飛んで火に入る夏の虫
床に寝そべり死相を浮かべる直樹が宙の足首に手をかけた。
「マジで俺を殺す気か……すぐにやめろ!」
「ワタシのこと好きになるまで止めなぃ」
「卑怯だぞ、そんなやり方で俺に好きって言わせて本当に嬉しいのかよ!」
「それでもぃぃ……。術に頼ってでも相手が振り向ぃてくれればそれでぃぃの」
「俺はそんなの認めんぞ。おまえは間違ってる、性根が腐ってる!」
「性根が腐ってるから呪に頼るの……やっぱり直樹クンばか」
こんな状況でもからかわれてるのか、それとも本気で言われたのか。からかわれてる方に一票!
胸の痛みが激しくなって来て、直樹は死に物狂いで宙の身体をよじ登りはじめた。
直樹の掌に伝わるやわらかい感触。
「直樹クンのえっち」
「ふ、不可抗力だ!」
直樹の手は宙の豊満な胸を鷲掴みしていた。しかも、苦しさのせいでかなり強く握ってる。まるで宙に抱きついて襲い掛かっていうような光景になってしまった。
こんな恥ずかしい光景を目の当たりにした何者かが叫び声をあげた。
「ダーリンのえっち!」
音楽室の扉を開けて突然入ってきたアイ。あの顔は真っ赤に染まって、直樹のことを軽蔑した目で見ていた。軽蔑されるのも無理がない。だって、直樹の手が宙の胸にあるんだもん。
「ダーリンのえっちえっちえっち、女の身体に飢えてるならアタシに言ってくれればよかったのに、クラスメートを襲うなんてヘンタイだよ!」
慌てて宙の胸から手を放した直樹はアイに駆け寄った。
「違うんだって、順番を追って説明してやるからよく……うっ!」
急に胸を押さえて倒れこむ直樹。アイは突然のことに目を白黒させた。そして、微笑む宙はワラ人形に杭を打ちつけていた。
「直樹クンはワタシのものになるのよ」
「ダーリンが宙のものに!?」
アイは床でもがき苦しむ直樹の襟首を掴んで無理やり立たせると、バシーンといっぱつ平手打ち!
「ダーリンのばか! アタシという女がいながら浮気するなんて……日本国の法律だと同時に複数の女性と結婚できないんだよ!」
「俺の話を聞けと言ってるだろうが……うっ!」
再び打ち付けられる杭。そんなこととはつゆ知らずのアイ。
「そうやって病気のフリして話をはぐらかすつもりなの……ダーリン最低!」
「違うと言ってるだろうが、これは……ううっ!」
「ダーリンのばかぁ!」
「だからこれは呪なんだよ……うううっ!」
「呪?」
きょとんとしたアイと宙の視線が合う。
宙の手にはカナヅチとワラ人形。そのワラ人形には杭がブッ刺さっている。アイちゃんのシンキングタイム。そして、解答は?
「呪!?」
「だから俺がさっきからそう言ってるだろうが……ううううっ!」
アイの肩にもたれかかるようにした直樹は気を失った。
「ダーリンしっかりして!」
返事がない。人はこれを気絶と呼ぶ。
真っ赤な顔で憤怒したアイの身体がブルブル震える。もちろん寒いからではない。怒っているのだ。
「よくもダーリンを酷い目に遭わせてくれたわね、もぉ泣いたって許さないんだから!」
「……ぅぇ〜ん、ぅぇ〜ん。泣ぃてみた」
人を小ばかにような笑みを浮かべた宙に、アイは本気と書いてマジでぶちギレた。
「あぁ〜もぉ、アタシ本気で怒ったかんね! ちょープリティーなアタシが怒ると怖いんだかんね、覚悟しいや人間!」
「……怖ぃ怖ぃ、ぶるぶる」
宙の挑発は止まることを知らなかった。しかも感情ゼロで、言い方が淡々としているのが妙に腹が立つ。
怒り頂点マックス越えちゃって一二〇パーセントのアイは魔法のホウキをどこからともなく取り出した。
「くたばれ人間!」
魔法のホウキを長刀のように構えてアイが地面を蹴り上げジャンプした。
ジャンプした時の弱点その一。飛んだら最後、通常空中では自由な身動きができず、方向転換することは難しい。
無表情な宙がカナヅチを投げた。
「……喰らぇ悪魔」
ゴン!
