十二月九日
結局僕は夜になってから男性のリーダーに連れられてテントに戻った。林の中で闇雲に動き廻り迷ってしまった僕を、日が暮れる直前に見つけてくれたのも彼だった。女性のリーダーから連絡を受けた本部の人達が総出で僕を捜していて、もう少しで警察を呼ぶところだったらしい。僕は林に入ってあの大きな杉の木を必死に探したけれど、どれだけ探しても見つからなかった。
「みんな心配してたけど、ちゃんと帰って来たって連絡しとくから大丈夫だよ」とリーダーが言った。
「綾子は?薬・・・」と僕は聞いた、
「うん、ちょっと具合が悪くなったから近くの病院に行って、お父さんとお母さんが迎えに来るって。そろそろ着く頃じゃないかな。病院で薬飲んだから大丈夫。心配しないで大丈夫だよ」
僕は何も言えなかった。
キャンプの行事はオリエンテーリングが最後だったから、もうキャンプ場に子供の姿は無く大人たちがテントを撤去していた。僕は荷物をまとめ、大人たちのバスに乗せてもらい、真っ暗な湖を後にした。
眠れない夜に、いつも僕の心に浮かぶのはそういう記憶だ。
「いつも?」と誰かが言う。
「大体いつも。眠れない夜とキャンプの記憶はセットになってる」と僕は言う。
「眠れないと、いつもそんな長い話を思い出すの?」
「いや、いま話した事をアタマから終わりまで思い出すわけじゃないけど。なんていうのかな、寝室にでかい記憶の塊が浮かんでて、それを地球儀みたいに回しながらいろんなシーンを見てるんだ。そんな感じ」
「ふうん」
「長くて退屈な話につきあわせて悪かったね」
「面白いのに短い話より退屈で長い話の方が好き」
「そう?」
「そう」
僕が住んでいるマンションの近くには川がある。正確には川ではなく人工的に造られた水路で、ずっと先の方で多摩川に繋がっているらしかった。景観への配慮からかとてもきれいに整備されていて、水路の中には赤茶けた自然の岩を模したコンクリートブロックが不規則に並べられ、両岸には緑化された遊歩道がある。春には桜が咲き、夏は小さい避難所のような日陰をところどころに作り、秋には落葉が自然の持つ本物の濃い色彩を浮かび上がらせ、冬にはしんとした上品な静けさを十分に街に与えていた。一年を通して散歩している年寄りや家族連れをよく見かけたし、僕も遠回りにはなるがその遊歩道を歩いて仕事へ行くことが度々あった。道路から二メートルぐらい低いその遊歩道に降りると見慣れた街の風景は消え、上を歩くより却って空がよく見えたし季節の微妙な移り変わりも感じられるような気がしたからだ。
でもひとつだけこの水路には不思議な、というか不完全なところがあった。水が流れていないのだ。僕がこの街に住むようになって二年ぐらい経つけれど、そのあいだ一度としてこの水路に水が流れているのを見たことがなかった。治水のために造られたものだから常に水があるわけではないのだろうが、雨の多い梅雨時でも、去年の大きな台風のときにも、ゲリラ豪雨が降った直後でも、この水路は水たまりを作ることもなくただ地上の道と同じように雨に洗われ濡れるだけだった。
流れるはずだった水はどこに行くんだろう。流れる水が無いこの水路は、なぜここに在るんだろう。
その日も朝から雨が降っていて、一度も止まずに夜になった。寒くはなかったし、多少濡れてももう帰るだけだったのでそのまま歩き出す。ヘッドホンをつけ、それが濡れないようにウィンドブレーカーのフードをかぶる。ヘッドホンからの音楽で街の音をシャットアウトしてフードをかぶっていると、世界から隠れて歩く透明人間になったょうな気がする。だけど実際は逆だ。当然、すれ違う人からは普通に僕が見える。僕は音楽とフードのせいで視界や音が遮られ周りがよく見えない。自分は世界から隠れたつもりでも、本当は世界にコミットできないのは僕の方で、自分から接続を切っても向こうからは丸見えなのだ。そんな稚拙な思い違いを弄びながら夜道を歩くのは楽しかった。
ヘッドホンから『ゴールデン・ヘアー』が流れてきたときに水路を通りかかる。雨はまだ降っているけれど、今日も水路には水は流れていない。ただ濡れて、岩に似せたコンクリートブロックが街灯を反射して湿った光を帯びている。もう十時過ぎだ。遊歩道を歩いている人もいない。暗く静かな雨の中で流れるものを持たない水路は、ところどころを淡く光らせながらただ長く深い溝として街のほんの少し下に横たわっていた。それは滑らかに湿っているが血が流れていくことのない血管を思わせた。
僕は音楽を止め、遊歩道に続く階段を降り、そのまま水路の中へ入った。ヘッドホンを外して耳を澄ます。聞こえるのは時折風が木を揺らす音だけだ。細かく降る雨はなんの音も立てていない。水路は濡れている。コンクリートブロックはなにか大きな動物がうずくまっているように見える。彼らは雨の中で濡れた皮膚を光らせながら眠っているのかもしれないし、もう死んでしまっているのかもしれない。多分後者だろう。彼らは水を求めていたのに、その願いを叶えるのに十分な水は流れなかった。僕はコンクリートブロックのひとつに触れてみた。やはり彼は、固く死んでいた。上流に向かって歩きながらいくつかのコンクリートブロックに触れた。一つ残らず死んでいた。でも彼らが生きていたことを想像するのは難しくなかった。
僕は立ち止まり、しばらく下流の方向を見つめ、それから振り返って長い間上流の方向を見つめた。今この水路に水が流れてきてほしいと願った。
その水は最初とても穏やかに流れ、僕は水たまりがあるとしか思わない。でもいつの間にかその水たまりは水路全体に広がり、水嵩もくるぶしの辺りまで上がってくる。僕は川岸の木から葉をちぎり、水面に落とす。葉が下流に向かってゆらゆらと動いていくのを見て、水が流れていることを知る。水はゆっくりと、確実に増えていく。
僕はじっとそこに立ったまま、水がくるぶしから脛、膝まで上がってくるのを待つ。冷たいとは思わない。水が増えるにつれ流れも勢いを増している。もう少しだ、と僕は思う。
このままこうして待っていればいい。水は僕の願いを裏切ることなく増え続ける。膝から腿、そして腰まで、今ではもうはっきりと生暖かく感じる水がゆっくり上がってくる。流れは一定の速さを超えることはなく緩やかだが、もう決して止まることはないだろう力強さを保ちながら水を運んでいる。
水は僕の心臓辺りまで達する。コンクリートブロックも、その大きな体のほとんどが流れに包まれている。
僕は静かに、背中から水に体を横たえる。
この流れはきっと水路を本来あるべき姿に変え、コンクリートブロックの死骸を生き返らせ、僕をどこかへ運び去るだろう。
自分が血管のような水路をゆっくり流れ、必要な時間をかけて多摩川や東京湾も通り過ぎ、太平洋のどこかを漂っているところを想像して、僕は幸せな気持ちになった。