ヤマト航海日誌
2015.10.18 山崎くんの家庭の事情
前回お読みいただいた方は、きっと、『茨城県下妻市では《新妻》を「にいつま」とか、《人妻》を「ひとつま」とか、《幼妻》を「おさなつま」と呼ぶのか?』という疑問をお持ちのことだろう。申し訳ないがおれはその答えを知らない。ひょっとして牛久あたりじゃそう言うのかもしれないが、市の中心では言わないと思う。たぶんね。
しかし〈妻の物語〉と言えば、前回あんなことを書いたが〈十九歳〉の頃におれがいちばん笑って読んだマンガが楠桂の『八神くんの家庭の事情』だった。おれが書いていることは一応全部事実なのだが、だからと言って大人をあまり信用するものじゃない。
しかしそういう次第なので、『八神くん』を含めてすべて、はたちまでのおれの本は下妻の地に捨ててしまって一冊も残っていない。家を出たときおれは何も持ってなかった。だいたいがあの〈ひとり青春映画祭り〉の頃からおれの家出は始まっていたのだ。昼に出て東京の街をうろつき夜を明かして翌日に戻る、というのを何度か繰り返しているうち仕事と寝る場所にありついたわけで、下妻という土地はそんなふうに東京に出るのに都合が良かったのだと言える。
おれにとって東京は憧れの都などではなく、他に行くところがなくて迷い込んだ場所だった。ネットカフェなんてものはまだなく、当時のおれは昼にどこかで寝転がってて、夜になると街をさまよい歩いていた。最初に見つけた仕事も夜の仕事だった。
『ヤマト空想科学教室』に書いた殺人犯に出くわしたのもその頃だが、この歳でああいうのは二度とごめんだとつくづく思うね。もう体が無理利かねえもん。
いま思うに『ゼロ戦行進曲』だけは惜しいことをした。あればっかりは残しておけと昔の自分に言いてえなあ……って、これが〈ヤマト日誌〉だというのを忘れちゃいけませんでしたね。
ええと、おれが思い出したくもないキモオタだった頃の自分の話を長々としたのは、古代について語る以上はそれがスジだと思ったからだ。関係ないようでいて関係なくないんである。おれの小説はようやく、ようやく、古代進がこれからほんとの本当に話の主人公になる。Too far, too far, でもまだこれから……。
まーだ太陽系すらも出ていないんだもんなあ。最初は毎日書いていれば一年くらいでイスカンダルへ行けると思っていたんだが、しかしこの始末でやんの。
おれの小説の古代進はおれが書いてるんだからおれの分身だ。それは当たり前のことだ。オリジナルの古代は西崎義展の分身で、『2199』の古代はまったくの〈ぶっちゃん〉で、『実写ヤマト』のキムタク古代はまるっきりの木村拓哉。だけどもそれはペルソナ(外面)で、皮を剥いたら山崎貴が出てくるのに違いない。
「ひとりの部下も死なせない」。話の前半でそんなこと叫び続けるような男は、真ん中へんでひとり死なすとクルリと変わり、「みんな一緒に死んでくれ」と泣いて言い出すに決まってるのだ。『永遠の0』もまた同じ。岡田准一演じる主役が最後にどうして特攻するか? そんなの最初の着艦シーンをひとめ見ただけでわかるじゃねえか。
「自分が完璧人間でないことに耐えられないから」。だからだろ? バイクなんかみがいてみがいて〈ゼロ〉と名付けて大事にするが、傷がひとつ付いただけで「いいやこんなのどっかに突っ込ましちまおう」。原作じたいがそういうもんだくらいのこと、ちょっとめくって見ただけでわからなきゃダメよ。
一般世間で〈やおい〉を〈やよい〉と間違えてもどうということはないだろうが、エリート社会で《未曾有》を『ミゾウユウ』と言ったら致命的なダメージを受ける。〈てめえが絶対完璧でないといけない人間〉てのはそんなとき、「ハハハ」で済ませられなくて、醜態さらして崩れてくもんさ。ほんとの姿はあの第三艦橋で最初におっ死ぬあいつとか、『永遠の0』にもやっぱり出てくるショボクレたやつで、「こんな自分を認めるくらいだったらいっそ死にたいよお」と山崎貴と百田尚樹と製作委員会とやらのやつらが泣いているのが画面にクッキリ映ってんじゃん。
そのために主人公ひとりばかりが完璧で他は全員ヘナチョコという世界が必要になるんだ。本当に、山崎貴なんて野郎のことはどうでもいい。
ドラマの主人公なんて、〈八神くん〉くらいのやつでちょうどいいのさ。今回はちょっとマジになっちまって悪かったね。おれもそろそろ本当に古代を描かなきゃいけないんでさ。
(付記:『ヤマト空想科学教室』というのは以前このサイトに出していたものだが現在は削除した)