飛んで火に入る夏の虫
「俺は凡人以下なので、猿でもわかる説明してください」
「モリーの住まいは月にあるのぉん。それでこの池に映る月を通って月にワープするわけよぉん。わかったかしらぁん?」
意味は理解した。ただ、月って、ワープって……どないやねん!
静かに佇む水面を見つめながら宙がもっともな質問をベル先生にした。
「月が出てなぃけど?」
まだまだ日の高い日中。夜になるには随分あると思う。ま、まさかのベル先生計算ミス。と思いきや、待ってましたとばかりにベル先生がお嬢様笑いをした。
「お〜ほほほほっ、そんなこともあろうと準備万端よぉん!」
ちまたで有名な白衣のポケットからベル先生はアイテムを取り出した。
「地域限定夜発生装置よぉん!」
地域限定夜発生装置――読んで字の如く。地域限定である範囲内を夜にしてしまうという自然の法則を無視した大発明。二十二世紀のネコ型ロボットよりもなんでもアリなベル先生。
ブラックな色をした野球のボールほどの大きさの球体をベル先生は上空高く放り投げた。すると、宙に浮かんだ球体から黒い霧がモクモクと出ててきて、あっという間に辺りは夜になってしまった。ヴァンパイアには喜ばれそうな発明だ。
次にベル先生は白衣のポケットに手を突っ込むと、見るからに怪しげな緑色の液体が入った試験管を二つ取り出して直樹と宙に手渡した。
「月には空気がないから、これを飲みなさぁい」
宙は手渡された液体を躊躇せずに一気飲み。けど、直樹は躊躇いに躊躇う。だって、緑色の液体から泡がブクブク出てるし。
ベル先生は試験管の中身とにらめっこして固まっている直樹の腕を強引に掴んで謎の液体を無理やり飲ませた。
「早く飲みなさぁい!」
「うう……ぐぐ……はぁはぁ、一気飲みしてしまった」
「直樹偉いわぁん、よく飲み飲み干したわねぇん。ということで、これを餞別してあげるわぁん」
おもむろに白衣を脱いだベル先生はその白衣を無理やり直樹に着せた。
「ベル先生……もらっていいんスか白衣?」
「貸すだけよぉん。用が済んだらクリーニングに出して返してちょうだい」
「ってことは……ベル先生はついて来てくれないってことかよ!?」
「察しが早いわねぇん。わたくしは月には行かないわぁん。今日は友達と食事に行く予定が入ってるのよぉん」
もうなにも言うまいと直樹は心に誓った。ベル先生はこーゆー人だ。
直樹がため息をついて肩を落としていると、後ろからドン! 背中に蹴りを喰らって池の中に落ちた。
「うわぁ!?」
ジャポ〜ン!
水面に映った月が揺らめいて直樹を呑み込んだ。
月の裏側。月っていうのは常に地球に片面しか顔を見せていないのです。だから、地球上からは月の裏側を見ることができません。その月の裏側の地下にあるモリー公爵の屋敷。
昼も夜もない月の世界だが時間の概念はあるわけで、モリー公爵とアイは昼食をとっていた。ちなみにすぐ横ではマルコが正しい姿勢で立っている。マルコは主人と食卓を共にしないで、あとで淑やかに食事をとるのがいつもの日課。
「アイ様、お食事の手が止まっているようですが、今日も食欲がないのですか?」
「食べたくな〜い、食欲な〜い、マルコの顔も見たくな〜い、ママと食事するのもイヤ」
フォークとスプーンを持って子供のように駄々をこねるアイに対して、キラリと光るナイフを持ったモリー公爵があくまで静かに静かに言う。
「あの人間のことが忘れられないのかえ?」
「違うもん、ダーリンのことなんてとっくに忘れたもん。だってダーリンが悪いんだよ、ダーリンが……」
声を沈ませながらもアイはフォークをお肉にグサッと突き立てた。気持ちが不安定。
ナイフをお肉の上でブルブルさせてるアイ見てマルコは深いため息をついた。
「アイ様、金属のお皿が破損してしまいます、ナイフを上げてください。それと、あの小僧をダーリンと呼ぶのはお止めください、未練が乗っているように聞こえます。あと、アイ様はレディーなのですから、足を開かずにお座りください。それから――」
「うるさい、もぉいいよ! マルコもママも嫌い」
声を荒げて立ち上がったアイは部屋を出て行こうとして、部屋を出て行く寸前にアイは振り返って叫んだ。
「マルコだって女っぽくないじゃん、ば〜か、ば〜か、ば〜か!」
マルコ的大ショック!
