十二月九日
駅前のロータリーを一周して、バスが乗り場に入ってくる。夜の帰宅ラッシュにはまだ時間があるからバスを待つ列は短くて、乗りこんだ客は十人ほどしかいない。ほとんどは老人で三十歳以下にみえるのは僕と、前から三番目の一人掛けの席に座ったスーツの男性ぐらいだ。全員が乗ってから一分ほどして発車したバスはゆっくりロータリーを出て右折し、大通りを抜けて郊外へ続く長い上り坂を進んでいく。
乗っている全員が一人で連れはなく、だから会話している者もいない。エンジン音と次のバス停を告げるテープのアナウンスだけが車内に響き、それが確固とした日常を証明しているみたいでとても心地いい。
都心から離れた住宅地によくあるように、駅を離れ数分走っただけで緑が急激に増えていく。ここが東京だということが不思議に感じる。坂を上りきると左手には深い竹林が現れ、右手には車道を一段下がった土地に畑が広がり田園的な風景が更に強調されていく。
冬の夕方。まだ少し明るいけれど、日差しにはもう暖かみは欠片もない。そんな時間だ。
僕は、バスの一番うしろ、左側の窓際に座っている。バスに乗る時は常にそこに座る。どこの街でも普通に走っている路線バスの、一番うしろの左側の席だ。僕はその場所が最も好きだった。バスの中で最も好きな場所なのではなく、自分が生きているこの世界の中で最も好きな場所だった。大きなバスの隅っこに座り、街に張り巡らされた血管のような道を運ばれていく。その感覚に浸ると心の底から安心することができたからだ。
できることならこうしてバスに乗ったまま一日中過ごしたいけれど、そういうわけにもいかない。だからほとんど毎日、朝夕のラッシュの時間帯を避けて駅前からバスに乗る。行き先はどこでもいい。できるだけ長い路線に乗り、終点で降りてまたどこかへ向かうバスに乗る。暗くなって、あまり景色がみえなくなってきたらどこかの駅で降りる。そして電車に乗って家に帰る。
バスの中では何も起こらない。電車の中でも、代々木公園でも、静かな水路でも、何も起こっていない。湖でも、僕の部屋でも、何も起こらない。ただ彼は目的地を持たないまま歩き、彼女は濡れた服を着替え、涙を流し、猫は生きている。カラスは真っ黒な目で世界を見つめている。そして僕は、何もわからないまま眠り、そして目覚める。
終