飛んで火に入る夏の虫
教室の壁や窓や床には霜が発生し、灯されていた蝋燭の炎が朱色から蒼白く変わる。この現象の発生源は言うまでもない、氷の魔女王カーシャ。
魔法のホウキを構えたカーシャの眉がピクッと動いた。その瞬間、床、壁、そして天井から巨大な氷針が幾本も突き出した。
「なんじゃこりゃー!?」
直樹はあられもない声を上げて、紙一重で氷の刃を『つ』や『大』の字になったりして避ける。そして、氷に挟まれて『と』の字になって動けなってしまった。冷や汗も凍ってしまっている。
ベル先生が叫ぶ。
「トランス状態のカーシャちゃんは誰にも止められないわぁん、逃げるのよぉん!」
これを聞いてみんなは一目散に『逃げる』コマンド発動!
一番早足なのがベル先生、次が存在感の薄い宙、次が足取りの可笑しい愛、そして最後に教室を出て行こうとするアイの背中に直樹が悲痛の叫びを投げかける。
「待ってくれアイ! 俺を見捨てる気か!?」
「ダーリン……生きてたらまた会おうね……ぐすん」
目頭に手を当てながらアイは内股で去って行った。
――見捨てられた!
氷に挟まれて動けなくなっている直樹に無表情なカーシャがジリジリと近づいて来る。
「覚悟はいいか小僧(あ〜んなことや、こ〜んなことをしてやる……ふふ)」
「……よくない」
すっかり酔いの醒めた直樹の顔は死人のように蒼ざめている。
カーシャが魔法のホウキをカッコよく回して呪文を唱える。
「ライラ、ルルララ、出でよ魔界の魔獣!」
魔法のホウキによって円を描かれ現れたゲートから禍々しい風が教室内に吹き込む。そして、そのゲートの中に光る眼、眼、眼。いくつもの眼が直樹を狙っている。
キシャーッ!!
奇声をあげながら鋭い爪を持った魔獣が直樹に襲い掛かった。
「きゃはは、やめて……くれ」
直樹の身体に群がるピンクのうさぎさん人形。うさしゃんたちは直樹の身体を一心不乱にくすぐっていた。な、なんと怖ろしい魔獣なのだろうか。まさに生き地獄だ!
「あはは、きゃはは、やめろ!」
身体を動かせないもどかしさ。抵抗できない苦しみ。しかも、うさしゃんは攻撃のツボを心得ていた。
「ふふふ……どうだ、苦しいか。このまま笑い死にさせてやる(学校で笑い顔の変死体発見……ふふ、ウケる)」
「頼む、頼むから殺すんだったら、一思いに……あっ?」
笑いによって直樹の体温が上昇したお陰で、氷が解けて直樹の身体がツルッと抜けた。
一時停止する、直樹&カーシャ&うさしゃんたち。
そして、直樹脱走!
