飛んで火に入る夏の虫
「助けぁげてもぃぃケド、代償としてなにか貰ぅ」
「……やっぱいい」
嫌な予感のした直樹は宙の申し出を断った。得体の知れない感じるのする宙に頼みごとをしたら、何を代償に求められるかわかったもんじゃない。もしかしたら、どっかの悪魔みたいに魂とか言い出さないとも限らない……ような気がすると直樹は思ってる。ある意味、直樹のとって宙は悪魔よりも怖い存在だった。
ワラ人形が素早く前に突き出る。
「勝ッタラ何カ貰エンノカ?」
「ダーリンを自分の所有物にしていい権利が今なら貰えちゃいマス!」
笑顔で言ったアイの言葉に反応して宙に耳が微かに動く。そして、宙はワラ人形をポケットの中に押し込めると、機械的な歩調で進み直樹の頭に両手をかけた。で、引っ張る。
勝負は三つ巴の展開に発展してしまった。
この展開に直樹は泣き叫ぶしかなかった。近所迷惑。
「なんで宙まで参加するんだよ!」
「ちょぅど、実験台が欲しかった」
蒼ざめる直樹。神に助けを祈ってみたりする。ヘルプミー!
この勝負、宙に勝たれると実験にされ、アイに勝たれると一生憑きまとわれ、だからといって美咲が好きだとも言えない。
ランドセルを背負った小学生の女の子が家に入ろうとして、ふと足を止めて直樹と目が合う。
「お兄ちゃんどうしたのぉ〜っ!?」
小学六年生の可愛らしい女の子は直樹の妹である遊羅だった。
「助けてくれ遊羅!」
直樹の叫びを聞きつけて遊羅が走り寄って来る。
「どうしたの、みんなでお兄ちゃんの奪い合い? 遊羅もやるぅ!」
小さな遊羅の両腕を伸び、直樹の腰に回ってガシッと掴む。状況悪化。
いろんな方向から引っ張られる直樹は失神寸前だった。
生死の境を彷徨う直樹の耳に幻聴が聞こえる。それはまるで呪文のようだった。
「スキスキスキスキスキ……ワタシをスキって言ぇ」
呪いの呪文っぽい。宙が直樹の耳元でブツブツ呟いていたのだ。
この戦いはすでに最初の趣旨を忘れ去られているような気がする。
過酷な状況下に置かれている直樹は今にも引き裂かれて死にそうだが、側から見たら笑える状況だった。首は仰け反り、両手両足を引っ張られて股裂け、胴体には妹がぶら下がっている。無様だ。
「死ぬぅ、特にアイの馬鹿力が……」
「ダーリン死ぬなんて言わないで、せめて最期にアタシのことが好きって言って!」
もう、誰かを好きというしかなかった。
「俺が好きなのは……」
この瞬間に全員が息を呑んで聞き入る。そして、直樹が選んだ相手とは!
「俺は妹の遊羅が大好きだーっ!」
「わぁ〜い、お兄ちゃん大好き!」
残り三人の女性の動きが止まる。負けた、敗北したのだ。
ため息をついた美咲の手が直樹の手足から離される。
「アホくさ……わたしがどうかしてたわ。じゃ、わたし家に帰るから」
くだらないことをしたという表情をした美咲はさっさと家に帰ってしまった。
敗北感に押し潰されるアイは電柱の傍らでしゃがみ込んで傷心中。
宙は何事もなかったように、というかいつもどおりの無表情だった。
「……残念」
全く残念そうじゃない宙の口ぶりだった。
この場でウキウキなのは遊羅だけ。
「わぁ〜い、お兄ちゃんに好きって言われちゃった!」
「当たり前だろ、俺が世界中で一番好きなのは遊羅だよ……あはは」
直樹の笑いは魂が抜けていて、もうどうでもいいって感じだった。
今はもう家に帰って誰にも邪魔されずにゆっくり休みたい、それが直樹の一番の願い。
電柱に八つ当たりしてキックをかましてるアイには目もくれず、直樹は遊羅を連れてさっさと家に逃げ込もうとした。しかし、その背中に微かな声がかけられる。
「直樹クン」
「なに宙?」
直樹が後ろを振り向くと、ワラ人形の顔をが眼前にあった。かなりビビる。宙は忍者並みに気配を消す天才だった。
「ぁの娘、悪魔でしょ、どうやって召喚したの?」
「……す、鋭い」
「悪魔の気配がしたから来てみたの」
宙の前髪の一部は触角みたいな形をしていて、何かを感知するとその触角が立つらしい。今はちなみ立っていない。触角の上げ下げは自在にできる……らしい。宙の噂は全部『らしい』が付く。
たじろぐ直樹の肩に宙の手がポンと置かれ、ワラ人形がしゃべる。
「マァ、頑張レ若造!」
機械的にターンした宙が去って行く。結局、何しに来たんだ?
