飛んで火に入る夏の虫
第五話『アゲクの果て』
いつもの朝、いつもの光景、いつものように学校に登校。
通学バッグを自転車カゴに入れて直樹が自転車を漕ぎ出す。その横では魔法のホウキに跨ったアイの姿。これがいつもの登校風景だった。
アイの存在はご近所さんでも有名で、いろんな人から可愛がられている。ご近所のアイドル的存在といった感じだ。
直樹とアイがゆったり登校していると、後ろから自転車に乗った美咲が追っかけて来た。これもいつもの朝。
「二人とも待ってよ!」
待つまでもなく美咲は追いついてくるので待たない。すると、追いついて来た美咲は決まってこう言う。
「待ってって言ったじゃない」
「待たんでも追いついてくるだろ、おまえは」
直樹が素っ気なく言った。すると美咲は少し怒った表情をするが何も言わない。
三人での登校風景もいつもの風景だった。だが、ここでいつもと違う発言を美咲の方を向きながらアイがした。
「なんでいつもダーリンとアタシの時間を邪魔するの?」
「わたしが二人の邪魔? いつどこで?」
「アタシとダーリンがいつもこうやって学校行ってると、いつも後ろから追っかけてくるじゃん」
「別に追いかけてきてるわけじゃないわよ、もともとあなたが現れる前からわたしと直樹は一緒に学校行ってたんだから。だって、あなたが現れるようになってから、直樹がわたしのこと置いていくようになったから、だから……」
美咲の話を聞いてアイが『そうなの?』という表情で直樹の横顔を覗き込む。
「俺は別に美咲のこと置いててってるつもりねえし、昔だって別に一緒に行ってたわけじゃなくて、俺が遅刻しないようにおまえが迎えに来てただけじゃんかよ」
少しばつの悪そうな顔をする美咲をアイが勝ち誇った顔で見る。
「美咲の勝手な思い込みじゃん。今はアタシがダーリンを遅刻しないように起こしてるから、美咲はいらないよ〜だ!」
一瞬すごく怒った表情をした美咲だったが、すぐに悲しそうな表情をして自転車のペダルを漕ぐ力を入れた。
「全部わたしが悪かったです、二人の邪魔してすみませんでした!」
そう言って美咲はすごいスピードで自転車を漕いで行ってしまった。
やっと直樹と二人っきりなれたアイは心を弾ませてウキウキだった。
「やっとダーリンと二人っきりだね。こんな朝の風景をどんなに待ちわびたことか……」
「…………」
ニコニコ顔のアイに対して直樹の顔はちょー不機嫌そうだった。
「どうしたのダーリン?」
「別に」
「別にって顔してないよ、すっごく機嫌悪そう」
「すっごく機嫌が悪いからに決まってるだろ」
「どうして?」
「おまえのせいに決まってるだろ」
「……あ、アタシ?」
アイちゃん的大ショック!
と思いきや、ショックというよりも意味がわからなくて、アイはきょとんとした顔をして魔法のホウキの動きを止めてしまった。
直樹の足も止まり、その場できょとんとしてるアイの方を振り返って言った。
「あとで美咲に謝れよ」
「な、なんでアタシが? アタシ美咲になんかしたっけ?」
「態度悪かっただろ」
「悪くなかったよ、いきなり美咲が先に行っちゃっただけじゃん」
「それがおまえのせいなんだろ」
自転車を一八〇度回転させた直樹はアイの横をすり抜けながら呟いた。
「帰る」
「え、あ、えぇ!?」
呆然と立ち尽くすアイを置いて直樹は自宅に向かって自転車を走らせた。すると、魔法のホウキに乗ったアイが猛スピードで追って来る。
「待ってダーリン!」
直樹はそれを振り切ろうとペダルを漕ぐ力を入れる。けれども魔法のホウキの最大時速は無限大。ホウキに乗る者によって、その最大時速は変わるのだ。ちなみにアイの出せる最大時速は時速三〇〇キロメートルほど、つまり――。
「ダーリン止まって……アタシぐあっ!?」
最大時速ギリギリのスピードで飛んだアイが直樹を通り越して、遥か彼方へキラリーンと星になった。つまり、ブレーキが効かなかったということ。
姿の見えなくなったアイへ自転車を止めた直樹から一言。
「アホかあいつは」
再び直樹がペダルに足をかけた時、近くの家から夫婦喧嘩をする物音が聞こえて来た。
「離婚よ離婚!」
「おう離婚でもなんでもしてやるよ!」
喧嘩するほど仲がよいとは言ったものだが、実際のところはどうなんだろうか?
