飛んで火に入る夏の虫
「な〜んちゃって」
固まる男は何が何だかわからなかったが、次の瞬間!
「ぐおっ!」
股間を押さえながら悶絶する男。ナオキの蹴りが決まったのだ。
男は股間を押さえながらよろめき、背中からバタンと地面に倒れて白目を剥いた。倒された男の中で一番凄惨な顔して気を失っていることは言うまでもない。ご愁傷様。
完全なる勝利感に浸るナオキ。
「伊達に元エースストライカーではないわ、あ〜ははははっ!」
ほっとして力の抜けた美咲が地面に尻餅を付き、ナオキがすぐに駆け寄った。
「大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないわよ」
急に涙をボロボロ流しはじめた美咲はナオキの身体に力いっぱい抱きついた。
――美咲が泣いたのを久しぶりに見た。
「泣くな、助けてやったのだから」
「だって、怖かったんだから泣くに決まってるじゃない!」
涙を流しているのにその声は怒っているようだった。
ナオキの身体を掴む美咲の力が強くなった。
「どうしてもっと早く助けに来てくれなかったのよ」
「どうしてって、ここに来たのだって偶然であって、わたしはエスパーではない」
「だって小さい頃、『美咲は一生俺が守ってやる』って約束してくれたじゃない」
「はぁ? そんな約束……したな。だが、その約束をしたのはわたしではなく、直樹♂の方であるし、そんな昔の約束を掘り返すな」
小さい頃、美咲は近所のガキンチョどもによくイジメられていて、直樹はそれをよく助けていた思い出がある。その時にそんな約束をした記憶がある。けれど、いつの間にか美咲は近所のガキンチョを泣かすくらいに喧嘩が強くなっていて、直樹が活躍することも次第に少なくなっていった。そんな遠い過去の約束。
何時になく可愛らしい表情をした美咲がナオキの顔を上目遣いに覗き込んだ。
「じゃあ、こんな約束覚えてる?」
「なんだ?」
「大きくなったらわたしのことお嫁さんにもらってくれるっていう」
「……したな。だが、それも直樹♂のした約束だ。しかし、わたしはおまえのことを愛している、すぐにでも結婚してやってもよいぞ」
「えっ?」
「おまえだけではない、この世の全ての女性を愛しているのだ。いつの日か、必ずや世界中の女子を我がものにしてくれる、あ〜ははははっ!」
少し顔を赤くした美咲だったが、今の発言を聞いて大きくため息を吐いた。
「サイテー、女のナオキはサイテーね」
「命の恩人に向かってサイテーとはなんだ。こんな男に引っかかるおまえの方がよっぽどサイテーだ」
「だって、デートしたらお金くれるって言ったから」
「そ、そんなアホな口実に引っかかったのか? 恥だ、こんな女が世の中にいるなんて女の恥だ」
「だって、朝のことで頭にきちゃってて、それでどうにでもなれって感じだったから」
朝のことと聞いてナオキは思考をグルングルン巡らす。ナオキの記憶は直樹と共有しているので、直樹が体験したことは全て覚えている。だが、直樹の方はナオキだった時ことは覚えておらず、いつも後から聞かされていた。
「あ〜、直樹♂に素っ気ない態度されて、そこにアイに追い討ちをかけられたあれか」
「素っ気ない態度って他人事みたいに言わないでよ、あなた直樹なんだから」
「あくまで直樹♂とわたしは違う存在だ。それから、いいこと聞かせてやろう。おまえがいなくなった後、直樹♂の機嫌が悪くなってな、おまえに謝るようにアイに言っていたぞ」
「直樹が?」
「直樹♂もああ見えておまえに気を使っているのだろう。直樹♂の心は激しく揺れている」
