ヤマト航海日誌
そうは言ってもおれは決して著作権の問題について立派なことが言える人間じゃないのだから、謝罪しろだのなんだのといったことはやらんよ。むしろ、「いい宣伝になってくれたぜありがとな」と言うであろう。それが頭のいい人間であり、小澤ナントカなんてえのはバカだから人に学習能力がないと言われる。それがわからず、「しょうがない」と言って済ませて何も考えもしないようでは、まったく救いようがない。人間を信じるんじゃねえよバーカ。
おれはこの記事を読んだとき、小澤という写真屋にいい感情は持たなかった。正義を盾にずいぶんと相手をいじめたもんだなと思った。別にこの〈T氏〉というのを弁護する気はサラサラないが、ここまでやって自殺でもしたらどうする。そのときに、同じことが言えるのかと小澤とやらに聞いてみたい。
ブロックうんぬんの件について、小澤はT氏に誠意がないように感じたという。当時者だからそうも感じるのだろうが、おれは図書館で借りた雑誌をこのページだけスキャナに掛けて文字認識させるだけの人間だから、こいつがどう感じるかなどどうでもいいことである。T氏の身になり考えてみれば、たぶん仕事を失うまいと必死でいもしたのだろう。この人物はこの件で失業してもおかしくないし、今頃首を吊っていて何も不思議なことはない。
元はと言えば小澤てえのが、コピー対策を何もせずブログに写真を出していたため起きた話だ。クルマにカメラを置いてその場を離れれば、車上狙いに盗んでくれと言うのと同じだ。人間を信じるな。T氏というのがどうなろうと自業自得というものだが、しかし彼にも親はあろう。妻子だっているかもしれん。軽い気持ちでしたことがバレるなんてツイてない、などとツイートして彼が首を吊ったなら、残された者はどう思うか。小澤というのがウォーターマークを付けてさえいたならば――そう思うことにならないだろうか。
それは逆恨みというものだ。それでもやっぱり結局はそういうことになってしまう。T氏が死んでも小澤というのは同じことを言うのだろうか。ウォーターマークは付けません。人を信じていたいからです。
だからT氏が首を吊っても、しょうがないと思っています。
くだらねえことヌカシてねえでちゃんとマークを付けろと言うんだ、腐れ優等生野郎が! おれはなあ、てめえみてえな正義かざしが大嫌いなんだよ。アフリカで自分の妻にウェデイングドレスを着せて写真を撮ってるなんて話からして気色悪いしよ。弱いものいじめしか、人生で学んできてないんじゃねえのか、お前? おれはそのように、小澤というのに言ってやりたくなったのである。
まあともかく、おれの『敵中』を盗む者がもし現れても、小澤のように、おれはそいつをいじめはしない。そりゃあ、おれの性格として、
「へーえ、そう。アカウントを乗っ取られたと。けれどもあなた、知人に対して『自分が書いた』と口で言ってたんですよねえ。なのにその言い逃れが通用すると思うわけすか。ねえねえねえ」
なんてなことは言いもしようが、しかしそれはそれとしてだ。 第三者の同席だとかICレコーダーによる録音だとか、「表現者としてこんなことをやってはいけない」だとか、ツイッターアカウントを復活させて経緯報告と謝罪を行わせるとか、カサにかかって白黒つけようとせんでもよかろう。挙句に言うのが「後味の悪さだけが残った」だって。当たり前だ、そんなもん。
絶対、後で嫌な思いをするに決まっているではないか。ミスターTがおれはなんだかかわいそうだ。『ロッキー』は〈3〉がいちばんヤな後味の映画でしょう。
だからおれなら「いい宣伝になってくれたぜありがとな」と言って終わりだ。おれは決して人のことを信じて生きていたくない。経験から何も学ばぬ人間はどうしようもないと思っている。
日本で白黒の写真や映画は〈モノクロ〉〈モノクローム〉と呼ぶけれど、欧米ではそうは言わずに〈ブラック・アンド・ホワイト〉と呼ぶことの方が多いらしい。この日誌は去年の夏に『白黒テレビのブレードランナー』を出した後で結構読まれもしたのだが、このところはアクセスがパッタリ止んでしまっている。いつからそうなのか、と言えば去年の11月、『サイトのトップをねらえ!』を書いて更新した後だ。あれを出すまで日に六、七ほど開かれてたのが、出した途端にパタリと止んだ。目次を追ってあの表題を見ただけで、誰もが開けずに去るのであろう。
それでも三日にひとりくらい開ける人間がいるというのは、たぶん〈いちげん〉か〈ふり〉の客で、目次の末尾を見るのでなく最初のページを開いてすぐに閉じてんだろう。元からおれを読んでるやつらはこの日誌を今は読まない。だからこのログが読まれることも、まずしばらくはないであろう。
ゆえにこいつはその連中に読ますのでなく、今後におれを知る人々に向けて書いているものである。おれは正直、この日誌に『市橋達也を山に埋める』を書いて出した段階で、これを読めば誰もが己の誤りに気づくはずだと考えていた。けれどもしかし、その考えこそ浅はかなものだったようだ。あのログはむしろ読む者全員に〈盗める〉という確信を与え、〈冥王星でのヤマトの戦いをスタンレーの魔女として書いた男〉に自分がなれると信じさせてしまったらしい。その者達はおれの『スタンレー』の完成を待ち続け、去年の夏におれが投稿を再開したとき、この日誌だけを毎日何人もが読んで『敵中』はひとりも開けぬということになったのである。
またその一方で『絶対外れる馬券術』を開ける者がいたりして、八月にはそっちの方が『セントエルモ』や『ゴルディオン』のアクセスより多かった。
数字は決して嘘はつかない。この事実こそ、おれを読む者誰もが誰も、おれの『敵中』を盗んで自分が書いたことにできると思っている証拠である。現実にはやれば〈T氏〉と同じことになるし、おれとしてはいい宣伝になるのだからむしろやってほしいのだが、だからと言って今に全部を公開するわけにもいかん。どうせそいつらのどいつもこいつも、ただ〈盗める〉と思ってるだけで本当に出して広める力はありゃせんだろうからな。
できるのなら本当にいっそ盗んでほしいのだが――バレて本当の作者はおれと知れ渡るだけのことなのだから。おれはそいつらが職を失くそうと、首を吊ろうと一切気にせん。そいつの親が恨み言を口にしようと、おれはさんざん警告したし道理を書き連ねたのだからとやかく言われる筋合いはないと応える。
あんたの息子が市橋達也と同じ種類の人間だったというだけのことだと。
リンゼイ・ワグナーは市橋に、「いずれここに警察がやって来るとわからないのか」と言ったはずだ。繰り返して何度も何度も――だがその言葉は市橋の耳を完全に素通りした。彼女を殺した後も自宅にとどまり続け、刑事が訪ねて来たときにも「ハーイどちら様ですか」と言って玄関のドアを開けた。〈彼女が戻らねば捜索の願いが出され、警察が来るに決まっている〉という論理を嘘と決め付けて疑いもせず、頭の中から追い出していたのだ。だから自分がしでかしたことが、世間にバレることなどないと思い込んでいた。