飛んで火に入る夏の虫
第六話『流れ解散……』
アイが自分の世界に帰ってしまって数日の時が過ぎ去り、直樹は昔と同じ平穏で退屈な日々を過ごしていた。
いつもどおり朝を向かえ、いつも通り美咲と一緒に学校に通い、宙や愛と楽しく会話する。ただ、ベル先生はあの一件以来姿を消してしまって行方不明だ。それ以外はアイが現れる前の生活となんら変わらない。そう、昔とはなんら変わらない。
昔と変わらない生活。けれど今は昔じゃない。昔があって今がある、今を生きてるからって昔がなくなるわけじゃなかった。
直樹はせっかくの休日を家でゴロゴロしながら過ごしていた。ちょっと前なら、部屋でゴロゴロしてるとアイが乗っかって来たものだった。けれど、アイは帰ってしまった。
物音を聞いたような気がして直樹は急に立ち上がって押し入れを開けた。けれど誰もいない。いるはずがなかった。
窓が開く音がして直樹は驚いて振り向いた。
「なんだ、美咲か」
「なんだで悪かったわね、窓から入って来るのなんてわたしくらいじゃない」
「それもそうだ」
直樹は再び畳の上に寝っ転がり、美咲が直樹の頭の近くに座った。
「直樹元気ないよね……アイがいなくなってから」
「そ、そんなことないぞ、俺は今日も元気いっぱいだ」
慌てて立ち上がった直樹を見ながら美咲は悲しい表情をした。
「わたしと直樹、いい線いってたと思ったのにな。アイがいなくなったら直樹がわたしに靡いてくれるかなってちょっぴり期待してたんだけど、アイがいなくなったら直樹は駄目人間になっちゃったよね。空元気の直樹見てるの辛いよ……」
途中から涙声になった美咲を見て直樹がひどく動揺する。
「泣くなよ」
「まだ泣いてないわよ、ちょっと泣きそうになっただけ。直樹の前じゃ絶対泣かないって決めたんだから」
「絶対泣くなよ、俺はおまえに泣かれたら困るんだよ。俺だってそんなバカじゃないんだから、ずっと前からおまえの気持ち知ってっからさ」
「ずっと知ってたなんて酷い。それでわたしの気持ちに応えてくれなかったなんて、サイテーだね」
二人がしんみりした雰囲気に浸っていると、机の引き出しがガタガタっと揺れて、中から何かが飛び出してきた。
「呼ばれて飛び出てチャチャチャチャ〜ン!」
「アイ!?」
思わず直樹は声をあげたが――違った。
机から出てきたのはアイの形をした腕人形。それを操っているのはカーシャだった。
アイが最初に直樹の前に現れた時に言ったフレーズと同じ言葉で登場したカーシャはボソリと挨拶した。
「ふふ……こんばんは(自分の悪質な冗談にちょっと反省……なんちゃって)」
サイテーの冗談だった。カーシャ極悪非道、絶対氷の心を持ってる。あっ、カーシャは氷の魔女王だった。あはは〜っ……。
カーシャは机の引き出しから這い出すと直樹の傍にちょこんと座った。
「アイが異界に帰ったと風の噂(ベル)で聞いたが、本当らしいな(ふふ……捨てられた仔犬)」
カーシャの心の声が聞こえたのか、直樹の心にグサッと槍が突き刺さった。かなりの精神的ダメージ。
「お、俺はアイが、い、いなくなって清々してるんだからな!」
動揺しすぎ。そこにカーシャが追い討ち。
「なんでもアイが帰る決め手をつくったのはおまえらしいな、風の噂(ベル)で聞いたぞ」
槍で射抜かれた傷に荒塩を練りこまれた直樹は完全に魂を飛ばし、畳に手をついて深〜く項垂れた。
直樹だってなんであの時にあんな言葉を言ってしまったのかわかっていない。強いて言うならばノリ。直樹はいつでもノリで生きている。それがちょっと今回は裏目に出た。
項垂れる直樹の両肩に美咲が優しく手を乗せた。
