ヤマト航海日誌
ああ、なんかおれにはそういうことがポンポンと軽くできてしまうのではないかという気が、なぜかすることがあるのです。ひょっとして、おれはなろうと思ったら、出版社の屋台骨を支えるネジの一本になれる人間なのではないでしょうか。ある日、『あなたを出版社に紹介してあげましょう』なんて女に捕まって、ついていったらネジにされる運命が待っているのじゃないでしょうか。おれはできることならば小説書いて稼ぎたいけど、ネジになりたいわけではない……。
「やれやれ。困ったものですね。誇大妄想もいくところまできているようだ。『オレはまだ本気出してないだけ』なんてことを言う男は多いでしょうが、アナタほどの重症者も珍しい」
アッ、あなたは、前回おれの悩みを聞いてくれた人ですね? 教えてください。おれはどうすればいいのでしょう?
「死ねばいいんじゃないですか。アナタ、さんざんこの日誌で、人に対して死ね死ね死ねと書いてきているでしょう。だから自分が死ねばいいんだ。アナタが死ねば、アナタが書いて遺したものが売れてくれるかもしれませんよ」
それ以外の手はないですか。
「どうでしょうねえ。だいたいアナタ、なんなんです。前にはここに『プロになる気はない』だとか、書いてたんじゃないでしたっけ。あれは嘘だということですか。結局アナタ、プロの作家になりたいんですか」
いやですから、それは意味が違うんですよ。プロだアマチュアだと言っても、いろいろあるじゃないですか。ハンパなプロならならない方がいいでしょう。
「ほんとのプロがいいわけだ」
いやあそれも、どうもねえ。ほんとのプロになりたいというわけでもないんだなあ。出版社のビルを支えるネジになりたいわけではない。売れさえすれば一流なのかどうかもよくわからないし……。
それに何より、〈ほんとにほんとのプロ〉っていうのはつまり、ホセ・メンドーサなわけですよね。ホセ・メンドーサとの闘いに挑みたいかという話ですよね?
それはちょっと遠慮したいという気持ちがあるわけですよ。『わたしは葉子。〈白木ジム〉の白木葉子。信之、メンドーサと闘いなさい』と、血に飢えた魔女のような女から言われるのはイヤなんですよ。
ねえ。それはつまりですよ、金龍飛とかハリマオとかとも闘わなけりゃいけないってことでしょ。ヤだ。メンドーサもイヤだけど、ハリマオと金龍飛はもっとイヤだ。〈プロになる〉っていうことがタイトル戦をやんなきゃいけないということなら、おれはプロはヤなんですよう。エキジビションかストリートファイトでずっとやっていたいんですよう。おれは世界タイトルが欲しいわけじゃないんですよう。
〈このミス〉なんていうのを見るとやっぱ思うじゃないですか。一位のこれはなるほどホセ・メンドーサだな。二位のこいつはまるで金龍飛だな。で、三位にハリマオみたいな新人作家がつけてるな、と。
ヤだな。おれはこの連中と闘いたいと思わないな、と。
やって勝てると思えないというのも正直あるんですけど、それ以上にやりたくない。闘争心をまるでかき立てられんのですよ。やれば命をすり減らすだけで何もいいことなんかない。やるだけ損だ。だからやめとけ……そういう声が、夜に寝ていて枕の中から耳に聞こえてくるんですよ。
もともとおれってベストセラーをあまり読まない人間なんだな。好きじゃないのよ。直木賞とか、〈このミス〉何位とかいうもんを、いいと思って読んだことがあんまりない。図書館行くとカウンターで毎分のように『予約の本が入ったという報せを受けたんですが』って声がして人が何やら借りてくでしょう。〈ご自由にお持ちください〉のコーナーには《除籍済》のシールを貼られて一年前のベストセラーがもうボロボロで置いてあったりするでしょう。持ち帰ってまあ読んではみるんですが、『なんでえこんなん』と思うだけでね。
『金龍飛だ。まともにやっておれが勝てる相手じゃないな』と思うこともあるけれど、でも『金龍飛なんかとやってもしょうがねえだろう』という気持ちの方が勝(まさ)るんですよ。
ねえ。いいじゃん。メンドーサが目標ではないんなら。金龍飛やハリマオと無理にやることないじゃない。その気持ちわかっていただけないでしょうか。
それにやっぱり、誰も買っていかないでしょう。大型古書店のレジの前には去年に百万部売れた本が百円で山と積まれているけれど、みんな素通りしてくじゃないの。
そういうのはその作家が、白木葉子に『書け』と言われて書いた本だと思うんですよ。丹下段平が『次のタイトルはチョムチョム〜、チョムチョム〜』と言って葉子が、
『伊藤君、このネタは絶食よ。惑星チョムチョムではその昔、イデオロギーの対立から内戦になって、今では星がふたつに分かれて連星になり互いをまわり合っているの……』
『へえ。それは、救いのない暗い結末にできそうですね』
てなこと言ってひと月後には999枚の長編小説が出来上がってんじゃないのかというね。
原稿用紙で一日33枚書いてきゃ一ヶ月で999枚。ねえ。おれが、どんなに頑張ってみたところでかなう相手じゃないのはよくわかるんだけど、そんなの読んでて体をネジにされたみたいな気がすることないですか。
それはやっぱり、その作家が金龍飛だからですよ。ベストセラーに飛びついて読む人間や、図書館で予約待ちして借りるような人ならば、
『食事を取るのも忘れて読みふけりました! もう心がメッタ打ちです!』
なんて言うのかもしれないけれど、そうでないのが読んでみても別に立ち上がれないほどの衝撃なんていうもの受けない。買ってみておもしろいと思ったものが後で読み直してみると途中でやんなって投げ出したりして。
それはやっぱり、その作家が金龍飛だからですよ。けれども金龍飛こそ、出版社が求める才能なわけでしょう。新人賞は金龍飛のタマゴかどうかで応募者を見るわけでしょう。
金龍飛こそ一流のプロ。金龍飛ズの中の金龍飛がホセ・メンドーサと呼ばれる。そういうものなんですよねえ。ベストセラーを読まないおれが、プロになろうとしても無理だよ。プロテストも受けさせてもらえないのが当然だよな。
別にいいんだ。おれは今のままアマチュアで、カーロス・リベラとだけやっていたいんだから。反則技を使いながらもクリーン・ファイトみたいなね。あんな野郎と思い切り燃える勝負をすることができりゃ、おれにとってはいちばんいい状態だから、それでいい。おれはそれでいい。アマチュアが僻(ひが)みで書いていることだからアマチュアが僻みで書いていることだと思ってくれていいですけどね。『プロになる気はない』というのは、つまりそういう意味なんですよ。
「ははあ。まあ、わかる気がしないこともないですよ」