ヤマト航海日誌
はたちになってもそんな具合で、1988年12月のあの日のそれは別にそうしたつもりもないのになぜか〈ひとり青春映画祭り〉になった。自由が丘でリバイバルの『ローマの休日』を見て、吉祥寺で『マネキン』『卒業白書』『ダーティ・ダンシング』『セント・エルモス・ファイアー』の四本立て特別オールナイトを見て、仮眠の後に銀座でこれまたリバイバルの『ウエストサイド物語』を見る……。
で、翌日に当時の職場で「東京で映画を見てきた」と〈クウシ〉だか〈シウク〉のやつに話すと、そいつが言うのには、
「芸能人いた?」
映画『下妻物語』。あれは実によく出来ている。『シモツマ』の発音ができる人間てのは、本当に、あの映画で土屋アンナが演じたなんとかイチコそのまんまなのだ。
そして1989年。〈成人の日〉はその当時、毎年必ず1月15日と決まっていた。おれはもちろん式には出ずに、その日も映画を見に行った。東京でなく下妻からちょい離れた茨城県内の土浦(つちうら)って街だ。
おれがおれの〈成人式〉で見たのはロバート・デ・ニーロの『ミッドナイト・ラン』。己の意地をつらぬくために法を無視して進む男が、警察に追われる身になりながらもクライマックスで「ここまで来たんだ。ここまで。あと少しなんだ」と言ってまだ行く話だった。
「あなたの人生にこれ一本という映画はあるか」と聞かれたときに『ミッドナイト・ラン』と答える人間は世界でおれひとりかもしれない。おれはその半年後、二十一歳になる前に家を出た。数年後にまた親父が転勤することになり、引越しのために帰ったおれはまだ家に残っていた『うる星やつら』も『あ〜る』も『めぞん一刻』も、『妖精作戦』もあの『さらば』のムック本もみんな残らず捨ててしまった。
だからおれは〈永遠の十九の男〉じゃないと思う。その後おれはただの一度も〈しもずま〉には行ってない。