「直樹、顔上げて」
魂喪失の直樹はピクリとも動かない。
美咲の眉がピクッと動く。
「顔上げないさいって言ってるでしょ!」
無理やり直樹の頭を持ち上げた美咲はバシーン! と一発直樹の頬を引っ叩いた。
「直樹バカじゃないの、最初から落ち込むならなんで止めなかったのよ、ば〜か、ば〜か、ば〜か!」
「俺はバカだよ、だからどうしたんだよ。俺は寝るぞ、寝るったら寝る。だからみんな早く部屋出てけよ!」
自暴自棄になった直樹に対して何時になく真剣な顔をしたカーシャが呟いた。
「おまえは本当にそれでいいのか?」
「みんなで俺がアイのこと好きだったみたいな言い方するなよ!」
「自分の気持ちに嘘をつくと後で後悔するぞ(あっ、もう嘘ついて後悔してる、遅かったか……ふふ)」
どこからともなく魔法のホウキを取り出したカーシャ。彼女はそれを畳の上で寝転がる直樹の胸に突きつけた。しかもかなりの力で。ある意味グーパンチ。
「うっ……なにすんだよ!」
「受け取れ餞別だ。きっと何かの役に立つだろう。では、わたしは帰るぞ」
カーシャは直樹に魔法のホウキを渡すと机の中に戻って行った。と思いきや、すぐに顔を出して一言。
「この家は客にお茶も出さんのか(……頑張れよ直樹)」
心の中で直樹に言葉を送ったカーシャは本当に帰って行った。
カーシャから託されたホウキを握り締めながら直樹はうつむき震えていた。それを見た美咲は感動していた。
「直樹……アイを迎えに行く気になったのね」
「……こんなホウキ貰っても邪魔でぅあっ!」
そういうオチかいっ!
突然立ち上がって部屋を出て行こうとした直樹に美咲が声をかけた。
「どこに行くの?」
「腹が空いたからなんか食いに台所行く」
「……状況無視。周りの空気読めてないの?」
「おまえも食うか?」
「うん」
笑顔で即答。この人も場の空気無視だった。美咲も駄目ジャン!
ちょっぴり小腹の空いた二人は階段を下りて、廊下をちょこちょこっと進んで台所へ。ここで戸棚をモソモソっと直樹が取り出したるは、カップラーメン!
「これでいいか美咲?」
「うん、それでいいんだけど……なんでホウキ手放さないわけ?」
「気にするな、目の錯覚だ」
「目の錯覚って……」
カーシャからもらった魔法のホウキをなぜか台所まで持って来ている直樹。邪魔なら自分の部屋に置いてくればいいのに、ねえ?
直樹は二つのカップラーメンにお湯を入れて、それをテーブルの上に置いて美咲と一緒に三分待つ。
カップラーメンとにらめっこしながら直樹がボソッと呟く。
「呼ばれて飛び出てチャチャチャチャ〜ン……なんてな」
「なにそのフレーズ?」
「なんでもない、ただ言ってみただけ」
「……?」
――一分経過。
――二分経過。
――三分待たずにふた開ける。
固麺好きの直樹は三分待たずにふたを開けるのだが、三分前にふたのは他にも意味がある。
ふたを開けてカップラーメンを食べはじめた直樹は再びボソッと呟く。
「普通のカップラーメンだな」
「普通ってなにが?」
「いや、別に……」
「もう、さっきから変だよ直樹。アイちゃんのこと考えてるんでしょ?」
「……おまえには関係ねえよ」
「関係ないってなによ、都合の悪い時だけ関係ない?」
これから美咲の猛攻がはじまるってところで家のチャイムがピンポーンと鳴った。
直樹は箸で美咲の顔を指して次に台所の出口を指して一言。
「出て来い」
「それってわたしに『玄関に行け』ってこと」
「わかってるなら早く行けよ、客を待たせるのはよくないだろ」
作品名:飛んで火に入る夏の虫 作家名:秋月あきら(秋月瑛)