の組を次々に傘下に引き入れていた。東京でも老舗の松浦長助の組が傘下になれば他も簡単に落とせると計算していた。
「この通りでおます、松浦はん」
突然、穴生徳は座席に手をついて松浦長助に頭を下げた。
その密談情報は丹波屋伝三の耳に入っていた。すでに引退しているが業界での影響力はまだ大きい。すぐに情報屋や昔の子分達から話はが入っていた。
「後々皆さんにも関係する事ですよ」
「売れなくなるのは、困ります」
一○一号室の武居安子が松浦の話に乗ってきた。他の何人かも同調し始めた。
「ちょっと待った。これでは部屋の売買を規制はしていない。ただ単にいい人に入居してもらおうと言うだけのこっちゃ」
それまで黙っていた丹波屋伝三が発言した。
「それはどう言う事ですか」
「部屋の売り買いは自由にどうぞや、なあ先生」
丹波屋伝三はそう言ってひとりの住人を見た。
「その通り、この規約の対象者は新規入居者となっている。だから皆さんの売買は自由です。この追加規約はなんの問題もない」
丹波屋伝三に先生と呼ばれたその住人は、長岡忠伍といってその筋の業界で顧問弁護士をしている二一一号室の住人だ。
「先生の言う通り、マンションの環境をよくする、つまりはマンション価値を下げない為の規約や。部屋を売って儲けたい人はご自由にどうぞや。なあ理事長」
「ええっ、丹波屋顧問の言った通りです。副理事長のご指摘には当たらないと思います」
「つまりは、そーぉ言うこっちゃ。よろしか松浦副理事長」
「その件は結構です。あと一つ、この規約の項目は特定の人物を想定していると言う事ですが」
松浦長助は尚も質問を続けて丹波屋に食い下がった。
「どこのお方さんの事やら知りまへんが、どこにも何方の名前も書いてありまへん。なあ先生」
「その通り」
「規約には書かれていないが、住人とトラブルがあった人物と書かれて・・・」
「松浦はんは誰の事言ってはるのか知らんが、これはマンションで余計なトラブルを排除して平和を維持するだけのこっちゃ。なあ先生」
「先人の居住者を優先する民主主義の原則です。余計なトラブルを回避する当然の方法ですな」
「そーぅ言うこっちゃな。理事長はん議事進行や」
「その質問も問題に当たらないと思います。松浦さん」
「ならばこれで決まりでよろしいな」
臨時総会の議案は全て承認された。
三日後、入居希望者の審査会が開催される事となった。
エントランスホールにパイプ椅子が審査側と入居希望者側が相対する形に並べられた審査会場が設置された。
時間通りに穴生徳は現れた。
「ほんまに、ええマンションや」
穴生徳英吉は勝算ありと言いたげに余裕の表情で入居希望者席の椅子に腰をおろした。その横の席には、ちょっと緊張気味で落ち着きのない表情の飯岡助二が座った。
「お待たせしました」
理事長を先頭に、理事の山本長子と寺津間次それに笹川繁男の役員三人が着席した。
副理事長の松浦は審査に加わらず欠席した。
少し遅れて顧問の丹波屋伝三も会場に現れた。
「おや、こりゃ驚きや。おまはん死んではったんとちゃいますのん」
穴生徳の放った言葉は、理事長を退いた丹波屋伝三の登場に驚いたと言うよりも、想定通りだよと皮肉を込めた台詞だった。
「ちょっと昼寝してただけですわ」
組合役員に復帰した事は、すでに松浦長助から伝わっていただろうし、あの穴生徳の事だその対抗策は用意して来ているのだろうと丹波屋伝三も穴生徳の言葉を軽く受け流した。
「そのまんまお昼寝してくれはってもよろしかったのに」
「わてもそうしょっと思っとったんやけど、なんや誰かさんに起こされましたわ」
互いに皮肉を込めた台詞のやり取りに、側にいた理事長の神戸は目の前でバチバチと音をたてて飛び散る火花に身震いした。
この二人の関係は、まだチンピラの駆け出しだった頃から始まった。
関西の老舗の組に同じ時期に二人はこの業界に足を踏み入れた。
穴生徳は東京から家出して西のこの町にやって来たばかりで、親しい者は居なかった。それを見かねた丹波屋は付き合う様になっていった。
歳も同じで、公私ともに友でありライバル。義兄弟の付き合い関係は続いていた。
どちらかが手柄をあげれば一緒に喜び、抜かれた方はそれを取り戻そうと頑張った。
それから一年経つと二人もそれなりに一端のチンピラになっていた。しかし、その頃から少しづつ二人の道が違っていった。
穴生徳は組で上に上がるためならばどんな事でもやると周囲に公言していた。チンピラも人の子、流れ着いた土地で自分独り、不安になる。それはそんな自分を奮い立たせる強がりだったのかも知れない。
それでも二人の関係は変わらず続いた。あの事件が二人の関係を引き裂くまでは。
ある日、丹波屋と穴生徳の二人は組の兄貴分から仕事を言われた。その仕事は、二人の属する組と敵対している組の組員に放たれた鉄砲玉の命令だった。
「伝、やっぱりできねーよ」
「そんな事言ったって今更どないするんや」
穴生徳は自分がやりますと言ったのだが、時間がたつと次第に怖くなり丹波屋に泣きついた。
「そんな事言ったってやっぱりこえーよ」
「徳、おまはんが兄貴にやれますって言うたんやないか」
面倒を見てくれている兄貴分の組員から言われ、しかもいつも何でもやりますと公言していた手前、穴生徳は断ることは出来なかったのだ。
「伝、逃げよう。一緒に逃げてくれ、この町を出よう」
十七歳の少年には、土壇場で恐ろしくなったのは当然だったかも知れない。穴生徳は家出をしてこの町にたまたま流れ着いただけなので、それほどこの町に未練もなく、また逃げ出せばこの怖さを回避出来ると簡単に考えていた。
「今から一時間後に落ち合おう」