ヤマト航海日誌
いや、そもそも、小牧ノブ君。キミは話のいちばん初めのところで、どうして朝の五時半なんかに新宿駅なんかにいたのだ。キミは一体、前の晩、あの街で何をしていたのかね。
そこがわからん。まったくわからん。小牧ノブをめぐって何が起きようと、『一体全体こいつの親はどこで何を』という疑問が先に立つので、このヒロインが何を言っても読んでシラケるだけなのである。おまけに、そうでなくたって、いちいち言うことや行動がトンチンカンでスカポンタンだから、この女がどうなろうと読んでてどうでもいい気がする。
だいたい、このヒロインは、最後に死んでおしまいということにどうせなるんだろうなと、三巻目ラストに付いた〈次回完結〉の予告を見たそのときにもう予感できる。
それが『妖精作戦』であった。完結編を読み終えたとき、おれは『ふうんなるほどまあこう終わらせるしかなかっただろうな』と思ったが、けれども当時、あの結末に怒ったファンは多かったようだね。『この結末は認めないからなかったことにしてやり直せ』と書いた手紙で、朝日ソノラマ編集部が〈ゆきかぜ〉のようになったらしい。その抗議の主の中に、後にオウムの幹部とか中堅信者となるものがきっと大勢いたのだろう。
しかしあの結末は客観的に見て妥当。ああとでもしてすべてをウヤムヤにするしかあるまい。ちゃんと直して先を続けるとしたら、話のいちばん初めに戻って小牧ノブがどうして早朝の新宿にいたかを納得いくよう書かねばなるまい。
つまりまったく別の話になってしまう。『妖精作戦』という小説はもともと、小牧ノブの両親が一体どこで何をしている何者なのかの問題を曖昧にしてごまかすことでかろうじて成立しているのである。
でもそんなの、あまりに矛盾が明らかなのでもうひと目でわかるんだよな。初読のときから『ちょっとこれはどうしたもんよ』とおれは思わずいられなかった。
〈秘密の組織に追われる超能力少女〉という設定は、70年代後半に腐るほどに使われたもので、当時にはもう干からびたガムの噛みカスのようだったのは作者自身が認めている。おれもずいぶんそのパターンを見たり読んだりしていたが、しかし大抵の場合にそれらは、少女の両親は秘密組織に殺されてるか、研究所で育ったためにそもそも知らぬかだったはずだ。
しかし『妖精作戦』は、そのどちらもとることができない。だから〈親の問題〉は脇に置いて気づかぬフリをしないといけない。
これはハッキリ言わせてもらうが、〈プロの仕事〉とはとても言えない。十数年して北朝鮮の拉致問題が大きく取り沙汰されるようになり、テレビで横田めぐみの両親を見たとき、おれは、ずっと顔が見てみたかった小牧ノブの両親をやっと見つけたような気がした。ああやっぱりちゃんといて、娘のことを探してたんだ……そのように思ったのである。
〈小牧ノブの両親〉。それがもし実在したら、やはり今頃「ウチの娘はどこへ連れ去られたのか」と世に訴えたりしてるのだろうか。それに対して星南学園は、「いえいえ正式な書類に基づいて学園を去らせたものですから、当校に責任はないものと……」なんて応えていたりして。真相を知ってるはずの榊裕は、「え? なんのことですか、小牧ノブ? 女子部の子なんてボクはもとからロクに知りもしませんよ」とそらっとぼけて言っていたりするのであろうか。しかしあいつの立場だったら、事の真相を公にさらし、「宇宙開発をやめるべきです」と偉ぶって言っていいわけなのかな……いやもっともノブの誘拐の裏に異星人の地球侵略、このままでは地球は粉々、なんてことを言ったところで誰が信じるという話なのか……その上、榊が続けて言うには、「ボクは彼女を取り戻せさえすればよく、その後にこの星がどうなろうと気にしません」。ああそう、キミはその環境でクマムシみたいに生きていけると。ならそうなのかもしれないが、しかしキミには逃げた元カノを追いかけるストーカーのケを感じなくないような……。
考え出すとそういう疑問が次々に湧くのが『妖精作戦』である。主人公の榊裕というやつが、読みながらにとにかくおれは嫌いだった。どことなくおれ自身に似ていることが余計にイヤだったのかもしれないが、それにしてもだ。
当時にあれを読み終えて、『この結末を変えろと言う気はないけれど、エピローグの榊裕にはムカついた。こいつはやっぱりほんとの主人公じゃない』という感想を持った人間は、おれだけではないはずだ。別にわざわざ朝日ソノラマに手紙を送らないだけで、そう感じた読者が実は多数を占めていたのではないか。
榊裕。この男はもし実在するならば、50歳になる今も、滝に打たれて座禅を組んでるんじゃないのか。「宇宙開発に意味があるのか。数学がなんの役に立つというのだ。光速はヨガによって超えればよい」てなこと言ってもはや麻原彰晃と化しているんじゃあねえのか。「アイザック・ジルベスターはその著書に『超能力者と普通人の間に肉体的な差はない』と書いている。これはつまり、誰もがエスパーになれるということだ。オレはいつか彼女に追いつけるだろう」なんて言っちゃってんじゃねえのか。
そんなふうにおれは榊が嫌いだった。そして沖田も嫌いだった。このもうひとりの主人公は、学校で休み時間に「ビーンビビーン」とただひたすら〈エアバイク〉をやっているバカの同類としか思えなかった。夜の夜中にその辺の道をけたたましい音を鳴らしてバイクを走らす。ひょっとしてうちの猫を轢き殺していったのも沖田みてえなやつじゃねえのか。
だいたいあの連中は、2サイクルのバイクを好む。それがとにかく音がうるさく、白い煙を撒き散らし、加速だけはいいもんだからたいして速度を出さなくても速いような気がするからだ。だからパトカーが入ってこない裏道を夜中に突っ走るのにいい。
あの連中はよくよく見ると実は遅い。制限速度30キロの道を40で走るだけだ。しかしその眼は回転計と、上を飛んでるヘリコプターの標識灯しか見ていない。あれは宇宙人のUFOだ、オレは今夜こそあいつに勝つんだ――なんてなことを欲求不満な頭で考えてるものだから、速いつもりでいられるのだろう。
まったく迷惑きわまりない。そういうのはどっか他でやってくれ……といつも思っていたが、しかし下妻という土地は、そんなやつらの吹き溜まりだった。
高校時代に『妖精作戦』を繰り返して読みながら、おれは一度も主役ふたりを好きであったことがなかった。けれどもひとり、好きなキャラクターがいた。マイク・ウォーレン。SCFのパイロットだ。マイク・ウォーレンが出てこない二巻目『ハレーション・ゴースト』では、〈案内人〉とだけ呼ばれるキャラが好きだった。そのふたり以外は全部嫌いと言ってしまっていい。
もしも『妖精作戦』をおれが書き直すとしたら――昔からおれはときどき考えてきたが、今に出した結論はひとつだ。マイク・ウォーレン。あれが主役だ。おれが書くならそうするしかない。