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ヤマト航海日誌

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で、前回、『科学忍法焼き鳥だ』を書いて出し、読んだやつらが悲鳴を上げて逃げてった気配を(やはり説明はできぬが)感じて『ザマーミロ』と思ったのだが、同時にようやく〈ハテ〉とも思い当たったのである。このサイトで今トップへ行くためには、日にアクセスをどれだけ受ければいいのだろう。一位がいくつで六位になるにはどの程度の数字が必要になるのだろうか。

思い当たるのが遅い。

そうなんだよなあ。我ながら、どうしてまったく考えたこともなかったんだろ。WEBに小説を投稿しながらサイトのトップを決して見ない人間なんておれくらいのものかもしれんな。

それもすべてはインターネットが怖いからだ。おれは自分の恐怖病にいま自分であきれているとこなのである。

で、見たんだよ。今月初めに。やっとね。やっと。二年数ヶ月ぶりにようやくトップのページを覗いてランキングを見たんですよ。えーっ!と思った。驚いたね。今こんなことになってんのかよ!

さてこのログを後になって読む人のために説明すると、この十二月現在、〈2.novelist〉の訪問者は増えるどころか激減していて、日に十二、三人が読めばトップ6入り。ひどいときには十五人が読めばその日の一位という始末になっている。そして一日八、九人も開けたなら、その日のトップ20以内にランクされてしまうのだ。

あらららら、とおれは思った。もちろん、おれより上の二十は全部が便所の落書きである。もちろん、読むのは便所虫だから、便所虫には排泄物で書かれた文が読んでおもしろいのでもあろうが……。

ようやくわかった。なぜどいつもこいつもが、おれのアクセスの上限を一日七人までとして、決して誰もその日の八人目になろうとしないのか。全員がおれを二十位以下にとどめておこうとしてそうしてる。みんな、おれを読む者がこれ以上に増えるな増えるな増えるなとただそれだけを願ってるのだ。

あきれたもんだ……しかしなんでえ、こういうことなら、おれが自分で五回くらい開けてやりゃあいいじゃねえかよ。

そう思った。おれだって自分のPCの他に、自由に使えるコンピュータの一台くらいある。だからあと三回ばかり、マンガ喫茶とやらでもまわって端末機を拝借し、『スタンレー』を自分で開ければいいだけだ。

それでその日のトップ6におれは軽く上がってしまう。

そういう状況になっていたのだ。こりゃいい。早速あしたやろうか、とも思ったが、しかし待てよと思い直した。おれはマンガ喫茶なんていうもの、やっぱり気味が悪くって、できることなら入りたくない。ずいぶん前に時間潰しで一度入ったきりで、本来、二度とごめんだと思っていた場所なのである。

それに、一日そんなことやったとしてもダメだろう。『セントエルモ』から読み出す者が十人も出るまで何日も続けなければならないし、二次のサイトに巣くっているようなやつでは読んでも結局おれを盗もうとするようになるだけだ。

だが、最大の障害は、前からおれを盗むつもりで狙っている連中だ。それまでは『七人までなら大丈夫』と思っていたのが一日でもトップに行ったら、すぐにササッと遠のいて翌日のアクセス数はゼロになり、おれは自分で十軒のマンガ喫茶をまわらなければならないようになってしまう。

やつらが決しておれを読む者が増えないように願っているのを忘れてはならない。ダメだ。水増し作戦は却下。

それに第一、マンガ喫茶を十軒まわり、それをずっと続けるだと? そんな方法、たとえできてもやれてたまるか。もし万が一それで『敵中』が広まって、『コート・イン・ジ・アクト』が売れてカネが取り戻せても、それはスマートなやり方じゃない。誰もおれを天才と呼んでくれないだろう。もっといい方法はないか。

考えてみた。それにしてもバカどもは、おれを狙う人間が自分の他に何十人もいることをちゃんとわかってはいるんだな、と。なのに決してあきらめない。同じ考えの人間が五十人なら五十分の一、百人ならば百分の一で自分が盗めるというふうに思う。

タナカとスズキとワタナベにさえ自分が〈とぺとぺ〉とバレなければいい。それで安全という考え方だ。「違う。そういうもんじゃない」とどんなに言っても受け入れない。

彼らは銀座数寄屋橋の宝くじ買いの行列に並ぶ者らと似たような精神構造の持ち主だろう。道行く人の『バカなやつら』という視線をニタニタと笑って受け止め、心の中で繰り返し同じ言葉を唱え続ける。


『買わなきゃ当たらないだろうが。ここで買えば確率はグッと高くなるのだ。この行列で誰が当たるかの問題なのだ。いつか当たる。今回当たらなかったとしても次かその次かそのまた次には。いつかオレが当たりを引くときが来る。そのときまであきらめず、毎度十万買い続けるのだ』

と。それと同じ感覚なのだ。十万円ずつ年二回、五十年間買い続ければその合計は一千万円。そんなバカが百人いればプール額は十億になるから宝くじ屋は半分の五億を賞金に充て、残り半分を自分らの利益とすることができる。

つまり、買い続けていれば、百分の一の確率で当たる。


「え? 当選確率って、実はそんなもんなんですか?」

「まあ、確かに計算上はね」

「意外と甘いもんなんですねえ。百分の一かあ。それ、結構試してみても良さそうな率じゃないですか」

「いや、待て。投資額一千万だぞ。一回十万、年二回を五十年だぞ」

「数寄屋橋にはたくさんいるじゃないですか。あそこから毎度十人も出るんでしょう。島田さん、あなたの計算もそういうことでしょ」

「そうだけど、でも、考えてみろって。当たらず終わる確率の方が99だぞ。人生の何分の一かを棒に振るようなもんだぞ」

「十万買えば当たるんですよね」

「違う! どうしてそういうふうに考えるんだ!」

「だってそう言ったでしょうが」

「そうだが、違う! よく考えろ!」

「百人にひとり当たるんでしょう。そのひとりになれるかどうかなんでしょう」


と、そのような人間がいるのだ。百人にひとりくらい、いるのだ。物事をそのようにしか考えることのできない者が。

『デスノート』の主人公、夜神ライトなんていうのも実は、それとたいして変わらない。宝くじを買う者が当たったときの遣い途を何も考えることなく何千枚もの券の番号をセッセと照合するように、〈デスノート〉にセッセセッセと名前を書く。

彼は彼の考える〈新世界の神〉とやらになったところで何をする気だったのか。

絶対に何も考えてない。宝くじを買う者が一等を当てることでなく、列に並んで買うことの方を目的化してしまうように、夜神ライトは〈デスノート〉に日に何万というノルマを決めて名を書くことが目的になっているのであって、そこから先のビジョンは持たない。〈神になった後でどうする〉ってのはなんにも考えてないのだ。

あのマンガはどう見てもそうだ。実際にはエルに勝っても彼は神になれないし、〈第二のエル〉に勝ってもそうだし、どこまで行ってもそうなのだけど、自分の考えの誤りに気づかぬ。彼の野望が達成されるときがあるとするならば自分以外の地球人類すべてを殺したときだけなのだが……。
作品名:ヤマト航海日誌 作家名:島田信之