小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

十二月九日

INDEX|8ページ/10ページ|

次のページ前のページ
 

 時間がないのは分かっていたが、僕は悔しくてもう一度リスを見つけたかった。その杉の木の別の枝や周りの木々を闇雲に探したがリスはどこにもいなかった。林道からリーダーが僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。みんなもう集まっているんだろう。でも諦めきれなかった。もう少しだけ、とまた別の木を見上げたとき二度目の僕を呼ぶ声が聞こえた。僕はため息をつき、リュックの所に戻って中身を大急ぎで詰め直し、走って林を抜け林道に出てみんなと合流した。
 「遭難したかと思ったぜ。リスいた?」と男子の一人から聞かれたが、僕は「ううん、いなかった」と答えた。
 それから二つのチェックポイントを通過したあと、昼食になった。林道の途中にある開けた場所で、倒木がたくさん持ち込まれてハイカーが休憩できるベンチ代わりになっていた。あらかじめそこに用意されていた弁当とお茶が配られ、僕らは自然に男子と女子に分かれて弁当を食べた。話題はさっきのリスや、多分他にも猪やなんかの動物がいるはずだとか、誰がどこのチェックポイントのヒントを解いたとか、そんな感じだった。
 みんな寛いで、元気で、肝試しのあとから大人しかった焔君も笑っていた。ちょっと離れたところに固まっている女子たちとも他愛ない会話が交わされ、なんだかキャンプ最終日にしてやっとみんなが打ち解けたような、明るい雰囲気が僕たちを包んでいた。
 大体みんな弁当を食べ終わった頃、僕はリーダーに名前を呼ばれた。
 「綾子がお薬飲むからさ―、悪いけどリュック持って来てあげて」とみんなの前で言われ、僕は顔が赤くなるのが分かった。案の定男子からは「綾子の荷物持ってあげてんの?
まじ―?」とか、女子からは「やっさしい、
あたしのも持ってほしい」だの嬌声が上がった。やっぱり困っている綾子と目が合い、お互いにすぐ目を逸らした。本当に恥ずかしかったが、そうだ、薬だと思ってリュックを開けた。でも、そこに綾子のリュックは無かった。
 えっ、と思って荷物をかき回して奥まで見ても綾子のリュックは入っていない。小さいリュックといっても入っていればすぐに分かる。どう見ても無いのだ。さっきのカメラみたいにサイドのポケットに入っているわけもない。そこで気がついた。さっきのリスを見つけた場所だ。あそこに置いてきたんだ。
 どうしよう。綾子のリュックには薬が入ってる。きっとすごく困るはずだ。僕のせいだ。どうしよう。戻ってリュックを取ってくるしかない。僕は自分のリュックをしょって、囃し立てるみんなの声を無視してリーダーのところへ行き、事情を話した。綾子本人には、怖くてとても言えなかった。僕の話を聞いたリーダーは、「え―!」と言って心底困った顔をして綾子を振り返った。それを見て僕は自分で思っていたよりもっと重大な事態なんだということがわかった。僕とリーダーが話す様子からただごとじゃない空気を感じたみんなは、もう黙ってこっちを見ている。
 「次のチェックポイントに本部の人がいるから、相談してみましょう。綾子、テントにも薬って置いてある?」とリーダーが聞くと、綾子は泣きそうな顔で首を振った。リュックにぜんぶ入っているのだ。
 今すぐ僕が取りに行くしかない。林道から奥に入ったあの場所は、僕しかわからない。
 「取りに行ってきます。追いつくから先に行っててください」と言って、僕は元来た道を走り出した。後ろからリーダーが何か言う声が聞こえたが、かまわず走った。リーダーからも、みんなからも、何よりも綾子から逃げ出したくて走った。こんな失敗をしたのに綾子といっしょにいることなんて絶対に無理だった。一秒でも早く綾子に薬を返して、謝りたかった。
 リスを見つけた場所からここまではチェックポイントを二つ通った。来た道を逆に行けば絶対に分かるはずだ。僕は走った。それまで僕を優しく受け入れてくれていた木々や鳥の声や白く光る雲が、今は僕を冷たく責め立てているような気がした。僕は僕の犯した罪のせいで、全てのあるべき流れから逆行して走り続けるしかなかった。
 何分走ったのか分からないけれど、一つ目のチェックポイントを通り過ぎた。あと一つ行って、もう少し走ればあの場所に着く。リュックが背中で動くからうまく走れない。だんだん膝も上がらなくなってくる。でも歩く訳にはいかない。僕は走り続ける。
 やっと二つ目のチェックポイントに辿り着く。足はもつれ、汗が目に入る。肺と心臓が焼け付きそうに熱い。止まりたくないのに足が止まる。膝に手をついて体を折り曲げてしまう。息を整えたいのに僕の意志とは関係なく、肺が激しく空気を求めて荒々しい呼吸を続けさせる。なんとか顔を上げて、綾子の薬へと続く道を見据える。もっと先へ行かなければならない。今足を踏み出さなければもう一歩も走れなくなる。僕はまた走り出す。もうすぐだ。もうそんなに遠くはないはずだ。 
 僕は注意深く周りの景色を見ながらスピードを落として走る。休憩でジュースを飲んだ場所から林の奥へ少し入ったところ、大きな杉の木の下に綾子のリュックはあるはずだ。もう近くまで来ているという安心感が僕を鼓舞し、体力も戻ってきていた。これなら帰りも走って戻れる。薬を届けたら綾子に何て言えばいいんだろう?分からない。とにかく薬を見つけて、急いで帰るんだ。僕はまたスピードを上げて、あの場所まで走った。
 でも何かがおかしかった。二つ目のチェックポイントを過ぎてからもうかなり戻ったはずなのに、あの場所は現れない。もう少し先だったかもしれない。僕はだんだん不安になってくるがそのまま先へ進む。そこに着けば分かるはずだ。でも、いくら走ってもあの場所が分からない。そのことを認めるのが怖かったが、ある瞬間に僕は理解し、立ち止まり、道の先を見る。振り返って今来た道を見る。みんなでジュースを飲んだあの場所が、林の奥に入ると大きな杉の木があるあの場所が、分からなくなっていた。一度通り過ぎただけで目印もない林道は、見渡してもずっと同じような風景が続いている。あの場所はどこなの?僕の呼吸は速くなり目が涙で滲んでくる。止めようと思っても、涙がどんどん溢れてくる。泣きながら誰もいない静かな林道に立ち尽くして、僕はたまらなく寂しくて、悲しかった。どうしたらいいんだろう?薬がないのにみんなのところには戻れない。綾子は僕を責めるだろう。
 僕は逃げ出したかった。このまま家へ帰りたかった。このまま帰ってもリーダーやみんなにおかしく思われないための言い訳を真剣に考えた。でも当然、このまま帰れるわけがないしそれを正当化する言い訳があるはずもなかった。僕はただ途方に暮れて、道に座り込んで泣いた。空も、森も、風も、湖も、誰も僕を助けてくれなかった。
 そのとき綾子の顔が頭に浮かんだのだと思う。真っ白な顔に髪の毛が汗でくっついていた。少しだけ笑っていた。
 僕は大きく息をしてゆっくり立ち上がり、Tシャツで涙を拭い、林の中へ入った。
作品名:十二月九日 作家名:フガジ