ヤマト航海日誌
そこにまったく気づかぬし気づくこともないのである。勉強できても完全なるタワケなのだ。
かつて、〈フェルマーの最終定理〉とやらに挑んで何千という数学者が人生を棒に振ったという。彼らは高等数学はできても、宝くじを五十年間買えば百分の一の確率で当たるという計算の意味がわからぬそこらのバカと変わらなかった。『デスノート』の夜神ライトはそれ以上の大バカであり、話の中でほんとに大事な計算は全部間違えてしまっている。
おれはこれを〈宝くじの定理〉と呼ぼう。このサイトでおれの『敵中』を読んでいる者らも当てはまる定理である。現在のおれのフォロワーを二百として、うち五十がおれの『スタンレー』の更新を毎度毎度追いかけて目次を覗いて読むか読まぬかと考えている。〈ヘビー・フォロワー〉とでも言うのか? 知らないけれど、呼び名はともかく、彼らにしても自分にライバルが49人いるのを知ってて、けれどもそれは『五十分の一の確率でボクが盗めるということだ』というふうに考えている。
だからそれが間違いなんだ! と、どんなに言ったところで、彼らは盗んだ後のことをまったく何も考えてないし考えようともしないから誤りに気づくことはないのだ。だから日々のおれのアクセスを七以下にするよう努める。そうしてさえいりゃチャンスは続く、それを手放してなるものか――そんな考えを決して変えない。
おれを盗むことよりも、おれをこのサイトの中で下位にとどめることの方が目的化してしまっているが、自分でそれに気づいてもいない。
一方で〈彼〉は作家になったとしても〈謎の作家〉でいなければならないことがわかっているし、キモヲタの自分を世にさらしたくないからその方がいいのだろうが、しかしそれがどういうことかもちゃんと考えてはいない。
彼は出版社の人間と会うにしてもフルフェイスのヘルメットでも被りながら、
「ワタシの本名は聞かないでください。お金は直接、現金でください。領収書や契約書にサインもしません」
とでもやる気でいるのだろうか。
『デスノート』のエルならばワタリという人物がいてそのへんうまくやってくれるが、おれを盗んだその彼にはそんなのいるわけないんだから身元の秘匿は不可能のはずだ。『デスノート』だって本当は何から何まで変な話で、エルはともかくワタリまで素姓が不明というのでは、一体お前ら税金はどこに納めているんだという話になるのである。大場つぐみも当時の長者番付を見ればどこかにその本名が載っているに違いなく、それでなければ電気やガスや水道も使えず、インターネットの契約だってできるはずがないのだが……。
そういうことは考えてないのだ。タナカとスズキとワタナベにだけ、自分が〈とぺとぺ〉とバレなきゃいいという考えしか持ってない。
宝くじを買って当たった人間がそこで初めて途方にくれてしまうように、そいつもおれの『敵中』を全部コピペしてからやっと、多くの問題に気づくのだろう。何より、読むのが五十人ならどうして五十分の一で盗めるということになるのか。
そういうことは考えてないのだ。今にこれを読んだところで、『意味わかんね。バッカじゃねえの』としか受け止めない。
そんな人間が五十人。
さて、と思った。そんなやつらに頭をガッチリ押さえつけられているためにおれは今より上にいけない。こいつらには何をどう言ったところで無駄なのがよくわかっている。
だが残りの〈ライト・フォロワー〉の百五十人はどうか。
こいつらも望み薄だろう。大半は『ひょっとしてうまくやったら盗むことができるんじゃないか』なんて考えているクチだ。その可能性がわずかでもあるなら何もしないで見守っていよう。島田のことは決して誰にも教えるものか。
そう考えているのだろう。だからやっぱりおれのアクセスを日に七以下にするよう努めている。そうする限り望みは続く、という考えを決して変えない。
だがそうでない者もいる。その彼らにアピールする手を考えればいい。
この師走の月になって、やっと初めてそのようにおれは考えたわけである。まあそれだって夏の終わりに『白黒テレビのブレードランナー』を出してやって、それが多少のまともな読者をやっと集めたと思(おぼ)しきことから考えを始められるわけでもあるが……。
狙いはおれの『白ブレ』を読んだが、しかし『敵中』を読もうとしない――もしくは、『セントエルモ』は読んだが『ゴルディオン』を読もうとしない者達に絞る。その彼らはどう考えているか。
去年の今頃はいつ見ても、『セントエルモ』のアクセスよりも『ゴルディオン』を開ける者の方が多かった。これは異常な話だが事実だ。しかし現在、『ゴルディオン』のアクセスはピタリと止まってしまっている。『セントエルモ』と『スタンレー』は日に六、七に開かれるが、『ゴルディオン』はアクセスを受けない。
なぜか。
考えるまでもない。それが当たり前の話だし、去年の状況が異常なのだ。おれが中断しているときだけ、『ゴルディオン』を読む者が出る。そんなのは盗む考えのやつであるに違いない。
普通であれば、図書館の本を濡らした話を人に聞いて読んでみて、リンクを辿ってここへやってきたとしても、『ゴルディオン』をいま読もうとは思わない。『セントエルモ』を読んでたとえおもしろいと思っても、その先はやめておこうと考える。
保証がないからだ。
〈ヤマト〉の戦い、冥王星編。〈2〉と〈3〉でセットになっているらしいが、それはちゃんと完成するのか。完成するとしていつになるのか。どうやら島田というやつは、たびたび長い中断をするようじゃないか。これではいくらおもしろそうでも、ちょっと読んでみる気になれない。
そのように考えるのが普通である。おれだってそう思うだろう。その人達はバカではない。これを盗んで自分が書いたことにしようなんて考えないし、できるわけないと知っている。おれの『敵中』がおもしろいなら読んでみたいし人に教えたい気持ちもあるが、この状況ではできないのだ。
だから彼らは言うのだろう。『セントエルモ』をちょっと読んで、「ふうんなるほど。この『スタンレー』ってのが出来上がり、おもしろかったら教えてよ。いつになるか知らないけど」
そんな人達が多いのだろう。それが当然のことであり、そういう人こそおれが求める『コート・イン・ジ・アクト』を買ってくれそうな人々なのだ。
だからそんな人達にアピールする手を考えよう。彼らの声なき問いに応える。「冥王星編はちゃんと完成するのか」という問いに対しては「既に完成している」だ。「いつ読めるか」に対しては「すぐにも」だ。
すぐにも――ただし、おれの図書館の本を濡らした話が多くの人に読まれてその何割かがこのサイトにやってきておれの『敵中』とこの日誌を読んでくれる。その人数が日に日に増していくばかり、という状況が確認できたならばすぐにも。
というわけで〈ヤキトリ作戦〉の第二段階だ。それがどんなものであるかは、別にわざわざ文にして説明するまでもないだろう。ゆえに細かくは書かないが、とりあえず表紙のデザインを直してやるとすぐ効果が現れて、十日後には『スタンレー』がこのサイトの五位に入った。