直樹は小さく息を吐いて今度こそ自転車を漕ぎ出そうとした。だが、夫婦喧嘩をする家の中からフライパンが窓ガラスを破って飛んできた。
「甘いな」
カッコよく華麗にすっとフライパンを避けた直樹。次に包丁も飛んできたが、それも避ける。だが、もう一つ放物線を描いて飛んでくる物体に直樹は気づいてない。
ゴン!
やかんが直樹の脳天直撃。しかも中身が入っていたのでかなり痛い。
バタン!
脳天クリティカルヒットされた直樹は自転車ごと地面に転倒、気を失った。
気を失い倒れている直樹の横を鎧を着た黒髪の武人と、月の砂漠を連想させる駱駝に乗った中東風の衣装を着た女性が通りかかった。住宅街では滅多に見られない装いだ。というか、場違い。
「マルコ、歩みを止めよ」
気高い声で駱駝に乗った女性が言うと、武人が機械のようにピタッと足を止めた。
「なんでございましょうかモリー様」
「そこで行き倒れる子供を助けてやるがよい」
「畏まりました」
主人に頭を下げた武人は地面に倒れている直樹の脈を取り息を確かめると、軽く直樹の頬を叩いて目を覚まさせようとした。
「しっかりするのだ小僧」
「う……ううん……」
ゆっくりと目を覚ました直樹は目の前の顔を見てビビる。
「わっ!? 誰だおまえ!」
「おまえとは失礼な、俺の名はマルコ。こちらに居られるのは我が主君モリー公爵様だ」
「はぁ?」
きょとんとする直樹。
マルコと名乗った武人の顔は男性にしておくには持ったいくらいの綺麗な顔立ちで、肩まで伸びた美しい黒髪が静かな風に揺られていた。そして、この美しい武人よりも美しいのがひと目で良家の娘だとわかる駱駝に乗ったモリー公爵だった。
モリー公爵の高貴な顔立ちからは少しもの哀しげな雰囲気が感じられ、どこか哀愁の漂う表情をしている。そんなモリー公爵は清閑な眼差しで直樹を見据えた。
「そち、名を何と申すのじゃ?」
「よくぞ聞いてくれた、わたしの名はナオキ。世界を統べる予定の者だ!」
先程気を失った際に直樹はナオキになっていたのだ。
ナオキの言葉を聞いたモリー公爵の静かな瞳に微かな火が宿る。
「ほう、人間風情が世界を統べると申すか?」
「は〜ははははっ、その通りだ。わたしが世界の覇者になった暁にはあんたを愛人にしてやってもいいぞ、あ〜ははははっ!」
高笑いをするナオキの襟首をマルコが掴みかかった。
「無礼であるぞ、すぐにモリー様に謝るのだ」
「わたしに指図するつもりか、このナオキ様に指図するとはいい度胸だ!」
直樹はナオキになると態度がデカくなる。普段の直樹であれば、猛ダッシュで逃げるか、土下座して謝っていたに違いない。マルコの気迫はそれほどのものだった。
相手を睨み殺そうとするマルコにモリー公爵が静かな声で命じた。
「子供の冗談に腹を立てるでない、許してやるがよい」
震える拳を抑えながらマルコはナオキを地面に下ろした。
作品名:飛んで火に入る夏の虫 作家名:秋月あきら(秋月瑛)