飛んで火に入る夏の虫
第三話『そんなこんなで休日』
仔悪魔アイとの共同生活を営みはじめて早数日の月日が過ぎ去り、直樹は毎日の生活をある意味退屈しないで過ごしていた。そんな直樹にもやっと安息できる休日がやって来たのだ。
「ダーリン、あそぼ!」
――安息できないようだ。
畳の上にごろんと寝転がっているいる直樹の上に、いきなりアイが覆いかぶさってくる。
「うっ!」
アイの膝が直樹の腹にボディブロー。
「ダーリンどうしたの!?」
「腹……が……」
「空いた?」
スパーン!
直樹のチョップがアイのおでこに炸裂。その勢いでアイは畳に尻餅をついてチラリン。スカートの合間から覗く水色ストライプ。今日はクマさんではないらしい。
せっかくの休日だというのに直樹に安息はない。しかも、ただの休日ではないのだ。
「ダーリン今日の夕飯何にする?」
「おまえは作らんでいい」
「せっかく腕によりをかけてダーリンに美味しいもの食べてもらおうとしたのに」
「腕によりをかけんでくれ」
昨日も手作りお菓子とかいう触手のついたナマモノを出されたばかりだった。
「だが、夕飯の問題は重要だ。昼はカップラーメンで済ませたが、夕飯もカップラーメンというのは嫌だ」
「やっぱりアタシが作る」
「だから作るな」
直樹の両親は今朝から出かけていて今日は帰って来ない。しかも、妹の遊羅は友達の家に泊まりに行った。つまり、今晩はふたりで夜を明かすことになってしまったのだ。
アイの料理は人間の歓声には合わず、直樹ができる料理といったらカップラーメンにお湯を注ぐくらいである。まあ、一食くらい抜いても死にはしないだろうけど、腹は空く。
「困ったな」
直樹が天井にシミを数えながら考え事をしていると、部屋の片隅から女性の声が聞こえてきた。
「で、直樹はなに食べたいわけ?」
この声を聞いて直樹が畳から起き上がる。
「な、なんで美咲が俺の部屋にいるんだよ!?」
部屋の片隅では美咲が自分の部屋のように寛ぎながら雑誌を読んでいた。
『どっから進入して来たんだよ』というツッコミはあえてしない。美咲は自分の家の屋根を伝って忍者のように直樹の部屋に無断進入してくるのだ。今日も窓から侵入して来たに違いない。ビバ幼馴染!
雑誌をパタンと閉めた美咲は身体を伸ばしてアイに視線を向けた。
「アイちゃんはなにか食べたいものある、人間の料理限定で?」
「う〜ん、大トロ」
「却下。もう一度聞くけど直樹はなに食べたい?」
「だから何で美咲がそんなこと聞くんだよ?」
「質問を質問で返さないこと。でも、答えてあげる。直樹のママに直樹の面倒みるように頼まれたから、?嫌々?夕飯作ってあげるのよ」
「嫌々だったらやんなよ」
「じゃあ飢え死にでもしなさいよ」
少し怒ったようすで立ち上がった美咲は入ってきた窓から出ようとした。それを慌てて直樹が止める。
「待て、俺が悪かった。ウチにある有り合わせでいいからなんか作ってくれ」
「お願いしますは?」
「ダーリン、美咲にお願いなんてしなくてもアタシが作ってあげるよ」
「おまえは黙ってろ。お願いいたします美咲様」
直樹は深々と頭を下げた。美咲は料理上手なので、頭を下げるくらいで夕飯を作ってもらえれば安いものなのだ。
「そこまでお願いされたら仕方ないわね。じゃ、台所で何があるか確かめに行きましょう」
部屋を出ようとした美咲の足が止まって後ろを振り返る。
「直樹も来なさいよ」
「俺も?」
直樹はすでに畳に寝転がって寛ぎモードだった。
しぶしぶ立ち上がった直樹は美咲の後を追って部屋を出た。
「アタシも行く!」
階段を下り、一行を台所で出迎えたのは!?
