光を残して
「おまえが泣いてンの見るの、子どものとき以来だなー」
「泣いてない。涙こぼれただけだろ・・・生理現象だ・・・」
そういうところが素直じゃないんだよ、とまた笑われる。夜景に視線を戻して、瑞は穏やかな声で続けた。
「伊吹もおまえも・・・穂積もみんなだ。俺のために泣いてくれるんだな。惜しんでくれる」
「・・・悔しいんだよ、みんな。おまえが苦しくて悲しくてどうしようもなかったときに、そばにいて何もできなかったことが・・・」
過ぎ去った遠い遠い昔。自分がそばにいれば、あんなふうに苦しませなかったのに。そんな思いがあるのだ。
「俺、幸せ者だな」
儚い。満足そうに呟かれた言葉は、己の人生に大いなる意味を見出した、死の直前の人間の言葉のようで、やはり別れを想起させ、紫暮の胸が痛む。夜の風に溶けてしまいそうな横顔が、これまで見たどんな瑞よりも穏やかなことに紫暮は気づく。
穂積に出会い。
伊吹に出会い。
いま、大きな変革の中にあり、終わりを見据える瞳。
長い長い魂の旅路の果てを前に、おそらくいま、これまでで一番穏やかな思いで、幸福をかみ締めているのだと思う。
「・・・忘れてなんか、やらんぞ」
紫暮は吐き捨てるようにそう言った。
「おまえを忘れてやるくらいなら・・・この記憶を持ったまま、生涯苦しみぬいたほうが、ましだ」
時が流れて別れは来る。それでも。この横顔を覚えていたい。ずっと。苦悩した記憶を。心を交わした温かさを。
「期待しとくよ」
そう言って、瑞は再び夜景に視線をやった。
「――アリガト、」
聞きなれたこの軽薄な声を、懐かしいと思う日が来るのだ。取り返したいと思う日が。
目の前に迫るその日を前に、紫暮は己の心を律することなどもうできない。
他者と他者との関係は、理屈や強さで図ることなど決して出来ないし、そこに生じる感情に蓋をすることも不可能なのだ。
風に揺れるミルクティー色の髪を見つめながら、紫暮は瞑目する。祈るように。
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