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あなたの命を私にください 第一話

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第一話
 
 ペットボトルのジュースや缶ビールなどが陳列されているガラス戸の冷蔵ケースの上に、白い丸時計がかけられている。天井近くにかけられたその丸時計の2本の針は、11時40分を指していた。
 深夜のコンビニエンスストアの店内には、カップラーメンの在庫をチェックしている中年の小太りな男性店員と、カウンター内のレジ前で売上金の計算をしている若い女の子の2人だけしかいない。
 レジにいる茶色のショートヘアーの女の子は、慣れた手つきで千円札の束を数えていた。20歳くらいに見えるその女の子は、目線を自分の手元に向けたまま、感情の読み取りにくい声で小太りの男に言った。
「店長、レジ、オッケーです」
「ああ、ご苦労さん。じゃあ、少し休んでいいよ」
 頭髪の薄くなりつつある店長も、カップラーメンの棚から目を離さぬままで応じた。
 カナコは、店長のその言葉をほとんど聞かぬうちに、カウンターの脇にあるドアを通ってバックヤードへ入った。
 薄暗い蛍光灯が、狭い空間をぼんやりと照らし出している。幅は2メートルほど、奥行は20歩くらいの細長い空間で、両側の壁には、菓子、缶詰、インスタントラーメンなどが種類ごとに並べられた棚が置かれている。この2つの棚のせいで、ただでさえ狭いバックヤードには、やっと人ひとり通れる程度のスペースしかない。そのごくわずかな隙間にさえも、所々に返品を待つ雑誌やビニール紐で束ねられたダンボールが置かれていて、真っ直ぐ歩くことさえできない状態であった。
 今入ってきたドアのノブを片手に握ったまま、落ち着いて休憩ができそうもないこの環境を少しの間眺めた後、カナコは何かを諦めたように、ドアのすぐ左側にあるパソコンデスクの前に座った。
 パソコン画面の上部には、「通達」という文字が映し出されている。来月から開始される、あるテレビドラマとのタイアップキャンペーンについての本部からの指令だった。キャンペーン中は関連商品の在庫を切らさぬように、全従業員が店内のお客様に対する積極的な声がけを行うように、などといったその内容を眺めているカナコの様子は、一見すると、仕事熱心なアルバイト従業員の姿に映ったかもしれない。
 だが、カナコはパソコンの画面など見てはいなかった。カナコの両目は確かにパソコンモニターに向けられていたが、その画面から放たれた光線は、まるで鏡のようにカナコの薄茶色の瞳の表面で反射され、その奥にある網膜までは届いてはいない。
 カナコの網膜に映っているのは、ずっと昔に映画で見たことのある南国の無人島の風景だった。島の周囲は浅瀬で囲まれていて、島の外周を縁取る砂浜はどこまでも白く、その外側を覆う海はどこまでも青く透き通っていた。見上げた空には、わずかな雲の残骸すらも浮かんでおらず、眼下の海とまったく同じ色に青く透き通っていた。島の中央は鬱蒼とした森で、木々の高さは数十メートルにまで達している。森のそこかしこからは、動物園でしか聞いたことのないような不思議な鳥の鳴き声が響き渡っていた。
 不意に、カナコの意識が眼前のモニターを捉えた。新着メールの表示が出たからであった。また本部からメールが届いたらしい。特に意識したわけでもなく、カナコはそのメールを開いて内容を目で追った。キャンペーン対象商品の売上目標を全店舗で必ず達成するようにというその通達を、カナコはプリントアウトしてモニターの前に置いておいた。 美しい南国の島から一瞬にして薄暗いバックヤードに引き戻されたカナコは、しかし、そのギャップに戸惑う様子もなく、スッと立ち上がってテキパキと返品の雑誌を束ね始めた。

「カナコちゃん、ちょっとレジお願い」
 日付が変わってしばらく経った頃、店内で棚の商品を見栄えよく陳列し直していたカナコに、バックヤードから顔を覗かせた店長が声をかけた。パソコンにデータ入力をしている最中らしく、手が離せないようだ。レジの前には、スーツ姿の男がこちらに背を向けて立っている。店長の声に反応して、その男もカナコの方へ顔を向けた。
 20代後半から30代前半、安物のスーツにシャツ、一万円くらいで買えそうな茶色の革靴、短めにカットされた黒髪、くたびれたの黒のビジネスバッグ、異性から好かれも嫌われもしそうにない顔立ち、そして、単なる疲労ではない、精気を失った両眼。その男が持つ眼を、カナコはそれまでにも何度か見たことがある。生きることを苦痛に感じている人間が持つ眼だ。一瞬だけその男と眼を合わせたカナコは、伏し目がちにレジへ向かった。
「お待たせしました」
 抑揚のない声でそう言って、カナコは買物カゴの中の弁当と缶ビールのバーコードを読み取り機で手早く読み取り、商品をビニール袋に詰め始めた。
 表示された金額をちらりと見た後、男は無言のまま黒の長財布から千円札を一枚取り出し、レジ台の上に置いた。
「千円お預りします」
 その千円札を台の上で滑らせるようにして取り上げたカナコは、慣れた手つきで260円分の小銭をレジから弾き出し、男の右手に載せた。レシートは、レジから吐き出されたままになっている。カナコの人差し指と中指の先端が、百円玉と十円玉と一緒に男の手のひらに触れた。うつむき気味だったその男は、顔を上げた。視線を上げた先で、男の濁った目がカナコの薄茶色の瞳を捕らえた。わずかな沈黙が訪れた。
「ありがとうございました」
 わずかな沈黙を、カナコの声が破った。カナコはもう男から眼を逸らして、レジに千円札をしまっている。男の方の沈黙は、カナコよりも少しだけ長く続いた。そして、男は自動ドアから蒸し暑い外気の中へ出て行った。
 男が自動ドアを出て遠ざかって行くその後姿を、カナコはレジからしばらく見つめていた。そして、吐き出されたままになっていたレシートをつまみ上げ、足元にある屑かごの真上で手を離した。ヒラヒラと宙を舞うレシートは、やがて屑かごに吸い込まれ、他の紙クズに紛れた。

 2日後の夜10時55分、弁当や惣菜を店内に運び終えた配送のドライバーと入れ替わりに、その男は再びやってきた。前回と特に変わらぬ様子のその男は、真っ直ぐに雑誌コーナーへ向かい、漫画雑誌を立ち読みし始めた。その後ろ姿を、カナコはレジから観察していた。特に読みたいものがあるという雰囲気ではない。2、3ページ読んでは、パラパラとページをめくることを繰り返している。家に帰っても何もない。だから、時間つぶしにコンビニで雑誌を立ち読みしている。カナコはそう直感した。そして、動きだした。
 棚に並んだ化粧品類を整頓しながら、カナコはその男との距離を徐々に縮めていく。男は適当にめくったページの中から、ある漫画に興味を持ったようだ。ページをめくるスピードが遅くなり、内容をきちんと読み始めた。カナコは男の背後から気づかれぬように、そのページを覗き見た。ヤミ金融を題材にした青年向けの漫画で、映画化もされているもので、カナコもそのタイトルだけは知っていた。
 朝食用と思われるサンドイッチと菓子パンを手づかみでレジへ持ってきたその男に、「お預かりします」と応じたカナコは、前回と同じように黙ったままテキパキと袋詰めを行った。
「489円になります」