見事命中。宙ちゃんには一〇〇ポイント差し上げます。
「アイタタ……金物は反則だよぉ」
頭を押さえながらうずくまるアイは涙目だった。カナヅチ攻撃はかなり堪えたらしい。当たり前だけど。
かなりやられぎみのアイちゃんの報復手段。投げられたら投げ返せ!
床に落ちてるカナヅチを拾い上げたアイは力いっぱい宙に投げつけた。
「えいっ!」
クルクル回転して向かって来るカナヅチを宙は軽やかに避けた。何気に運動神経はいいらしい。しかも、よく見るとキャッチしてるし。
カナヅチをキャッチした宙は無言でそれを投げた。
ゴン!
「いたーい! 弱ってる相手に追い討ちかけるなんて卑怯者!」
「……敵は起き上がれなくなるまで叩き潰せ。ウチに代々伝わる家訓」
「そんな家訓作るなよ、ば〜か!」
「ばかって先に言った方が、超ばか。これもウチの家訓」
「イチイチ癇に障る家訓だなぁ〜」
今までしゃべっていたアイが突然立ち上がって宙に攻撃を仕掛けた。
魔法のホウキを横に大きく振りながらアイが叫ぶ。
「油断大敵、これアタシの座右の銘……あっ!?」
顔面直撃脳天炸裂するはずだったホウキは宙の素早い手刀によって叩き割られてしまった。宙ちゃん実は肉弾戦強い?
空かさず宙の無表情チョップがアイの脳天に炸裂!
「いたーい! もぉさっきからやられっぱなしだよ」
「愛のチカラは偉大。ワタシが直樹を想ぅチカラは誰にも負けなぃ……かも」
「ダーリンのことを世界で一番想ってるのはアタシですぅ〜!」
「ワタシ」
「アタシ!」
「タワシ……ふふ」
「ふざけてるの?」
「ぅん」
最高の笑みで宙はうなずいた。この子の性格よくわからん。
二人がもうすぐキスしちゃますよくらいの距離に互いの顔を近づけて対峙していると、横たわる直樹の近くで声がした。
「大丈夫か直樹、しっかりしろ!」
直樹をしゃがみ込んで膝で抱きかかえる愛の姿がアイと宙の目に入った。恋のライバル出現!
愛が直樹の身体を強く揺さぶる。
「しっかりしろ、目を覚ますのだ!」
直樹は返事一つせず、目を覚ますことはなかった。
微かに鼻で笑った愛が直樹を丁重に床に寝かせて立ち上がった。
「誰が直樹をこんな目に遭わせたのだ、名乗り出るがよい!」
アイが宙を指差した。
「宙が呪でやった」
鋭い眼差しで愛は宙を睨み付けた。
「本当か、宙?」
「ま、まさか!? ワタシが……やったよ」
にこやかに笑う宙。それを見た愛は鞘からゆっくりと刀を抜いた。
「よくも、親友とて私の直樹をこんな目に遭わせると許してはおけぬ!」
切っ先を宙に向けるマナにアイからツッコミ。
「……私の? いつからダーリンがアンタのもんになったのよ!」
剃刀のように鋭いツッコミに愛はたじろぎながら顔を赤くした。
「い、いや、それはだな……そうなったらよいという過程の話であって……」
「ダーリンのこと好きってことでしょ? あーっもぉ、やっぱり愛はダーリンのこと狙ってたんじゃん。二人揃ってダーリンのこと狙って、ダーリンはアタシだけを見てればいいの!」
宙に向けられていた刀の切っ先がアイに向けられた。
「それは自分勝手というものではないのか? 直樹が貴様だけを見てればいいなど自分勝手極まりない。伴侶を選ぶのは直樹だ!」
作品名:飛んで火に入る夏の虫 作家名:秋月あきら(秋月瑛)