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十二月九日

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 このキャンプの記憶のほとんどは、湖と森と、そして焔君と綾子についてのものだ。
 キャンプの一日目は自己紹介と簡単なゲーム、自分たちのテント(十人が寝る大きなテントなので設営はすでに誰か大人がやってくれていた)の場所の確認、それぞれの寝床を決めることなどで過ぎて行った。各自に簡易ベッドと寝袋が用意されていて、テレビで観た軍隊みたいだ、とわくわくしたのを憶えている。
 湖の夜は真夏とは思えないほど寒くて、テントの周りにいくつか付けられたカンテラの光が途切れるところからは本当の暗闇だった。確かそこに生えていたはずの木も、昼間の光の中で眩しいぐらいに輝いていた葉の緑も、陽が沈むのと同時にどこかへかき消えてしまった。広く、新鮮な刺激に彩られた昼間の湖やキャンプ場は夜が深まるにつれ徐々に凝縮され、遂にはカンテラの仄かな灯りに照らされたテントの周りだけが僕の存在を許すように残った。地球上で僕のいる半径数メートル以外はすべて暗闇に沈んだみたいだった。
 寝袋の中で、昼と夜の世界のギャップとそれに繋がるいろんなイメージが興奮した頭をずっと離れず、最初の晩はほとんど眠ることができなかった。五時ぐらいになって夜が開けてきたのに気付いてそっとテントの外に出てみると、薄明かりの中で青い空気が一面に
漂い、暗闇から解放された木々や水や虫や鳥が静かに動き出そうとしている気配が手に取るように解った。そのまま静かに歩いて湖まで行き、青い光の中で穏やかに岸に寄せている水に触れた。水は冷たかったがしばらく手を浸していると冷たさは消え、自分が空気と水に同化していくような感覚に包まれた。これ以上陽が昇らず、世界がずっとこのままであればいいのにと思った。
 僕と焔君はキャンプの最初から最後まで、お互いにずっと馴染めなかった。リーダーのアフロヘアーの大学生はそれを気にしていて、食事の時など機をみては僕と焔君を同じ話の中に引き入れてコミュニケーションをとらせようとしていた。でも彼の努力はなかなか実らず、僕が話せば焔君はあからさまに無視するか別の子と違う話を始めるし、僕も僕で同じような行動をとるしかなかった。僕は最初に会ったときから焔君が怖くて嫌いだったし、焔君も僕を、怖くはないがどうしようもなく嫌いなタイプだと思っていた。子供の世界では珍しくない。一週間という短い時間の中で子供同士が歩み寄る努力をするはずもなく、僕はできるだけ焔君との接触を避け、焔君は僕を無視するか時々蔑むような視線を投げてくるといった状態が続いていた。
 今思うと肝試しで僕と焔君がペアになったのはあのリーダーの手心だったのかもしれない。ハッピーエンドにはならなかったが、二十年経った今でも僕が焔君のことを憶えているということは、リーダーの気遣いが無意味なものではなかったと言えるのかもしれない。
 キャンプの二日目から、僕たちは自分たちだけで夕飯を作った。リーダーは基本的に手を出さない。朝食と昼食は主催者が用意した弁当が配られる。子供たちに三食自炊させたらそれだけで一日終わってしまうという配慮からだったのだろうが、それは全く正解だったと思う。献立はカレーやバーベキューといった簡単な料理だったが、家事なんかろくにしたこともない都会の子供たちがスムーズなチームワークを発揮できるはずもなく、夕飯の支度は毎回なかなかの混乱になった。
 炊事は毎回、各自の役割をみんなで決めるのだが僕の役目は基本的に後片付け、食器洗い、ゴミ捨てだった。進んで人の嫌がる部分を引き受けたのではなく、焔君にそう決められたからだ。最初の自炊の日、僕ともう一人の男子が火熾し係になったのだがなかなか巧くいかず、リーダーに手伝ってもらいながら四苦八苦してなんとか火を熾したせいで夕飯が予定より2時間遅れたことが原因だ。もう一人の男子はお咎めなしだったが、寝る前に僕だけ焔君にテントの裏に呼び出され、「お前やっぱり何にもできねえな。明日っから片付けだけやるって言えよ。分かったな」と言われ、僕は「うん、分かった」と答えた。次の日から言われた通りに片付けに立候補した。自炊初日の失態は僕のせい、ということでグループの総意は決定されたらしく、誰も異論はなかった。
 それから、こんなこともあった。三日目の夜、歯を磨いてテントに戻ると僕のベッドと荷物がみんなと離されて入口ギリギリの所に置かれていた。戸惑っている僕に焔君が言った。「お前、今日から見張りだからな。おれらは夜中にトランプするからリーダーが見廻りに来たらすぐ教えろよ」他のみんなはただニヤニヤして、僕を見ていた。僕は「うん、分かった」と言った。
 背中にみんなの押し殺した笑い声や歓声を聞きながら、見廻りの気配がしたら「来たよ」と伝えた。みんなが眠るまで僕も起きて見張りを続けた。朝起きたら、みんなの邪魔にならないようにベッドを動かして場所を空けた。
 このようにして、僕と焔君の立場、グループ内での僕の存在が固定された。悲しかったが、焔君がいないところでは他の子たちはあからさまに僕を避けたりしなかったし、気を紛らわす事柄はたくさんあったから我慢することができた。
 一週間のキャンプの間、毎日なにかのレクリエーションが行われたはずだがやはりほとんど憶えていない。記憶に残っているのは五日目に行われた肝試しと、最終日のオリエンテーリングだけだ。
 肝試しは全員が一度に参加すると人数が多すぎるため、グループ毎に日を分けて行われた。僕たちのグループは四番目だった。二人一組でキャンプ場の入り口からスタートして近くにある小さい山神社の境内を通って裏山に入り、緩い斜面をしばらく登った所にある大きな楡の木の根元に置かれたお札を取って帰ってくるというもので、小学生の足で往復四十分ほどのコースだった。昼間なら怖くも何ともないが、簡単な手書きの地図と懐中電灯ひとつを頼りに知らない真っ暗な山道を歩くことがどういうことなのか、都会に育った僕たちにはわかっていなかった。
 僕は焔君とペアになった。スタート順は最後から二番目だ。肝試しよりも焔君と二人きりで暗闇を歩くのが本当に嫌で、仮病を使ってなんとか回避できないかと悩んだが上手い言い訳を思いつくことができなかった。焔君も僕とペアになるのは嫌だったはずなのに、なぜか不機嫌そうに黙ったままだった。そうしているうちに次は僕と焔君がスタートする番になった。
 「おれが地図見てコース確認するから、お前はちゃんと道を照らしとけよ」と焔君は言った。
 「うん、わかった」と僕は言った。それ以外は何も話さず、前のペアがスタートしてから十分後に僕と焔君は暗闇に向けて歩き出した。
 キャンプ場の入り口から山神社の入口に入るまでは、ほぼまっすぐで平坦な細い林道だった。一度昼間に歩いた時は、三人横に並んだらいっぱいになる道幅と、今にも鳥や狸なんかが木々の間からひょいと顔を見せそうな
作品名:十二月九日 作家名:フガジ