20世紀に思う
その後第二次大戦の影響でネパールは鎖国、戦後の昭和24(1949)年開国されサガルマータへの挑戦は再開されました。毎年最高地点は少しずつ更新されるも頂上までもう少しのところで天候や装備品に恵まれない等が原因で泣く泣く引き返して来ました。
そして当初の計画から30年が経った昭和28(1953)年5月29日は人類はとうとう初めてこの世界の頂きにたどり着きました。
到達したのはイギリス隊を中心に結成されたチームのニュージーランドの冒険家エドモンド・ヒラリー卿(Sir Edmund P. Hillary 1919~2008)とチベットのシェルパ、テンジン・ノルゲイ(Tenzing Norgay 1914~1986)という二人の男でした。テンジンは7度目の挑戦でした。当時のイギリスは現在の女王であるエリザベス2世の戴冠(同年6月2日)と重なり、彼ら登山隊の帰還に大いに沸いたようです。
ヒラリーはその後イギリス国王からサー(卿)の称号を与えられ、ニュージーランドに戻り、英雄として終生まつられ、紙幣の肖像にもなり死後は国葬が行われました。
一方のテンジンも地元ネパールやインドで熱狂的にその栄誉を讃えられ、その後も後進のシェルパの指導に当たったそうです。
著者が心を打たれたのは、この人類の歴史的快挙に名を残したのはヒラリー卿だけでなくテンジンも同列に名を連ねていることです。シェルパというのは山の案内人で、各国から来た登山隊のサポートをするのが任務です。登頂に成功した前年テンジンはイギリスではなくスイス隊と同行して頂点を目指していました。いわゆる雇われた身であったのです。
これが戦前の帝国主義時代であれば、テンジンの名前は歴史に名を残すこともなかったかもしれないのです。
ヒラリー卿もテンジンも
「どちらが最初に頂点の一歩を踏んだのか」
という質問に対し、最後まで
「同時だった」
という答えを貫き続けたということに二人の関係の強さだけでなく、世界は平和な方向へ進んでいるのだなと思ったのは著者の勝手な見解でしょうか。
未知の世界へ挑戦をするきっかけは、先述の通り政治的な理由が強くあったと思います。しかしながら、理由はどうであれそれが人類の発展や発見につながるのであればそれでも構わないと筆者は思います。もちろん、政情が不安定であれば登山どころではありませんから。
* * *
近年では地球の温暖化の影響で雪崩が起こりやすくなったり、彼らが登った頃の環境とは随分変わっているようですが、そこはいかなる生物の生存を許さない極限の環境であることに変わりません。世界が平和であるからこうして極限の世界に挑戦できるのだと思いますし、著者もできるのであれば挑戦してみたいとさえ思います。
その先にあるものは利権や争いや名誉など人の煩悩やしがらみを超えた、本当の意味での「神の領域」であると考えれば人が危険を冒してでも求めることの意味が分かるような気がします。
最後に本著を書くに当たって知ったことですが、ヒラリー卿の息子とテンジンの孫は2002年に人類初登頂50周年を記念して一緒に登頂したそうです。こういった人と人とのつながりはとても素敵な物語だと思いませんか?。著者はこのような平和な世の中が続いてほしいと願っています。