呆然とする直樹の腕が引っ張られる。
「ねえお兄ちゃん帰ろ」
「……あ、うん」
遊羅に引っ張られるまま直樹は家に戻り、自分の部屋に向かって階段を駆け上がる遊羅の後ろ姿を見ながら、『今日も白か……』なんて思っていると、台所の方から楽しそうな会話が聞こえてきた。まさか!?
血相を変えて直樹は台所に向かった。するとそこにいたのは、直樹のテーブルに着いて団らんする母親ともうひとりのおまけ。
「やっほ〜、ダーリン遅かったね」
「誰がダーリンじゃボケっ! てゆーか、何で母さんがこいつと楽しそうに話してるんだよ!」
「あら、だって直樹の恋人なんでしょ?」
「違うから、そいつの言うこと鵜呑みにするなよ!」
不思議な顔をする直樹ママこと真実に対して、アイはモジモジしながら顔を赤らめて言った。
「ダーリンったら照れてるからあんなこと言うんですよぉ、きゃぴきゃぴ」
「あら、そうなの? 直樹って以外に照れ屋さんだったのね。ママそんな直樹の一面を垣間見れて嬉しいわ」
「母さん違うって言ってるだろ!」
直樹には常々思っていたことがある。――ウチの家族絶対変!
椅子から立ち上がったアイが直樹の腕に絡んでくる。
「ダーリンったら、恥ずかしがることないんだよ、ねっ?」
「恥ずかしいとかそういう問題じゃないだろ!」
「ダーリンったら強情なんだから、アタシのこと好きって言ってよ、言いなさいよ、言え!」
アイの人差し指と親指によって直樹の腹が抓まれる。おまけに捻りもついていて、痛い。
「スキスキスキスキ……だから離せ」
「はじめて好きって言ってくれた、アイちゃん嬉しぃ〜!」
両手を広げて直樹に抱きつくアイ。そんな光景を真実は微笑ましく見守る。
「二人は仲良しさんなのね、ママ嬉しいわ」
違うと直樹は否定したかったが、アイの腕に力がこもって無言で脅されたので言えず終い。恐妻家?
アイの腕からやっと解放されたところで直樹は一気にアイと間合いを取ってビシッバシッと言う。
「こんなヤツ大ッ嫌いだ!」
アイちゃん的大ショック!
『大ッ嫌いだ!』という言葉がアイの頭でエコーして、胸に槍のように何度もグサグサと突き刺さる。
「ひ、ひどい……ぐすん」
ショックを受けたアイはすぐさま真実の服を掴んで、涙で潤んだ瞳で真実に無言の訴え。仔犬の瞳作戦炸裂!
「直樹! 女の子を泣かすなんて酷いじゃない。アイちゃんに謝りなさい!」
完全に直樹ママはアイの味方だった。アイが真実に隠れて直樹にあっかんべーをしているとも露知らず。アイの口元は明らかに『ダーリンのば〜か!』と動かされている。この仔悪魔め!
震える拳を抑え、ついでに怒りも強引に押し込めた直樹はあきらめた。
「もういい、俺は夕食まで寝る、寝るぞ、邪魔すんなよ!」
作品名:飛んで火に入る夏の虫 作家名:秋月あきら(秋月瑛)