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ベイクド・ワールド (下)

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「いえいえ。構いません。ありがとうございます」と僕は言った。
「そのバンドに興味があるんですか?」
「単純に変わった名前だなと思って。単純な興味ですよ」と僕は言った。
「確かに不思議な名前ですよね。直訳すると『焼かれた世界』かな。どういう意味なんでしょうね」店員はあごに手をあて、上を向きながら考える姿勢をとった。僕はテーブルに置かれたコーヒーを啜った。それからハムエッグをナイフで切り分けた。店員はまるで閃いたかのように拳を手のひらに叩きつけた。店員は嬉々とした表情をしていた。
「でも、よくよく考えると有名なバンドって、名前の由来が不明だったり、意味をもたないものだったりしますよね。もしかしたら、THE BAKED WORLDは将来有名なバンドになるかもしれません!」と店員は言った。期待外れの返答に僕は少しがっかりしたが、店員の心からの笑顔を見るとこちらも自然と口元がほころんでしまった。
「そうですね」と僕は微笑みながら言った。これはつくり笑いなんかではなかった。
「話をしていたら、そのバンドになんだか興味が出てきちゃいました。今度、見に行ってみようかな」と店員は言った。
 僕は飾り気がなく素直な店員に好印象を抱いた。僕は切り分けたハムエッグを一口食べた。卵の焼き加減はちょうどよく、中からとろけた黄身がハムにかかった。黄身のかかったハムを頬張ると、まろやかさと香ばしさが口のなかに広がった。
「ハムエッグ、とてもおいしいです」と僕は店員に言った。
 また、あごに手を当てて何やらを考えていた店員はこちらを向いて、笑みを浮かべた。「ありがとうございます」
 僕が店員と会話をしていると、キッチンの方から女性店員と同い年くらいの男が現れ、カウンター近くのレジをなにやら操作していた。きっと彼女の主人だろう。彼の存在に気がついた女性店員は僕に言った。「主人の方がバンドに詳しいから、もしかしたら何か知っているかもしれないです。訊いてみますよ」彼女はレジを操作している主人のところに足早に向かった。彼女が主人に話をすると、二人はすぐに僕の席に向かってきた。主人もバンドについて聞かれることが嬉しいのだろう。笑みを浮かべていた。
「THE BAKED WORLDについて知りたいのかい?」と主人は僕に訊いた。
「あ、はい。何かご存知なんですか?」
「僕にとってはTHE BAKED WORLDは懐かしいバンドなんだ。彼らは4年ほど前まではSunashでよくバンド活動をしていた。僕と妻は2年前に結婚して、妻がこちらに嫁いできたから知らなかったのは、無理はない」主人は女性店員に顔を向けた。女性店員は頷きながら、合点のいった顔をした。
「しかしね、THE BAKED WORLDはある時から急に姿を見せなくなってしまってね。僕も非常にさびしく感じていたところだ。バンドメンバーとは何回か一緒に飲んだこともある。ボーカル&ギターは藤峰和央君というんだけれど、彼はとても風変わりな青年でね、とてもおもしろかった」主人は過去のことを思い出して、くすりと笑った。
 僕は主人がTHE BAKED WORLDの存在を知っていることに胸を躍らせた。しかし、話を聞くかぎり、このバンドは四年前から存在している。きっと、『ベイクド・ワールド』との関係性はない可能性が高いだろう。しかし、僕は二人との会話のなかでこのバンドに対して単純に興味をもった。
「どうして、急にいなくなっちゃったのかは知ってるの?」と女性店員が主人に訊ねた。
「いや、それがわからないんだ。まるで煙のようにいなくなってしまったからね。人気のあったバンドだったけれど、ライブハウス側も連絡を受けていなかったらしい。ファンはひどく悲しんだと思うよ。中学生や高校生のファンが多くてね。歌詞は少年や少女たちの胸に直接的に響くようなものだったから」主人は感傷に浸った表情をした。
「それで、最近なの? また、Sunashに現れたのは?」
「そうなんだ。Sunashのライブチラシに彼らのバンド名を久々に見つけたときはすごく驚いたよ。でも、まだ彼らのライブには足を運べてはいないけれどね。確か、次のライブが今週の金曜の夕方、つまり明後日にあったはずだ。それには行こうと思う」
「とても楽しみだわ。チケット買わないと」と女性店員は言った。「でも、彼らはあなたのことをちゃんと覚えているのかしら?」
「覚えているはずさ」と主人は声を荒げた。「彼らとは酒を酌み交わした仲だよ」と主人は主張した。
「でも、いなくなっちゃう前に何も連絡がなかったんでしょう?」
「……まあ、それはそうだけど。でも、きっとなんか理由があったんだよ。きっとそうだ」主人はしどろもどろになりながら答えた。「まあ、来週になればわかることさ」
 僕も、今週の金曜日のTHE BAKED WORLDのライブに行こうかと、思案した。いくら可能性は低いにせよ、『ベイクド・ワールド』との奇妙な一致から、それらの関係の可能性を捨て去ることはできなかった。
 ふいに男が咳払いをする声が聞こえた。声の主は店内にいた男の客だ。勘定をしたいのだろう。主人と女性店員もそれに気づき、「すみません」と口を揃えて言った。「お勘定はこちらへどうぞ」と女性店員が初老の男をレジに招いた。レジの支払いを終えると、男はそそくさと店を後にした。
 僕は話に夢中になってハムエッグを一口しか食べていなかったことに気がついた。冷めてしまったコーヒーを片手に、僕は残りのハムエッグを食べ始めた。主人と女性店員はレジの近くでバンドの話で盛り上がっていた。冷めたコーヒーはひどい味になってしまっていたが、ハムエッグは冷めても意外とおいしかった。僕は冷めたハムエッグを平らげ、残りのコーヒーをひと息に飲んでしまうと、店を出ることにした。レジに向かい、「お勘定をお願いします」と言った。女性店員は「どうぞ」と言って、にっこりと笑った。会計を終わらせると、女性店員が声をかけてきた。「今日はありがとね。いろいろとお話しできて楽しかったわ」と言った。
「僕の方こそ。ご主人からTHE BAKED WORLDについて、くわしくお話が聞けてよかったです」と言った。主人が僕の方を向いて照れ笑いをした。「君もTHE BAKED WORLDのライブには来るのかい?」と主人は言った。
「はい。行こうと思います。今日の話でとても興味をもったので」
「そうか。じゃあライブハウスで会うかもしれないね。楽しみにしているよ」と主人は言った。
「こちらこそ」
「なんだか。ずっと『君』って呼ぶのもなんだか堅苦しい気がしてきたよ。よかったら、名前を教えてもらってもかまわない?」と主人は言った。
「深瀬亜季です」
「亜季君だね。僕は野崎紘一。妻は陽子だ。よろしくね」
「紘一さんと陽子さんですね。よろしくお願いします」僕は軽く頭を下げた。
 そして、僕は店を後にした。店を出ると、街は淡いオレンジ色に染められていた。時刻は十八時を回ろうとしていた。自宅に帰ったあと、THE BAKED WORLDが出演する金曜のライブ・チケットをSunashの公式ホームページ上で二名分、購入した。
 その二名とは、つまり、僕と沙希のことだ。