猛ダッシュで直樹は教室を抜け出し廊下を駆ける。廊下は走っちゃいけません、なんてのは今は無視。
「直樹、待つのだ!」
叫ぶカーシャがホウキの先端を直樹に向けると、うさしゃさんの大群がピョンピョン跳ねながら直樹を追った。
必死こいて逃げる直樹は薄暗い廊下を走る。非常灯のお陰で前が見えるが、後ろからピンクのうさぎが追ってくる光景はホラー以外のなにものでもない――マジ怖い。しかも変な奇声あげてるし。
直樹は階段を駆け上がり、きっとここでうさぎさんたちは二手に分かれてくれるハズ。
そのまま足を止めることなく走り続けた直樹はふと後ろを振り向く。うさぎさんたちの気配はなくなっている。きっと巻けたに違いない。よかったよかった。
と思ったのも束の間。直樹の前に現れた人影に直樹絶叫。
「ぎゃ〜っ!」
直樹が腰を抜かすと相手も腰を抜かした。
胸に手を当てて鼓動を沈め、直樹は冷静になって相手の姿を見た。
「な〜んだ、脅かすなよ鏡じゃんかよ……」
相手が鏡に映った自分だと知り、ほっとした直樹の脳裏にあることが浮かぶ。――学校七不思議。
直樹の通う某○○中学には学校お約束の七不思議が存在する。その中の一つである『死の鏡』の噂話。深夜遅く四階にある人の全身を映せる大きな鏡に自分の姿を映すと、死に際の自分の姿が映し出されると云う。
直樹はブルッと身体を震わせて立ち上がろうとしたが、腰が抜けて立ち上がれない。しかも、怖くて逆に鏡から目が放せない。最低最悪の状況だった。
鏡にすっと人影が映った。もちろん直樹ではない。次の瞬間、蒼白く冷たい手が直樹の肩に乗った。
「ぎゃ〜っ!」
「叫ぶでない、私だ」
「えっ!?」
直樹が自分の肩に乗った手から視線を登らせていくと、そこにいたのは愛だった。
「脅かすなよ」
「脅かすつもりなどなかった」
「手を置く前に声かけるとかしろよ!」
「そ、そんなに怒らなくても……」
突然愛が涙を流して泣き出した。
「ど、どうしたんだよ、俺が泣かしたのか!?」
「だって、だって、直樹が急に怒るんだもん」
泣きながら愛は直樹の身体に抱きついて押し倒した。
火照った愛の身体はとても温かく、直樹はあることに気が付いた。
「もしかして、おまえ酔ってないか?」
「私酔ってないよ〜ん、ひっく!」
完全に酔っていた。
呆れ返った直樹は愛の身体を退かして起き上がろうとするが、愛は直樹の身体に足を絡めてきて立ち上がることを許そうとしない。
「直樹……もっと、こうしていたい」
「バカなこと言うなよ!」
「直樹は私のこと嫌いか?」
「嫌いとかそういう問題じゃなくって、友達としてこういう行為は……!?」
唇と唇が重なった。眼を丸くする直樹。愛のやわらかな唇によって直樹の言葉は完全に塞がれていた。
ゆっくりと直樹から顔を離した愛は自分の唇をいやらしくぺロッと舐めた。それを見た直樹の体温上昇。惚けて何も言えない。
「私は直樹のことが好きだ……そう、ずっと好きだったのだ」
「……マジで!?」
酔いのせいか、顔を赤らめている愛が小さく頷いた。普段凛々しい表情ばかりしている、愛の恥じらい姿に直樹胸キュン!
「直樹のことがはじめて出逢った時から好きだった」
「……マジで!?」
直樹の頭にモーソー、トキメキ、ロマンスが駆け巡る。そう、一時期直樹は愛に恋心を寄せていた時があったのだ。だが、相手は大財閥のご令嬢、一般階級の自分には高嶺の花だと想いを断念したのだ。その愛が今……。
愛が直樹の首に手を回し、耳元で何かを呟く。
「直樹は私のこと好きか?」
「はぶっ!?」
耳に優しい声が吹きかけられ、直樹の身体はビクンと震えた。しかも、高級そうなシャンプーの匂いが直樹の理性を崩壊させようとしていた。このままでは間違いを起こしてしまう。今にも野獣になりそうだ。
激しく揺れる直樹の心。片思いだと思っていた人からの突然の告白。嬉しくもあり、苦しくもあった。そう、今更なのだ。
愛の身体を強く突き放して立ち上がった直樹は深く頭を下げた。
「すまん、俺も昔おまえのこと好きだったことがあったけど……とにかく、ごめん」
その言葉を聞いて愛は瞳を涙で潤ませた。
何も言わない泣き顔の愛の表情は今すぐ抱きしめてあげたいくらいだったが、直樹はその想いを振り切ってこの場から逃げた。
「すまん!」
走り去る直樹の背中を見ながら、愛は涙を腕で拭き取った。
その場の雰囲気から逃げるために失踪した直樹であったが――今になってショック!
真っ暗な学校の中で独りになってしまったのは大誤算だった。
作品名:飛んで火に入る夏の虫 作家名:秋月あきら(秋月瑛)