直樹の顔で直樹の気持ちをナオキに語られると少し変な気分だ。直樹の心を直接覗いている感じで美咲は悪い気がした。ズルイ気がした。
サッと立ち上がったナオキは地面に落ちている自分の制服を拾い上げて埃を手で払った。
「さて、わたしは世界征服を企てるために行くぞ」
「ちょっと酷いんじゃないの、わたしのこと置いていく気?」
「そうだ、自転車どうしたんだおまえ?」
「ちょっと離れたとこに置いてる」
「じゃあ、そこまでは送ってやろう。我が愛車の荷台に座るがよい」
ナオキが近くに転がっていた自転車を起こして跨ると、美咲が荷台に座って直樹の腰に腕を回した。美咲のやわらかな胸の感触とともに体温がナオキの背中に伝わる。相手がナオキでも美咲の心臓は激しく鼓動を打っていた。できれば、すっと……。
ペダルに力を込めたナオキが一言。
「……重い」
「そんなに重くないわよ」
「いや、重い」
文句を言いながらも自転車は進みはじめた。
しばらく二人だけの時間を美咲が過ごしていると、後方から豪快なエンジン音が近づいて来た。雰囲気ぶち壊し。
美咲が後ろを振り向くと、そこにはノーヘルで大型バイクに跨っている白衣姿の女性。白衣でバイクに乗る人は滅多にいない――ベル先生だ。
「そこの二人乗り自転車止まりなさぁい!」
この声を聞いたナオキも後ろを振り向く。
「なぜベルがここにいる。今は学校時間帯だろうに」
ナオキはベル先生から逃げるのは得策でないと考えて自転車を止めた。すぐに大型バイクが横付けされて止まる。
「ナオキちゃんと美咲ちゃん、白昼堂々学校サボってデートかしらぁん」
「そうだ」
ナオキは否定するでもなく認めた。だが、すぐに美咲が否定する。
「ウソです、デートなんかじゃありません。そんなことよりも、ベル先生がなんでこんなところに……校外パトロールですか?」
「よくぞ聞いてくれたわぁん。学校なんてそんなくだらない場所に行ってるヒマじゃないのよぉん。この街にある女が来たって情報を仕入れて探してるところなのよぉん」
ある女と聞いてナオキの頭にある女性の姿が浮かぶ。
「ベルが探している女とは、鎧を着た変な男を連れたアラビアンな感じの女か?」
「そうよぉん、なんでナオキちゃんがモリーちゃんのこと知ってるのぉん?」
「さっき会ったぞ。なんだかアイを探しているとかでな」
「あぁん、やっぱりアイちゃんを探しに来たのねぇん、あの女は……。そーゆーことでナオキちゃん、モリーちゃんと会った場所まで案内しなさい」
「はぁ?」
ベル先生はいつも強引です。逆らってムダです。さっさと従った方が身のためです。でないと身の保証ができません。
ナオキは自転車を折りながら美咲に言った。
「わたしはこれからベルとともに行く。美咲はわたしの自転車に乗って家に帰るなりしろ」
「わたしの自転車はどうなるのよ?」
「知らん」
ナオキはきっぱりと言ってベル先生のバイクに二人乗りした。
エンジンを吹かせてベル先生が美咲に手を振る。
「じゃあ、ナオキちゃんを借りていくわねぇん」
「ちょっと待ってくださいよ!」
美咲の言葉も空しくバイクは走り出した。その荷台からナオキは美咲に手を振る。
「さらばだ美咲!」
背中の後ろで小さくなっていく美咲の姿を見ながら、ナオキはベル先生に声をかけた。
「あのモリーとかいう女は何者なんだ?」
「わたくしのダチの悪魔で元は月の女神。モリーっていうのは愛称で本当はグレモリーって名前なんだけど、それも本名じゃなくて、本名はレヴェナ。争い嫌いとか自分では言ってるけど、本当は清ました顔して性根が腐ってるのよぉん」
「性根が腐ってるようには見えなかったが?」
作品名:飛んで火に入る夏の虫 作家名:秋月あきら(秋月瑛)