ヤマト航海日誌
2017.1.4 もし〈女子高生コンクリート詰め殺人事件〉の主犯格少年が笹本祐一の『妖精作戦』を読んだら
どうも皆さんお久しぶり。あけましておめでとうございます。投稿再開の挨拶――と言いたいところですが、でもやる気がしないもんでね、だからただのご挨拶です。もちろん『ヤマト』となんの関係もありません。
興味のない方と笹本祐一『妖精作戦』を読んでない方、題に掲げた1989年の事件について知らない方はすぐ閉じること。読んでも何が書いてあるかわけがわからないでしょうから。
何度も念を押すようだけど、この日誌はあくまでおれの『ヤマト』のリメイク小説の執筆日誌なのであって、決して『ヤマト』それ自体の評論でなければ〈出渕裕のコキ下ろしブログ〉というわけでもない。おれという個人が『ヤマト』をリメイクする小説を書いて出したらどうなるか、というのが『敵中横断二九六千光年』で、この日誌はそれに付随するものなのだ。
で、投稿再開はまだだが、『もしもおれが「妖精作戦」をリメイクしたらどうなるか』――そういう話をするべきときが来たのじゃないかと考えて今これを書いてるわけで、だからおれ自身としては何もブレちゃいないのである。
1970年代の日本のオタク界にとって、最も重要な作品は『ヤマト』だ。断じて『おくさまは十八歳』や、『アストロ球団』などではない。そして『エマニエル夫人』でも、『おじゃまんが山田くん』でもない。『宇宙戦艦ヤマト』こそ最も重要な作品である。
では80年代に最も重要な作はなんだろう。『機動戦士ガンダム』は、本放送の終了が1980年の初めだったからギリギリ80年代作品としてもよかろう。だが、けれども『ガンダム』じゃない。『ボトムズ』でも『マクロス』でも『ザブングル』でもない。そして『うる星やつら』でも『キャッツアイ』でも『タッチ』でも『きまぐれオレンジロード』でもない。ジャッキー・チェンの映画でもなく、『ナウシカ』でも『ラピュタ』でもなく、『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』でも『レイダース』でも『E.T.』でも、『ターミネーター』でも『ブレードランナー』でも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でも、『13日の金曜日』だったりもしない。
80年代はオタクの黄金時代であった。だがしかし、数あるコンテンツの中で最も重要なものと言えばひとつである。ソノラマ文庫の『妖精作戦』。これだ。これこそ、時代のメルクマールなのだ。おれにとってはそうなのだからそうなのであり、君にとってどうかなんていうことはおれにはどうでもいいのだからそういうことなのである。
まあともかく、〈最重要〉であるかどうかはさておくとして、あの〈プレ・ラノベ〉がオタク大国日本のオタク歴史上重要なのを認めるのに異論持つものは少ないだろう。あれに出てくる真田や南部や和田や松田というのがあの学校の大学部や大学院に留まっていれば十年後に国立(くにたち)の街にサリンをバラ撒く。かつてオウムの〈サティアン〉というのをテレビで見たとき、『これは星南学園だ』と思った者はおれだけではないはずである。学校てのは試験じゃなくて人を見てヤバそうなのは進級させないようにしなきゃいかんよ。
で、『妖精作戦』だけど、これがねえ。高校時代に繰り返して読みながら、『この小説はちょっとどうにかなんねえのかよ』と思いっぱなしでいられなかったのが、あのシロモノの荒唐無稽文化財たるゆえんというものなのであろうか。『ヤマト』も欠陥だらけだが、『妖精作戦』のガタピシぶりも負けず劣らず凄まじいものがあることだよなあ。一体全体どんなバカなら、こんなもんが時代のメルクマールとか80年代最重要なんてことを言い張るんだか、気が知れないというもんじゃねえか。
しかしまあ、本稿はそういう考えで論を進める。『宇宙戦艦ヤマト』のラストは、森雪が一度死んで生き返るというわけのわからん結末で終わる。『妖精作戦』の結末は、なんてんだろうね、パチンコの超激アツリーチがかかって『よっしゃあもらったぜーっ!』と思ったところがハズレで終わって『え?何これ?再始動もなし?』って感じの。そりゃないでしょうおれの気持ちを一体どうしてくれるんだみたいな終わり方をする。
ジルベスターって博士が出てきて言うんだよな。「ああなんという唐突な、釈然としない結末だろうか。悲劇だ。これは悲劇だ!」って。うん、まあ、シェイクスピアの舞台劇なら、これでいいのかもしれないけれど、こっちは別に『ハムレット』や『リア王』を期待してんじゃないんだからね。別に『ヤマト』で森雪が生き返るのが許せないから今度はちゃんと殺して終われとか、いやいやそれもよくないからなかったことにして続けろとか、言うつもりもないんだけれども、しかし、ねえ。どうなんですか。
女の命というものをだね、まるでモノが壊れても電池を入れりゃまた動くんじゃないかみたいな、ヤッタヤッタ思った通りだ奇跡奇跡とか、そういう考えで話を作るんじゃあねえよと、本やマンガやアニメを見ていて思うことはありませんか。おれなんか『ソラリス』なんて小説読んでも何が書いてあるのやらサッパリわからないのだけれど。
前に書いたがおれは二十歳以前に持ってた本をすべて捨てた人間だ。しかし『妖精作戦』は、その後に古本屋の百円台に揃いであったのを見つけて買った。それで改めて読んでみるに、人の命をなんと思っているのやらまるきりわけのわからん本だな。
主人公らがヘリで逃げると潜水艦の艦長がハリアー戦闘機を差し向けて、「撃墜を許可するがケガはさせるな!」なんて言う。月の基地から逃げようとすると基地の司令が「全火器の使用を許可する。殺せ。殺して死ぬやつらじゃない」と言う。この小説がラジオドラマ化されたとき、このセリフに……まあ、それはどうでもいいけど、確かに主人公達は決して死なぬしケガもしない。沖田も榊も全編通して何度となく戦車砲弾を喰らったりミサイルやレーザーガンで黒焦げになるが、次の瞬間ススを払ってまたドタドタと走るのだ。
そうして敵は、「あらゆる武器の使用を許すが人の命を大切に」と言いながら、国立の街に戦車とヘリと爆撃機を投入する。ドカーンズゴーンバキューンガガガガ……。『これでも死人やケガ人はひとりも出ていないのだろうな』と思いながら読んでくと、「いやーっ!」と小牧ノブが叫ぶ。「SCFって、こんなことしていいの? 宇宙開発って、そんなに大事なの?」
『はあ?』
とここで、首をひねってしまうのである。高校二年で最初に読んだときからそうで、だいたいがおもしろいけどすべてデタラメとしか読んで思っていないのだから、クライマックスのこの場面でも、バカなヒロインがピントの外れたことを言ってるとしかまったく捉えることができない。
小牧ノブ君、キミはこの状況で、何を口走っとるのかね。そんなことよりおれはキミにずっとずっと聞きたかったのだが、そもそもキミはなんで呑気に高校生などしてられるのだ。キミの親はどこで何して、キミのことをどう思っているというのだ。
キミの学費はどこから出ていて、誰が編入の手続きや次の学校の手配をしている。「バイ」とか言ってキミが星南を去るとき、もう翌日に行く学校が決まっている感じに見えるが、女の子が夜道をひとりで歩くものじゃないだろう。