コトサキク
意図が届くはずもないだろうが、僕は自分の顔の前で大きく十字を切り両手を組み合わせて拝む仕草をしてみせた。
喬が左手でピストルみたいな形を作って学校のある方を指さして返してきたのは、先に学校行っててもいいよという意味だろうか。
実乃里が顔を上げて僕をじっと見ている。僕に判断をゆだねるときの、こいつの癖だ。
「まあ、まだ遅刻する時間じゃないし。どうせだし、ついでにもうちょっと付き合ってやろうぜ」
カイロを握りしめながら言うと実乃里はまたこっくりとうなずき、そしてどういう理由か道路の向こうの喬に思いっきり舌を出して見せた。
それは一体どういう意味なんだよ。
僕は半ばあきれ、喬は吹き出している。
そして喬は両腕を組むと、またバス停にもたれかかるようにしてじっと彼女を待ちはじめた。
その横顔をみつめながら、僕らもまたガードレールに座り直す。
ふと、実乃里が思い出したようにかばんの中身をかきまわし何故か千歳飴をわけてくれた。
「長っ」
紅色に着色された飴は、わりばし一本分より長さがあると思われる。
「なんでこんなの持ってんだよ……。七五三以来だよ、食べるの」
ぶつぶつ文句言いつつも口に差し込むとミルキーな味が舌の上に広がった。
実乃里も同じように白い千歳飴をくわえている。
なんだか間の抜けた高校生二人組という感じがありありとしてるが、気にするのはいまさらだろうか。
「わざわざ買ったのか?」
普段そんなに甘いものを好んで食べていたような覚えがないので疑問に思って尋ねると、実乃里は首を横に振った。
「お米屋のおじさんにもらった」
「ああ……」
大手スーパーマーケットに負けずに頑張っている米屋が、僕らの住んでる団地のすぐ近所にある。
町内会の面倒もみていて子供会やらでお世話になったため昔からよく知っているが、当時からかくしゃくを通り越しぴんぴんしすぎて埋めても土の中から戻ってきそうなほど元気でしぶといじいさんだった。
「米屋のおじさん? 孫が俺らより年上だろ……」
おじさんと呼んでいるが、僕らがいたずらをしては怒鳴り小突かれていた頃からすでにうちの祖父と変わらないほどのじいさんだった気がする。
けれど、口に出すと親たちから口移しに伝わったままの習慣のなごりで、なんとなく米屋のおじさんと呼んでしまうんだよな、不思議と。
「まだ元気にしてんだ」
うっかりまだ、とつけてしまったデリカシーの無さのせいか、実乃里はやや顔をしかめたがこっくりとうなずいた。
「そっか。全然米屋のある方通らないから長くみかけてないなあ」
米屋のおじさんに怒られるような遊びをする歳でもなくなったし、子供会に参加することもなくなり、根性無しの僕なのに内弁慶の典型だったらしく中学の反抗期がムダにすさまじかったのでうちの親はその頃から僕におつかいを頼むことがない。
念のため付け加えれば別に恐れてくれてるわけじゃない。
単に母親も僕に交渉するのがめんどうなだけだ。
僕の内心を見透かしたのか、実乃里はマフラーに顔を半分埋めたままくすりと笑った。
実乃里や喬は僕と違って、米屋のおじさんに怒られるような遊びに参加することは少なかったような気がする。
僕は本当によく怒られた。目の玉が飛び出るほど、実にこっぴどく怒られた。怒られるようなことをするのが悪いのではあるが。
おじさんにはなんかいたずらを見つけるセンサーがついているのじゃないかと噂されたほど神出鬼没にあらわれては僕らの犯行を未然に防ぎ、血管がきれるのじゃないかと逆に心配になるほど怒鳴り散らしたものだ。
僕もそんなにいたずらで活発なタイプでは今も昔もなかったはずだが、何かにつけて尻馬にのりやすいというかお調子者なのだろう。
……残念ながらいまだにその性格は変わっていない気がする。
率先してたリーダー格だったヤツより何倍もこっぴどく叱られたので当時は理不尽だと思って恨みがましい気持ちをもっていたが、今思えばふらふら流されやすいうえに根性が無く要領の悪い子供にがつんと言ってやりたくなるのもわからないでもない。
それが僕自身なのが実にいたたまれないが。
「ヒマゴのお祝いの残り」
「えっ!」
僕がしみじみと過去と現在の自分に思いをはせていると、実乃里がぼそっともらった千歳飴についての説明を付け足してくれた。
おかげで道路の向こうから喬がこちらに視線を送って来たほどめちゃくちゃびっくりして大声が出た。
なんでもない、気にするな。手を振ってやると喬は苦笑しながらまた元の体勢に戻った。
「よっちゃん結婚してたのか……」
とっくだよ、と実乃里は笑った。
というか、実乃里がまだマメに近所づきあいしてるのも意外だったが口には出さなかった。喬は知っているのかな。
米屋のよっちゃんは僕らの町内で子ども会のとりまとめをしていた。祖父が町内会の顔だったせいもあるだろう。じいさんとは正反対の、大人しくて僕らの優しい兄貴分だった。
僕らが幼稚園の頃にすでに学生服を着て遠くの学校に通ってたので、確かに子供がいたところでおかしくない。
「へー」
僕はしみじみと感心した。
これもまた自分に置き換えてみれば、小学校の高学年に入った頃には子ども会の集まりなんて一切参加する気もおきなかったのでよっちゃんは実に偉大だったのがよくわかる。
祖父であるおじさんが怖いだけじゃつとまるまい。
「よっちゃんの子供かあ」
その当のひ孫の顔は見たこともないが七五三のお祝いだというなら、僕が米屋のおじさんに怒鳴りまくられてた頃の歳に近いのだろう。なんだか不思議な気分だった。
実乃里は黙って千歳飴をなめている。甘い飴を僕はさっきとは少し違った気分で味わった。
道行く通勤通学の人たちも車の中の人たちも、朝っぱらからガードレールに腰かけて飴をなめてる高校生二人に怪訝そうに視線を送ってくるが気にしない。
断固として気にしない。
実乃里はまったくそういう周囲のことなど視界に入らないのか、一心不乱に千歳飴を短くしてしまうことに集中していた。
僕ら自身の七五三で神社に参った後もそうだったっけ。
アルバムに残っている数枚のスナップに、僕と喬は親たちの悪ふざけで着せられた振袖でけれどなにもわからずにっこり笑って写っている。
実乃里はその真ん中で千歳飴しか存在しない世界の子供のように、どの写真もひたすらせっせと飴をなめている顔ばかり残っていた。
当時の記憶はあやふやだけれど、証拠写真が残っているんだから間違いない。
卒業式だというのが無意識にやたら感傷的にさせているのか、僕が再び遠い昔の思い出にひたっていると今度は、不意にぐいっと強い力で腕をつかまれた。
「な、なんだ。次は何がおきたんだ」
「ん」
飴をくわえたまま実乃里が空いてる方の手で道路の向こうを指差している。こいつにしては珍しく一生懸命な顔をしていた。
指された方角に視線を向けて、すぐにわかった。高台のほうから坂道を高いヒールのロングブーツを履いて、早足で下ってくる女の人。