「お邪魔しちゃってるわよぉん」
なぜか台所でクッキーを頬張っているベル先生。
直樹はすぐさまクッキーの缶を手にとって、ふたをベル先生に見せ付けた。
「俺が大事に取って置いたクッキーだったんですよ……じゃなくってなんで俺んちにいるんですか!?」
「ヒマだったからに決まってるじゃな〜い」
ヒマだからって不法侵入は許されません。
クッキーはすでにベル先生の口の中。直樹は未練がましくクッキーの缶に残る匂いを嗅いだ。顔面がゾンビのように蕩ける甘い匂いが、春の麗らかな陽気と小川のせせらぎを誘って来て、その小川の向こうでは死んだお爺ちゃんお婆ちゃんがニコニコしながら手を振ってる。トレビア〜ン!
直樹がクッキーの余韻を楽しんでいると、突然アイがクッキーの缶を奪い取った。
「なにすんだよ!」
「このクッキーアタシ知らない。もしかしてダーリンひとりで食べるつもりだったの?」
「ギクッ!」
口に出してしまうなんて随分わかりやすい性格。
アイのクリクリした瞳が直樹の濁った瞳を覗き込む。
「今、『ギクッ!』って思いっきり口に出して言ってたよ。白状するなら今のうちだよ、今だったらカツ丼もついちゃうよ、言いなさい、言え、言えよぉ!」
「キレるなよ。もちろんアイと一緒に今晩の夜食にしようとしてたんだよ」
「アイと一緒に今晩の夜食……アイと一緒に……夜アタシのこと襲うつもりだったのね!」
「言葉の意味を履き違えるなよ!」
「そうならそうって言ってくれればよかったのに。今からアタシのこと召し上がれ」
「だから違うって言ってるだろ!」
二人の痴話喧嘩というか、夫婦漫才を見ながらベル先生は嬉しそうな顔をする。
「青春ね。若いって素晴らしいわぁん、愛って偉大だわぇん、生きてるって素敵なことなのねぇん」
微妙に会話が噛み合わない三人を放って置いて、美咲はひとり黙々と冷蔵庫チェックをしていた。
「ぜんぜん食材が入ってないんだけど?」
冷蔵庫を漁る美咲の横に来た直樹も冷蔵庫の中を覗き込む。
「母さんって買い溜めしないで、いつでも新鮮素材に拘る人だからな」
「直樹のママって料理すごいうまいもんね。そういえば最近直樹んちでご飯食べてないね」
「昔はよく互いの家に行って夕食とか食べてたしな」
「お風呂も寝るのも一緒だったよね」
二人の幼馴染トークを真後ろで聞いていたアイは少し顔を膨らませて直樹の身体に抱きついた。
「ダーリンかまってよ」
「おまえな、いつもいつも抱きついてきて、さすがにウザイぞ」
「がぼ〜ん!」
アイちゃん的精神的大ショック&美咲に負けた感。
ショックを受けて床にしゃがんで落ち込むアイを無視して、二人は再び冷蔵庫の中をチャックする。
冷蔵庫の中には調味料などは入っているが、食材はほとんどなく、冷凍食品に関しては皆無だった。
腕組みをして首を傾げる美咲は直樹に顔を向けた。
「買い物に行くしかなさそうね」
「それならいちよー金もらってる、あっ」
本当は全部自分のお金にする気だった直樹。ついつい本当のことを言ってしまって、後からショック。
「いくらもらったの?」
「んうえん円」
口の中に何を入れてるようにしゃべる直樹。今更ながら抵抗してみた結果。でも、これが疑いを深めることを直樹は気づいてない。てゆーか、気づいてたらやらない。
解読不可能と思われた直樹の言葉を美咲は意図も簡単に解読してみせた。
「なるほどね、五千円もらったのね」
「なんでバレるんだよ」
「そりゃー私たち腐れ縁だし」
作品名:飛んで火に入る夏の虫 作家名:秋月あきら(秋月瑛)