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あなたの命を私にください 第一話

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 機械的なその声に、男の方も機械のようなムダのない動きで、ズボンのポケットに入っていた長財布から千円札を取り出した。
「千円お預かりします」
 受け取った千円札は、糸で引かれたように滑らかな動きでレジの中に納まった。
 そのまま、素早い指の動きでレジから500円玉と10円玉と1円玉を1枚ずつ弾き出し、カナコはお釣りをその男に手渡した。男は、俯いたままそれを右手で受け取った。
「レシートはよろしいですか?」
 カナコのその問いかけに、男は意外なことを尋ねられたような様子で顔を上げた。男にとって、カナコの顔を正面から見るのは2度目だった。鮮やかなライトブラウンのショートヘアーがよく似合っていて、それが男を少しまごつかせた。
「レシート要りませんか?」
 カナコは、わずかな微笑みを浮かべて、もう一度尋ねた。
「ああ、要りません」
 男はそうとだけ返事をして、ドアへ向けて歩き出した。その背中へ向けて、カナコは言った。
「またお待ちしてます」
 男は振り返ることもなくドアを通り抜け、まっすぐに歩道まで歩きついた。そこで、男は店の方へ向き直った。レジ前に立つカナコの姿が、ガラス越しに小さく見えた。

 午後3時過ぎ、突き刺すような真夏の日差しが路上を行き交う人々の頭上に降り注いでいる。その中で、帽子もかぶらず一人でコカコーラの赤い自動販売機に背を向けてじっと立ち尽くす若い女の姿は、一種、異様に思われた。暑さのため体調を悪くしたのかと訝る通行人もいたかもしれない。しかし、当の本人は、そんなことを全く意に介する様子もない。ただ、枯れた木立のように真っ直ぐに立っていた。
「よぉ」
 身長180センチ程で、やや長めの黒髪の若い男が、立ち尽くすカナコの肩に手をかけた。大助だった。
 黒のジャケットにTシャツ、ダメージ加工のジーンズ、派手なシルバーのアクセサリーをいくつもぶら下げているその姿は、彼の脇を通り過ぎるすべての人々の脳裏に、「遊び人」や「ホスト」といった類の言葉を浮かび上がらせているだろう。
 カナコは以前、大助と付き合っているという女と話をしたことがある。大助と付き合い始めてまだ日の浅かったその女は、大助は少年のような無邪気な笑顔で笑うと言っていたが、カナコにはその笑顔が、不潔な欲望の発露としか思えなかった。肩に置かれた右手から伝わってくる体温も、何かの病原菌がカナコの体内に侵入してくるかのように感じられた。
 肩の上の汚物を振り払うようにして、カナコは素早く大助の方へ向き直った。
「何?」
 もともと感情の読み取りにくいカナコの声が、一際、無機的に響いた。
「何じゃないだろ。仕事だよ、シ・ゴ・ト」
 陽気に話しかける大助だったが、カナコにとっては不快さが増すだけであった。
「で、次のターゲットは見つかったのか?」
 できの悪い部下に尋ねるような口調で、大助はカナコに聞いた。
「・・・」
 カナコは無言で答えた。
「よしよし、上出来だ」
 満足気に頷いて、大助は黒いジャケットのポケットから小さな包みを取り出して、カナコに手渡した。 半透明のビニールで覆われたその包みを、カナコは、ゆっくりした手つきで赤のハンドバッグにしまった。そして、それがまるで一連の動作であるかのように、そのまま駅に向けて通りを歩き出した。
「おい、ちょっと待てって」
 大助がすかさず後を追ってくる。
「お前なぁ、分かってんのか、誰のおかげで・・・」
 そこまで言いかけたところで、突然カナコが立ち止まって振り向いた。
「何?」
 その声には、やはり何の色も感じられない。機械の音声のようだった。
「俺にちゃんと報告しろよ、どこのどいつで、いつになるのか」
 さすがに苛立った様子の大助とは対照的に、カナコの方は何ら動じることがない。
「いつになるか分からないし、違う人にするかもしれない。だから、今は言えない」
 カナコはそれだけ言うと、くるりと向きを変えて、再び駅の方へ歩き始めた。歩道に一人取り残された大助を避けるようにして、通行人が通り過ぎて行った。

「最近よく来るね、あのお客さん」
 紙パックのジュースを手にとって眺めているその男を見て、バックヤードから出てきた店長がカナコに声をかけた。
「この辺に住んでるのかなぁ、前は見ない人だったんだけど」
 特に興味があるわけでもなくカナコに話しかけていた店長は、隣で黙っているカナコの顔を見て、思わず息を飲んだ。カナコの横顔が、笑っていた。アルバイトとして採用してからこの半年ほどの間、店長はカナコの笑顔を一度も見たことがない。愛想は悪くても見た目はまずまずだし、ただでさえ人手不足の深夜の時間帯で贅沢は言っていられないと思って採用したのだから、初めから笑顔の接客など期待してはいなかった。だから、カナコの笑った顔を見たことがないのも、特に不思議に思わなかった。
 カナコは微笑みを浮かべたまま、男の方を見つめている。困惑したような顔つきのまま、店長はバックヤードへ戻って行った。やがて、ミルクティーの紙パックを持ったその男が、レジへ向かってきた。
「いつもありがとうございます」
 パソコン入力をしながらその声を聞いていた店長の両手が、ピタリと止まった。そして、何度か首をひねった後、両手をまたカタカタと動かし始めた。
「お仕事、いつも遅いんですね」
 ミルクティーのパックをビニール袋に入れながら、カナコは続けた。男は少し驚いたように顔を上げた。カナコが話しかけている相手が自分であることを、一瞬、認識できなかったようだった。
「大変ですね」
 カナコは続けた。
「まぁ、ね。でも、深夜のバイトの方が大変なんじゃないの?」
 よくある世間話の類だと悟ったらしいその男は、当たり障りのない受け応えをした。
「あたしは毎日じゃないし、時間も短いから」
 カナコは更に続けた。ミルクティーは、当の昔にビニール袋に収められている。
「でも、仕事中に眠くなったりするんじゃない?」
「あたし、昔から朝が弱いんで、夜の方が目が冴えるんです」
「じゃあ、毎朝学校に通うのも辛かった?」
「うん、いつも遅刻ギリギリでした。それで、校門のところでいつも、生活指導の先生に睨まれてました」
 店内に他の客はいない。二人の談笑が、ガラスをすり抜けて夜の闇に吸い込まれていく。
「ありがとうございました」
 少しぬるくなったミルクティーの入った袋を、カナコは手に取った。手提げ部分に右手をかけ、左手は袋の底面に添えて、男に手渡した。男は、手提げ部分の輪に自分の右手を入れるようにして、それを受け取った。必然的に、二人の右手がわずかに触れ合った。
 男は、コンビニを出て店舗の正面に面した広い駐車場を横切り、そこでカナコのいる店内を振り返った。カナコの表情は、男からは見えなかった。

 カナコがバイトをしているコンビニエンスストアから歩いて4,5分のところに、24時間営業のファミリーレストランがある。午後10時45分を少し過ぎたころ、カナコは一人でそのファミレスに入った。
「お一人様ですか?」
 制服を着た、カナコと同年代位の若い女性店員が、カナコに尋ねた。
「はい」
「おタバコは吸われますか?」
「はい」
「では、喫煙席にご案内します」