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あなたの命を私にください 第一話

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 二人は、イタリアンレストランの店内で、テーブル越しに向かい合っていた。レストランの中は、若い男女で賑わっている。エプロン姿の若いウエイター達が、忙しそうに注文をとったり、料理を運んだりしていた。
「でも、なんだかアタシの方が悪くなっちゃったみたい。この間のお返しにごちそうになるなんて。それも、あのファミレスよりこっちの方が高いし」
 悪いという言葉とは裏腹に、カナコは笑顔でそう言った。
「全然。それより、こっちこそ無理に誘っちゃったかな、なんて思ってたんだけど」
「ううん。アタシの方も全然。最近は外でゴハン食べるなんてあまりなかったから」
 若い男のウエイターが、きれいに空になった皿を下げていった。テーブルの上には、支払いの伝票が裏返しに置いてあるだけだ。カナコはそれ以上何も言わず、窓の外を眺めていた。カナコの右目の端で、タナベが何かを言いたそうにしている。自分の頭に左手を持っていったと思えばすぐ下ろし、店内を見回して、さっき皿を下げていったウエイターが所在無げに立っているのを見たりしていた。
 やがて、黙ったまま落ち着きのないそぶりをしていたタナベが、唐突に声を発した。
「カナコちゃんはさ、映画とか見る?」
 窓の外の街路樹の黒い幹に焦点を合わせていたカナコは、その言葉で現実に引き戻されたようにタナベの方を見た。
「えっ、映画?好きですよ、DVDを借りてみる位だけど」
 その言葉にやや安堵した様子で、タナベは続けた。
「俺さ、今やってるこの映画を見に行きたいと思ってたんだけど、興味ある?」
 タナベは、黒の長財布から映画のチケットを1枚取り出した。今、テレビで盛んにCMが流れている映画だ。
「アタシ、この映画すっごい見たかったんです。タナベさんもですか?」
 やや興奮気味にカナコが言った。
「いや、実はたいして興味もなかったんだけど、でも、たまたま仕事関係の人からチケットをもらったから、見てみようかなと思って」
「アタシも一人じゃ映画館に行けなくって、DVDで出るのを待つしかないなって思ってたんです。よかったぁ、映画館で見られて。じゃあ、いつにします?」
 次の日曜の午後に駅前で待ち合わせる約束を交わして、二人は別れた。それぞれ反対の方角へ向けて歩き出した後、タナベは一度、カナコの方を振り返った。そこには、もうカナコの背中はなかった。

 8月も下旬に差し掛かっていたが、夏の暑さは一向に衰えようとしない。最高気温は毎日35度近くまで上がり、夜の0時を過ぎても、外に立っているだけで汗が額を流れた。
 日付が変わって20分ほど過ぎた頃、タナベが入り口のドアを開けてコンビニの店内へ入ってきた。いつにも増して疲労感と虚脱感を漂わせながら。
「ずっと忙しいんですね。なんか具合悪いんじゃないですか、顔色もあんまり良くないみたい」
 日焼けというには少し無理のある薄く黒ずんだような顔色で、タナベは力無く笑った。
「うん、7、8月がうちのピークだからね。社員も去年に比べたら減らされてるし、ノルマもだいぶキツくなって、休憩する時間もとれなくってさ」
 そう言ってタナベは、いつものように夕食用の弁当と朝食用の菓子パンをカゴに入れ、そしてレジの正面の冷蔵ケースにあった液体の風邪薬をつまんでカナコに手渡した。
「クソ暑い外とクーラーの効いた場所とを何度も出入りしてるせいか、なんか風邪引いちゃったかも。昨日辺りから身体がだるいんだよね」
 尋ねられたわけでもない風邪薬の理由を、タナベはそう説明した。
「大丈夫ですか?無理しないでくださいね」
 タナベの顔を覗き込むようにして、カナコが言った。
「ハハ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
 足元をわずかにふらつかせるようにして、タナベは店を出て行った。

 それから3日が過ぎた。その間、カナコは毎日シフトに入っていたが、一度もタナベに会わなかった。二人で食事をしたりするようになってからは、タナベは2日以上の間隔を空けずにカナコの働くコンビニを訪れていた。店長の話では、カナコがシフトで入る夜10時より前の時間帯に現れたことはないそうである。壁の丸時計はもうすぐ1時になる。カナコは、バックヤードでカップラーメンの在庫のチェックをしていた店長に声をかけた。
「店長、今日、帰ってもいいですか?」
「えぇ、なんで?具合でも悪いの?」
 いかにも困ったような表情で店長が聞き返してきた。
「お腹が痛いんです」
 カナコのその答えに、店長は少しきまりの悪そうな顔になった。
「う〜ん・・・しょうがないなぁ。じゃあ、もう上がっていいよ。朝までは私がいるから」
 コンビニのオーナーでもあるこの店長は、一年中ほぼ休みなく働いている。バイトの手薄なシフトに入ったり、それ以外では商品の発注や売り上げの管理など、店の運営全般を一人でこなしている。せめて睡眠時間だけでも確保するためには、深夜の時間帯はバイトに任せなければならないのだが、今日のようにバイトが急に休んだりすると、眠ることさえままならない。
「あ、あと明日のシフトも休みにしてください。用事ができたので」
 大きなため息をつきながらシフト表にバツ印を書き込んでいる店長を背に、カナコは素早く着替えを済ませて店を出た。

 カナコは、深夜の住宅街を歩いていた。そして、あるアパートの前までたどり着いたところで、ピタリと停まった。右手の方へ向きを変えたカナコは、そのアパートと正面から向かい合う形となった。街灯のわずかな光だけでは分かりづらいが、クリーム色の外壁に覆われた2階建、1階と2階に3部屋ずつ、計6部屋のアパートには、灯りの灯っている部屋はなかった。タナベは以前、タナベの住むアパートを見たいと言ったカナコを、食事へ行った帰りにここへ連れてきたことがある。その時は部屋の中までは入らなかったが、一番左の101号室がタナベの部屋だということは教わっていた。
 少しの間アパートの外観を眺めた後、カナコは1階の向かって左端の部屋へ向かった。インターホンのブザーを何の躊躇もなく押して、カナコはしばらくそのまま待った。誰も出てこない。もう一度、今度は少し長めにブザーを押して、またそのまましばらく待った。やがて、ドアの向こう側で人の動く音が聞こえ始め、ドアチェーンがかけられた状態のままで扉が開かれた。短いチェーンと同じ長さの隙間からドアの外にいる何者かを覗き込んだタナベは、思わず大きな声を上げた。
「カナコちゃん、どうしたの?」
 連絡もせず、深夜の1時過ぎに突然訪ねて来るような知り合いは、タナベにはいない。ドアを開ける前から、部屋の間違いか不審者のどちらかであろうと決めてかかっていただけに、カナコの姿を認めた時の驚きは一層大きかった。
「ちょ、ちょっと待ってて」
 開いたドアを一度閉めた後、タナベはドアチェーンをはずしてもう一度扉を開いた。
「と、とにかくどうぞ」
 こんな時間に若い女を自室に招き入れることが何を意味するかなど考える余裕もないほどに、タナベは動揺していた。対照的にカナコは、初めからそうするつもりであったかのように、何らためらうことなく部屋の中へ入った。