ヤマト航海日誌
彼らは『妖精作戦』を読んだことがあるのだろうか。読んだからこそ、沖田と榊そのものの頭であの〈幼稚な作戦〉を実行することができたんじゃねえのか。女をドラム缶に詰め、川に置いて去るというのは、『妖精作戦』の結末と重なる気がしないでもない。彼らの脳では彼女の方が自分らを置いて去っていったように合理化されているのかもしれない。
「どうかあの世で幸せになってくれ」と勝手なことをほざきながらクズどもはクズな日常を続けていた。集団万引をすることがオトナ社会への抵抗で、だからオレ達のしていることは正義だぜ、なんて考えでいたのだろう。夜空の星を適当に見上げて「あれが北極星だ」と思い、「冬野ソナちゃん、この万引をキミに捧ぐ。オレ達はいつかキミに追いつけるだろう!」なんて言ってたりしたんじゃねえのか。
あの事件の主犯格少年どもがもし『妖精作戦』を読んでいたならそうなんじゃねえのか。最後の日にあの子が死にさえしなければオレ達はムショに行かずに済んだはず。あれはただ結末だけがまずかった事件なのだから、出渕裕みたいにそこだけ塗りごまかせば――とかなんとか今も考えてるんじゃねえのかというのが、今回のログの題名の意味だ。
おれが書いてる『敵中』は実は『ヤマト』のリメイクではなく、おれが直した『妖精作戦』なのかもしれない。古代進はマイク・ウォーレンであると同時に榊裕で、まだ未熟なこの男がちゃんと兄貴に追いつこうとする物語なのかもしれない。おれの『敵中』で森雪の親が信じる宗教はもちろん〈エホバの証人〉をモデルとしているのだが、それも実はこのヒロインが鳴海つばさだからなのかもしれない。
なんてなことはついこないだまで頭にありもしなかったんだが、しばらく休んでいた間にちょっと考えてしまったのだ。それというのも別のサイトにおれのオリジナル小説をアップロードしていたからで、まあ詳しくは〈プロフィール〉のホームページの欄に置いたアドレスを押してくれとしか言わないが、これがどうもテキストに手を入れながら読んでみるに『これってマイク・ウォーレンを主人公にしておれが直した「妖精作戦」なんじゃねえか』と思わずいられぬシロモノでねえ。おれが書くものっていうのは結局全部そうなるのかなとちょっと考えてしまったもんで……。
さてまだここに書きたいこともあるような気もするけれど、すでにずいぶんと長くなった。今日はこれで終わりとして、別の機会にするとしよう。『敵中』は気が向いたら続けるとするよ。