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ベイクド・ワールド (上)

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「マンホールのこと?」
「そうそう。マンホールだ。あの原因はお前、何だと推理する?」
「まったく、わからないな。マンホールを外す理由なんて」
「鯉の死因については俺は知らないけどな、マンホールについては、俺は知ってるんだぜ」と久藤が言った。それから、勿体ぶって黙った。
「何を知っているんだ?」
「犯人を見たんだよ」
「誰?」
「女だよ。女」
 僕は意味が分からず、黙ったままだ。
「女がマンホールの蓋を開けて、トラックに詰め込んでいたらしい」
「一人で?」
「そう、まったくの一人で」
「無理だ。数十個もマンホールはあったし、女がマンホールの蓋を開けられるわけがない。それに特殊な道具がないと開けられないんじゃないか?」
「けれど、女がやっていたんだ」と久藤は言った。「……しかも、よぼよぼの婆」と付け足した。
「なんだ、冗談かよ」僕はあきれた。
「でも見たんだって」
「お前が見たの?」
「いや、ちがう」
「じゃあ、誰が見たんだよ」
「俺の友達」と久藤が言った。それから「その友達の友達」と付け加えた。
「騙されてるよ、馬鹿」と僕は冷たく言い放った。
 一時限目の国語の教師がやってきて、夏休みの補習がはじまった。

 補習が終わると、僕は再び古書店に向かっていた。ボーダー・コリーがドッグフードを食べていた。トレイから落ちたドッグフードを舐めるように胃の中に押し込んでいた。一冊十円のワゴンをひととおり目を通してから店内に入った。店主はセブンスターをふかしながら、新聞を読みふけっていた。店主が一瞬、僕のことを見た。それから視線を外し、また新聞に目線を落とした。店主は鯉の大量死について何を思うのだろう。きっと何も思わないだろうな。僕はそう思った。フリー・スペースには彼女はいなかった。ただ、机の上にはバッグが置かれていて、ノートが開かれていたので、どこかにいるのだろう。僕はしばらくひととおりの本を隅から眺めていくことにした。というよりも、ジャンル別には並んでいないから、それは対して意味もない行為だったが。トイレの近くの本棚から左から右へと本を眺めて行った。日本人作家と海外の作家が混じり合い、ふいに自己啓発本やうさんくさい宗教本などが現れた。哲学の本が現れたかと思うと、育児の本が現れる。ここでは、いろんな思想が混ぜこぜになっている。
 入口の通りの本をひととおり眺め、山崎ナオコーラの人のセックスを笑うなに止まる。僕がそろそろ帰ろうと思い、床に置いたスクールバッグを手にした時、声をかけられた。
「なあ、君」しわがれた声だ。
 僕は後ろを振り返った。そこには店主が立っていた。
「ちょっと、君に話したいことがあるんだ」と店主が言った。
 店主に声をかけられたのははじめてのことだった。驚いてすぐに返事ができなかった。
「なんですか?」と少し間を開けてから僕は言った。
「ああ。沙希が帰って来てから話そうと思うんだが」
「サキ?」
「ああ。いつも、そこにいるだろう。女の子だよ」店主はフリー・スペースを指差した。
 沙希。僕は彼女の名前を知らなかった。店主と彼女が喋っているのは見たことがあったが、店主は彼女のことを名前では呼ばなかった。いつも、君、と呼んでいた。僕の記憶が正しければ、店主が彼女の名前を呼ぶのもはじめてだったと思う。彼女は沙希というのか、と僕は不思議に思った。あまりにも一般的な名前で彼女には少し不釣り合いのような気がした。といっても、彼女にふさわしい名前なんて思い浮かばなかったが。
「その話には彼女が必要ということですか?」
「ああ、まあな。そういうことだな」と店主は言った。「ちなみに、俺は河中だ」
「僕は深瀬です」
「下の名前は?」と河中さんは訊いた。
「亜季です」下の名前まで知る必要などあるのか、と思いながら答えた。
「亜季君だね。よろしく」
「沙希さんはどこにいるんですか?」
「コンビニで弁当を買いに行っているところだ。きっともうすぐ帰ってくるから。少しだけ待って欲しいんだが。時間は構わないかな?」
「構いません」と僕は言った。それから、質問をした。「いったい、どんな話なんですか」
「とりあえず、彼女を待ってくれないか。そうした方が分かりやすい内容だから。ただ、内容を簡単に説明すると、昨日の鯉の大量死と今日のマンホールの消失について」
 河中さんの口から、例の鯉とマンホールについての話題が出るとはいささか驚いた。いや、それよりもその内容について僕と話す必要があるとは、いったいどういうことだろう。
「鯉とマンホールの話が、沙希さんと何か関連があるんですか?」
「まあな。彼女がいないと説明が難しいから、それ以上は言えないがね」と河中さんは言った。それから河中さんは話題を変えた。「ところで、君はよくここに来てくれるけど、彼女の存在が気になっていたんじゃないのかね?」
 僕はそのストレートな質問にいささかびっくりしたが、正直に答えた。
「ええ、いつもあの場所で何をしているんだろう、と」と僕は言った。それから、僕は素朴な疑問を河中さんに投げかけた。「彼女はいったい何をしているんですか? この近くの学生なんですか? あの制服はこのあたりでは見かけないですが」
「まず、一つ」河中さんは人差し指を立てて、そう言った。「何をしていたかというと、彼女はあの場所でいつもノートに何やらを書き込んでいただろ? 彼女は、物語を書いていたんだ。そして二つめ。彼女は一応、この近くにある学校の生徒だが、学校へは行っていない。つまり不登校だ。彼女はその言葉をひどく嫌うけどね。そして三つめ。彼女の制服について。いつも着ている制服はその学校の制服ではないし、この近くの学校の制服でもない。日本中を探してもあの制服を着ている学校はない。なぜなら、あれはコスプレだからな」と河中さんは言った。
 河中さんの風貌に似つかわしくないコスプレという言葉がでてきたので、僕は思わず笑ってしまった。
 僕は笑みを浮かべながら河中さんに訊ねた。「それで、どうして彼女はコスプレを?」
 河中さんは僕の質問には答えず、僕の後方を眺めた。
「今の学校の制服が嫌いだから」コンビニ袋を手に持ちながら、コスプレをした沙希が呟いた。

 僕と河中さん、そして沙希はフリー・スペースに腰を下ろした。
「これから話すことはとても馬鹿らしい話。そのことを最初に断っておきたいんだけど」と沙希は前置きをした。「いい?」僕をじっと見ながらそう訊いた。
 僕は頷いた。彼女とこんな風に普通に会話していることはとても奇妙だった。
「昨日、駿府城跡の中堀で鯉が死んだでしょ? アルビナさん」沙希は僕を見ながら、そう言った。アルビナさん? 
「アルビナって?」と僕は訊いた。
「あなたのこと」と彼女は言った。
「いや、僕は深瀬亜季という名前なんだけどな」
「いいえ、あなたはアルビナ」と彼女は僕を指差して言った。「そして、彼はゲバルト」と彼女は河中さんを指差して言った。
 意味が分からない。僕は河中さんを見つめた。