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ベイクド・ワールド (上)

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 ふいに、沙希は僕のボクサーパンツを掴み、勢いよくずり下ろした。
「あった」と沙希が言った。何が、と僕は全裸で思った。
「お尻」と沙希は言った。
 全裸のまま、僕は身体を捩じらせて、自分の尻を見た。右尻の側面に何か黒いものが確認できた。まるで煤のような汚れのようなものだ。手で拭ってみても取れない。
「これは何?」と僕は沙希に訊いた。
 沙希は僕の質問を無視し、制服のポケットからXperiaを取り出し、僕の尻をカメラで撮影した。間抜けなシャッター音が鳴り響いたあと、沙希は僕に写真を見せた。
 写真を確認すると、それはインクで書かれたような黒く滲んだ文字だった。アルファベットのようで一番左端はAのように見えた。
 僕は彼女を見つめた。
「これが呪い」と沙希は言った。
「これは文字? アルファベットのAは分かるんだけど」
「これはロシア語。ロシア語でアルビナって書いてある」沙希は机に置かれた紙にその字を書いて僕に見せた。

『Альбина』

「これでアルビナと読むの」
「ということは、昨日の夜、僕は確かに呪いを受けとったということ?」と僕は訊いた。
「もちろん」沙希は大きく頷きながらそう言った。「つまり、私の小説に登場するアルビナの役割があなたに付与された。あなたはアルビナに対応する現実存在というわけ」
「でも、それは私にもあるんだよ」と沙希は言った。
「どこに?」と僕は振り返らずに言った。なぜなら僕はまだ全裸なのだ。
「ここ」僕の後方で沙希は言った。僕は首だけを動かして振り向いた。
 沙希は、黒のスカートをたくし上げ、色白の太ももを露わにしていた。右脚の側面に小さく黒い文字が書かれていた。
「それはいったいなんという文字?」
「ось」と沙希は言った。
「オウス? どういう意味?」
「軸、という意味」
「それは何を意味しているの?」
「分からないけれど、私は軸としての現実存在なのだということでしょう。いくぶん、抽象的な表現ではあるけれど。ちなみに、ゲバルトはゲバルトとしての実在を得た」
 ゲバルトが左腕を見せる。そこにも黒い文字が書かれていた。

『насилие』

「ネシリエ。ロシア語で、暴力という意味」と沙希は説明した。
「ねえ、ちょっと訊きたいんだけれど」と僕は言った。「まず、どうしてロシア語なの?」
「アルビナという名前は、ソ連の宇宙犬からとったの」と沙希は言った。「アルビナは一九五一年から一九五二年にかけて、ソ連のR-1ロケットで高高度飛行を行った犬。このロケットでアルビナは弾道飛行に成功して、スプートニク2号の一次選考は通ったんだけど宇宙には行けなかった。そんな可愛そうな犬なの。それが、あなたにぴったりのような気がしたから、あなたにつけたの」と沙希は言った。
 僕は黙って頷いた。「君は人を見る目があるみたいだ。まだ聞きたいことはあるんだけど、とりあえず、服を着てもいいかな?」と僕は全裸で言った。
 沙希は黙って、フリー・スペースから出て行った。

 僕と沙希と河中さんはフリー・スペースにある机を囲んだ。いろいろと聞くべきことがある。
「君が言ったとおり、僕はアルビナという役割を担わなければならなくなったということだね」
「そうね。あなたはこれで紛れもなくアルビナとなった」
「もし、この黒い文字が刻まれることが呪いを受けるということなら、君に刻まれた『軸』や、河中さんに刻まれた『暴力』も呪いと言えるの?」
「このあいだも言ったけれど、呪いを得ることはアイデンティティを獲得することなの。アルビナという黒い文字が刻まれて、アルビナとしてのアイデンティティを獲得した。シンセカイにおけるアルビナの現実存在があなたということ」
「つまり、物語のモデルとなった人間が物語の役割を得ることが呪いということだね」
「簡単に言えばそういうことになるわね。ゲバルトもそう。ゲバルトはシンセカイにおける暴力という概念のモデルだから。暴力としての現実存在がゲバルト。だから呪いを受けたのね」
「ついでに質問」僕は河中さんに目をやってから沙希に訊いた。「なぜ、河中さんのことをゲバルトと呼ぶんだ?」
 沙希はゲバルトを見つめた。ゲバルトが沙希の代わりに僕の質問に返答した。
「君たちの世代では分からないかもしれないが、俺は一九六〇年代の学生運動の体験者なんだ。学生たちが決起して社会に反抗した時代。今、考えればどうかしてるがね。ゲバルト棒という単なる木の棒を振りかざして、権力に対抗しようと思っていたんだからね。最後には学生運動はただの暴力の暴走に成り果てた。俺が義眼になった理由もまさに暴力の暴走によるものだ。俺はそんな暴力に満ち満ちた学生運動の話を沙希に話していた。だから、沙希は物語における暴力の概念を俺と結びつけたんだろう。事実というものは単純でつまらない。たったそれだけの理由さ」
 真実は意外にも単純なものだった。
「ただ」と沙希は言った。「私が軸という存在であることは私自身が意識したものではない。これはおそらく私の思考の隙間によって生じたもの」
「つまり、君が企図したものではないということ?」
「そう。だから私の軸としての役割は私自身にも分からない」
 僕はため息をついた。「分からないことが多すぎる」
 沙希は首を振った。「でも、やらなければいけないことはわかる」
「何をすればいい?」と僕は訊いた。
「物語では、アルビナとムシカという二人の子供がリーダーとなって大人たちが計画する象蟲の再生を阻止する」
「ごめん。もう一つ聞いていいかな?」と僕は言った。「このあいだ、君は言っていたけれど、ムシカというのはいったい何者なんだ?」
「ムシカもアルビナと同じで物語に登場する子供の一人で、アルビナと協力して大人たちの計画を阻止する。ちなみにムシカもアルビナと同じでスプートニク2号のために訓練された犬よ。ムシカはアルビナとはちがって、スプートニク6号に乗って一日を地球軌道上で過ごしたけど、再突入に失敗して死んでしまう。そんな可愛そうな犬」
「宇宙を見れずに生き残った犬が僕で、宇宙を見て死んでしまった犬がムシカということだね。なかなか象徴的じゃないか。どちらが幸せだったのかってね。ところで、ムシカにもモデルはいるの? 僕と同じように」
「ムシカにはモデルがいない。つまり、現実ではあなたしか行動できる人はいない。もちろん、私とゲバルトはいるけれど」
「それはなかなか厳しいね」僕はため息をつきながらそう呟いた。
「でも、やらなければいけない」
「ああ、分かってるよ」と僕は言った。「説明を続けて」
「物語ではアルビナたちは大人の計画を妨害するために、街に隠されている『しんぼる』と呼ばれるものを破壊する。しんぼるの破壊は、象蟲の再生に唯一対抗できる。しんぼるは街に七つ存在するの、象蟲の再生が七つあるのとまったく同じであるように。だから、アルビナに対応する現実存在であるあなたは、物語に登場するしんぼるのモデルとなったものを破壊する必要がある」
「なるほど。話はいたってシンプルじゃないか、ただ壊すだけなんだからね」と僕は言った。「もちろん、しんぼるがどこにあるのかは分かるんだよね?」