20世紀に思う
まずは冥王星という名称。18世紀に発見された天王星、続いて19世紀に発見された海王星。自分が思うに、発見され命名される時に共通する事は「人知を超えた遠いもの、遥かなるもの」と考えればその名前にも合点がいく。遠い天の向こうにあるから天王星。続いて、悠かに広がる宇宙の海を見立てて海王星。ではその次に発見された冥王星はどうか?天空よりも、大海原よりも、遠いところにあるものを「冥界」つまりは「死の世界」であるとした。太陽系の最果てをそう命名したそのセンスは素晴らしい。科学の世界を人文学的な表現で見事に美しい響きに変えている。これは新幹線が「こだま」、「ひかり」に続いて登場した「のぞみ」のようにたった三文字で「ひかり」よりも速いものを表現したセンスに似た浪漫を感じる。
次に太陽系の最果てであること。太陽系の外に出るには冥王星を、正しく言えばその軌道を越えることになる。人間がエベレストや南極点を目指す心理に似ている。これが最果てでなく、外側にさらに惑星があったら印象も違う。
太陽系を発つ際に最後にこの冥王星に立ち寄るのというのが、映画やアニメにも見られる。死の世界を越えて行く、内側(太陽系)から見てここが最後の point of no returnである。現世とは違う世界との分かれ目を象徴する、これも観念的に美しい。
最後に、謎が多い天体であること。冒頭の説明の通り、この星は時には海王星よりも太陽に近くなることがある。そのうえ、他の8つの惑星は並べるとほぼ平面を回っているのに対し、大きく傾いている。さらに月よりも小さいため、今世紀になるまであまりに謎が多い天体であったのだ。惑星探査機が未だ接近したことのない唯一の惑星であり、他の惑星とは一線を隔する異端児である。それ故多くの人の興味を惹き付けて離さないのだと思う。
そんな太陽系惑星の変わり者はその実態を調査すべく2006年初頭、惑星探査機「ニューホライズンズ」が「まだ見ぬ最後の惑星」に向けて打ち上げられた。これには発見者の功績を称えてトンボーの遺灰が載せられていて今もなお航行中で、接近するのは2015年だそうだ。個人的にとても楽しみにしている。