あなたの命を私にください 第一話
無機的なやりとりが交わされた後、カナコは6人ほどが座れそうな窓際のテーブルに通された。このテーブル席は正面の大通りに面していて、歩道を歩く人の姿がよく見える。
「こちらメニューになります」
先ほどの店員がやって来て、そう言った。
「アイスミルクティー」
カナコは差し出されたメニューには一瞥もくれず、店員の方を真っ直ぐに見つめながらそう言った。
「ハイ、かしこまりました」
わずかに不審そうな表情を浮かべながら、その女の子は持っていた伝票に手早く何かを書き込み、奥へと下がって行った。カナコは窓に一番近い位置に座り、頬杖をついて外の通りをじっと見つめた。
「お待たせしました。アイスミルクティーになります」
先ほどとは別の女性店員がアイスミルクティーを運んできた。同じく20歳前後と思われるその店員も、窓の外をじっと見つめたままテーブルに置かれたアイスミルクティーに全く関心を示さないカナコの様子を、奇妙に感じたらしい。奥へ下がって行くと、厨房への出入り口付近で待機していた、カナコから注文をとった女の子と、小声で何やら話をしていた。
店内の壁にかかった時計の短針は、間もなく数字の11にたどり着く。カナコは、人の往き来も絶えがちな深夜の歩道から一度も目を外さない。
そこへ、一人の男が通りかかった。くたびれた風貌、一歩ごとに生気が抜けていくかのような重い足取りのその男を、カナコは待っていた。カナコは、ファミレスの窓越しにその男の歩く様を凝視し続けた。男は、自分に向けられている視線に気付かぬまま、人通りのない通りをうつむきながら歩き過ぎていった。
その男が夜の闇に完全に同化して見えなくなるまで、カナコはその背中から視線を外さなかった。そして、テーブルの上に放置されたまますっかりぬるくなったアイスミルクティーの存在に今やっと気がついたかのように、今度はミルクティーの入ったグラスをじっと見つめた。
午後10時30分、日没を迎えてから数時間が経過しても外の熱気が治まる様子はない。冷房が効き過ぎて少し肌寒いほどの店内のレジ前で、カナコはじっとコンビニの入り口を見つめていた。そして、いつもとほぼ同じ10時45分頃、その男が入り口のドアを開けて入ってきた。
「お疲れさまです。わぁ、すごい汗」
おどけたようにカナコは言った。
「いやぁ、ホント暑くて死にそうだよ。カナコちゃんはいいね、いつも涼しいところで仕事ができて」
「うん、それはホントにそう思う。アタシ、絶対に外回りの営業とかできないです」
「俺もコンビニの店員に転職しようかな」
「あ、ちょうど一人、バイトの人が辞めるところなんです。アタシから店長に言っておきましょうか?」
「アハハ、じゃあ、お願いしようかな」
店内にいた年配のサラリーマンらしき男性が、親し気に談笑する二人をちらりと見た後、また弁当の並ぶ棚に目を戻した。
「タナベさんは外食とかしないんですか?いつもうちの店のお弁当とかパンとかじゃ、飽きちゃうんじゃないですか?」
二人の会話は食べ物の話題に移った。
「うーん、一人で店に入るのがちょっとね。仕事終わりに同僚と飲みに行くことは時々あるけど、あっても月に2、3回位だし」
「分かります、アタシも一人で食べ物屋とか入れないですし。ここで仕事が終わった後に、ゴハンとか食べに行きたいんですけどね」
一瞬、会話が途切れた。タナベが、何かを言いかけようとして、やめた。
「ありがとうございました。またお待ちしてます」
カナコがタナベに弁当の入ったレジ袋を手渡した。
「ああ、じゃあ、また」
そう言って、タナベはうつむき気味に店を出て行った。
カナコは歩きながら、街灯の灯りを頼りに左腕の腕時計を見た。10時30分まで、あと10秒。少し足早になったカナコが視線を上げた先には、数日前にカナコが一人で訪れた24時間営業のファミリーレストランがある。レストランの入り口の前でピタリと立ち止まったカナコは、それからゆっくりと辺りを見回した。そして、レストランの敷地内の、入り口から少し離れた場所へ移動した。そこは、通りを歩く通行人から簡単に目に着く場所で、そこでカナコは紅いバッグから取り出したスマートフォンをいじり始めた。
カナコには趣味がない。特に興味をもつものもない。ファッション、音楽、映画、アイドル、食べ物、テレビ、いずれも関心がない。ただ唯一、南国の海やそこに浮かぶ島々の風景だけには強く惹かれた。濃いブルーの空に白く輝く太陽、水彩絵具の青を溶かしたような鮮やかな海、白く熱く焼けた砂浜、浅黒い肌の人々の笑い声、作り物のように鮮やかなグリーンのバナナの葉の上に盛られた芋や魚、どこまでも続く青空を自由に舞う、大きな一羽の鳥。なぜ、そういったものに自分が惹かれるのかは分からなかったが、青い海に浮かぶ南国の島のことを想像していると、時間が経つことを忘れた。
スマートフォンの小さな画面に映し出された夕暮れの海岸の景色をじっと見つめていたカナコに、誰かが声をかけた。
「カナコちゃん?」
カナコは顔を上げた。タナベだった。いつものように、長時間勤務による疲労と、それだけではない生気の衰えを感じさせる風貌。ただ、普段と少し違っていたのは、目だった。ぬかるみの中を足を引きずって歩くかのような、言いようのない倦怠感を漂わせている男が、何かずっと探し続けていたものを見つけた人間のような、そんな目をしていた。
「あっ、こんばんは」
カナコは驚いたように勢い良く答えた。こんなところでタナベに出会うことなど想像もしていなかったかのように。
「どうかしたの?」
深夜にファミレスの入り口前で立ち尽くすカナコを見て、不思議に思うのはタナベだけではないだろう。自然に声を掛けられる状況だった。
「あの、家に帰っても何も残ってないし、どこかでゴハン食べていこうかと思ってここに来たんですけど、やっぱり一人じゃ入りづらいし、友達もこんな時間じゃ来てくれないし、どうしようかなって悩んでたんですけど・・・」
決まりの悪い場面を見られてしまったという風で、カナコは答えた。
「ああ、そうなんだ・・・」
わずかな間を置いて、タナベが声を発した。
「じゃあ、一緒に入ろうか?俺も、夕飯まだだったし・・・」
「えっ、いいんですか?でも、迷惑じゃないですか?」
戸惑いの表情を浮かべて、カナコが聞き返した。
「迷惑なんかじゃないよ。俺も、一人でメシ食ったってつまんないしさ」
タナベが笑顔でそう言うのを聞いて、カナコもやっと安堵したように、笑顔になった。
「じゃあ、アタシごちそうします。なんでも好きなの頼んでください」
「えっ、それは悪いよ。むしろ、俺の方がごちそうしなきゃいけないんじゃないのかな?男だし、年上だし」
「そんなことないです。それにアタシ、バイト代入ったばっかりなんで大丈夫ですから」
「でもなぁ、何か悪いしなぁ」
「いいんですって。ほら、早く入りましょうよ、それにアタシ、さっきから暑くって」
楽しそうに言葉を交わしながら店内に入っていく二人の姿は、通行人から見れば、若いカップルのように見えただろう。
「ああ、美味しかった。ごちそう様でした」
作品名:あなたの命を私にください 第一話 作家名:hamachi