ヤマト航海日誌
2018.1.19 幻想の大四畳半惑星
を見たら泥棒と思え。決して簡単に信用するな。前回ここに引用した小澤という写真屋は、特に実害を受けたというわけでもないのに盗用犯の追求のために〈第三者の同席〉だの〈ICレコーダーによる録音〉だの、〈経緯報告と謝罪の文を書いてWEBで公開しろ〉だのと、いくらなんでもな仕打ちをしながら、「人を信じていたいんです」もないもんだろう。言ってることとやってることが正反対――こういうやつがいちばん信用してはならない。写真をサハラで撮ったというのも実は意外と嘘だったりして。
リンゼイ・ワグナーは市橋達也に監禁される前におそらくルームメイトか〈NOVA〉の会社に電話して「イチハラの家に行く」と伝えていたはずだ。NOVAの会社も個人教師にそのような指導をしているはずだ。男の生徒に気を許すな。人間は信じていい生き物ではない。生徒の自宅に行く場合は、必ずその眼の前で、その旨電話で誰かに伝えよ。それで相手は何を企んでいようとも、諦めざるを得なくなるのだ、と。
市橋達也に対しては、しかしこれが通じなかった。
リンゼイ・ワグナーは市原に、繰り返して叫んだはずだ。「あなた、わたしが電話したとこ見たでしょう! わたしが戻らなければ警察に届けが出るのよ。警察はまずあなたを疑うのよ。ここに刑事がやって来るのがわからないの?」と。市原にはわからなかった。
嘘と決め付けて取り合わず、そもそも彼女の言うことを聞いてなんかいなかった。代わりに彼は、酔った口調で彼女に対し語り続けた。あなたとふたり、アフリカのサハラ砂漠にでも出掛けて行って、そこで写真を撮りたいな。あなたにウエディングドレスを着せて、カメラの設定はモノクロにして、ボクの愛を写し取ってブログに載せる……それがボクらの結婚式だ。けれども、ボクはその写真にウォーターマークなんていう野暮なものは付けないよ。人を信じていたいからね。それが地球の愛であり宇宙の愛さ。
なんてなことを。彼女を殺した後でもそのまま部屋に居続け、刑事がやって来たときにも「なんでしょうか」と言って出た。戸を開けたときあまりに平然としていたことが、刑事達の油断を招いた。〈宅配便でも届いたのかな〉なんて顔して出てくる者は、ふつう犯罪を犯していない。女を中に監禁してたり、死体を転がしてなどいない。
市原達也は警察が彼女を捜してやって来るとはツユとも思っていなかったのだ。
刑事らが最初に彼を逃がしたことも一概には責められない。そんな犯人、ほとんど前代未聞であろう。彼女が彼の眼の前で電話連絡をしていたのなら、妙な真似は企んでいても諦める。それでもやっていたのなら、逃げるか自首か自殺するか、もしくは証拠隠滅のためにまだその場に残っていても不在を装う。家を訪ねて「ハーイどなた」と平気な顔で出てくるようなら、その男は何もしてない。
マッポであれば普通はそのように考えるはずだ。
おれは去年、この日誌にこの話を書いたとき、これを読めば普通誰でも自分の誤りに気づくはずだと思っていた。市原達也並みの人格障害者は、そう滅多にいないはずだと。
甘かった。人を殺す人間こそそう滅多にいないにしても、人格障害という点ならばヲタクなら必ず人格障害じゃないか。人の話を歪んで受け止め、都合のいいように解釈し、自分が選民であるという思いを持たせてくれるものだけ信じる。ATフィールドはヲタクが持っている心の壁だ。眼の前に美しい牝鹿がいればそれはこのボクがライフルで仕留めるためにこの世に生まれてきたものだ。それを撃って剥製にして壁に飾って何が悪い。
『銀河鉄道999』は松本零士のコンプレックスの産物だ。機械伯爵はマッカーサー。機械人間は戦後日本を支配した進駐軍の白人兵士。星野鉄郎は白人に母を殺され壁の剥製にされながら、白人女のメーテルに連れられ、自分を白人にしてくれる国を求めて旅に出る。まるで市橋達也のように、それが体をネジに変える旅だと知らず。白人になって戻ってきたら、日本にいる白人をみんな殺してやると誓って……。
復讐はどこかで山に埋めるべきだ。そうは言っても市原のやつが逃げてるうちは、リンゼイ・ワグナーの遺族としてはそんなわけにいかなかったろうが、鉄朗は、機械伯爵を倒した時点でやめて〈大四畳半惑星〉に行き、そこでメーテルと暮らす道を選択するべきだった。それもやっぱり市原達也と同じでずいぶん虫のいい望みだが……。
人間は起きて四畳半、寝て四畳半。そのくらいのスペースはやはり生きるのに必要だ。それに風呂――市原達也はリンゼイ・ワグナーをバスタブの中に押し込んだが、ストーカーの誰もが市原のように策を弄して女を家に引っ張り込むだけの行動力があるわけではない。たいていは、女の後をただひたすらつけて歩くだけだったりする。
どっかの会社の受付嬢かなんかを見初めて、帰り道を10メートルほど間を離して尾行する。彼女の住み処を突き止めて、退社時刻を見計らい、後は来る日も来る日もだ。10メートルの距離を開けて雨の日も風の日も。家に着いたら玄関の前で十分くらいじっとたたずんで去っていく。帰宅時間や帰り道を彼女が変えてもくじけずに、また突き止めて10メートル、つかず離れず後ろを歩く。
彼女の方では彼の名前もどこの何者かも知らない。そうして一月(ひとつき)、二月(ふたつき)、三月(みつき)、一年……。
彼はただついてくるだけ。しかし彼女には恐怖の日々だ。どうせ力に訴えることはあるまいと思っても、その保証など何もない。いつなんどき、ナイフを手に羽交い締められ「声を出すな」とささやいてこないものとも限らぬではないか。
たまりかねて遂に彼女はその彼に迫る。ワタシをつけるのはやめてください。ワタシはアナタを知りませんが、アナタはワタシの何を知ってるつもりなのです。
しかし彼はうすら笑い、眼をそらしつつ言うだけだ。え?なんのことですか。ボクはただ、たまたまいつも通る道がアナタと一緒になるだけですよ。変な誤解をしないでください。
そしてその日も彼は彼女の10メートル後ろを歩き、玄関前で十分間立ってそれから去るのであった。彼は思う。ああ、とうとう、彼女が口を利いてくれたぞ。ボクのものになる日まで、あと一歩ということだ。彼女はボクの運命の人。こうしてただつけてるだけなら、何があっても言い逃れできる。ボクから逃げられないと知れば、彼女はボクを愛するしかなくなるんだ……。
このサイトのおれの読者の大半は、おそらくこのテのストーカーと同じ種類の人間である。
こういうやつには女がひとりで立ち向かおうとしてはダメで、頼りになる第三者の手を借りること。そいつの後をつけてもらって写真に撮り、住所と名前と勤務先など突き止めたうえで、ICレコーダーを片手に言ってもらうことだ。「イズブチさんよお。あんたのために彼女がどれだけ精神的な害を受けたかわかんねえのか。あんたの上司に話をするか、それでダメなら警察に言うぞ。ええおい、それともすべての経緯をWEBにさらしてやろうか?」と。おれはおれの後をつけてきた連中を、そのうちもっと恐ろしい罠に掛けてやる気でいるがね。