精神的ダメージを受けてうずくまるマルコを尻目にアイは部屋を駆け出した。
アイは嫌になるくらい長い廊下を抜けて自分の部屋のドアを開けた瞬間にフリーズ!
自分のベッドで女性が男性の上に乗っている。その光景を目の当たりにしたアイは硬直した。そして、強張った顔をした男性の方とアイの目が合って、その男性が爽やかに軽く手を振る。
「や、やあ、アイ……久しぶり」
「ダ、ダーリンのばか!」
アイのベッドの上にいたのは直樹と宙だった。この状況を説明すると、亜空間ベクトルの出口がアイの部屋のベッドの上で、最初に月の道を通った直樹がベッドにドンと落ちて、次に直樹の上に宙がドンと落ちたわけ。決して昼間から、あ〜んなことやこ〜んなことをしようとしていたわけでない……と思う。
猛ダッシュしたアイは直樹の上に乗る宙を強引に掴みかかって引き剥がした。
「ダーリンを誘惑するなんて悪魔!」
悪魔に悪魔って言われるなんて……まあ言葉の綾だけどね。
投げ飛ばされた宙は埃を払いながら立ち上がって、相手をこばかにしたような笑いを浮かべる。
「……恋にライバルは付き物」
「ぐわっ、まだダーリンを寝取るつもりなのぉ!?」
女の熱いバトルがはじまりそうな中、ひとりだけついていけない直樹。直樹はポカンと口を開けるしかなかった。しかも、次の宙の発言で直樹の顎はガボ〜ンって外れた。
「……嘘」
嘘かよっ!
……てゆーか、どこが嘘だよ。どの辺りが嘘だよ。なにに対してが嘘なんだよ!
「ワタシはもぉとっくに直樹クンのぁきらめたから……心配ナィナィ」
そして、最後に不適に笑う宙。何を考えているかは不明。きっと、宙の心の内を知っているのは仲良しのワラ人形ピエール呪縛クンくらいだと思う――本人だし。
ベッドの上にちょこんと座って顎をガボ〜ンとさせている直樹の横にアイがちょこんと座った。アイの丸くて愛くるしい瞳が直樹の顔を映し出す。
「何しに来たのダーリン? もしかしてアタシを迎えに来てくれたとか?」
「そんなわけないだろ、ちょっと道に迷ったってか、なんていうか……」
嘘ヘタすぎ!
普通の人間が迷って来れる距離でもないし、言葉に詰まったらすぐに嘘だってバレるジャン!
ウキウキ気分のアイが直樹の腕に絡み付いていると、アイのようすを見に来たマルコが部屋に入って来た。
「アイ様、食事を途中で抜け出すなどモリー様も……こ、小僧!?」
刹那に抜かれるマルコの剣。次の瞬間には反射的に直樹は立ち上がって戦闘モードになってしまっていた。だが、直樹の姿は白衣に魔法のホウキにサンダル。サンダルってところがカッコ悪い。
剣を構えたマルコから殺気が漲っている。直樹が少しでも変なマネをしたら殺されるに違いない。変な……例えば直樹にアイが抱きついてるとかね。こ、殺されるぅ〜!
「小僧、アイ様をどうするつもりだ!」
作品名:飛んで火に入る夏の虫 作家名:秋月あきら(秋月瑛)