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ヤマト航海日誌

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十年前は市橋達也がリンゼイ・ワグナーを殺して逃げた年である。そしてまたミャンマーが長い内戦状態にあって、『ランボー 最後の戦場』なんて映画の舞台にされていた年である。日本にやってきたあの映画をおれは見ながら、『デスノート』の夜神なら、この国の動乱もまた一日で止められることになってんだろうなと考えていた。一体どうすりゃそんなことができるというのか知らないが……。

夜神ライトならおれと違って天才だからできるのだろう。〈デスノート〉で人を殺すには殺す相手の顔と名前が必要という。だが、当時のミャンマーで村を襲って人を殺す民兵どもは写真に撮られてネットに顔が出ることはない。

彼らにカメラを向ける者は途端に〈AK〉で撃ち殺される。名前にしても子供のうちに攫われて、『親にもらった名前は忘れろ。お前の名前は今日から〈ヒヨヒヨ〉だ』とか『〈トペトペ〉だ』とか適当に付けられた名を使い、みんなほんとに自分の本名は忘れている。インターネットで彼らの顔と名を知るのは不能であり、しかもその数は十万人。

ひとりでやったら一分間に十人ずつ、一時間に六百人の名前を書いても一週間ぶっ通しで寝ないでやってようやくその数になる計算だ。だからおれにはできないし、やりたいとも思わぬし、〈デスノート〉は世界の紛争に対して無力と断じるしかない――。

そんなことを考えたのが2007年のおれだった。けれども夜神ライトなら、天才だからできるのだろう。ハングル文字でもビルマ文字でも、世界のありとあらゆる言語の文を苦もなく読み書きできて、速読術なんかもすごくて一秒間に本を千冊も読めるのだろう。

市橋達也を二秒で捕まえられるのだから当然だ。それくらいのことができねば〈デスノート〉を持ったとしても〈新世界の神〉になれるわけがない。


「だったらやっぱりライト君しか〈キラ〉はいないじゃないですか。一体どうしてそんなことができるんですか。インターネットで一秒間にあらゆる言語の千冊分の文を読みつつ片手で28人の名が書けるとは。こんなことができるということこそライト君が〈キラ〉という動かぬ証拠と言うしかないな」

「違ーうっ!」

「『違う』と言われてもねえ」


そういう話にならんのか、あの『デスノート』っていうくだらねえマンガは。そこらへんの道端で十年前にはまだ折りたたみの〈ガラケー〉だった携帯電話をいじってた女の子に、


「ねーキミ、『デスノート』ってマンガ知ってる? おれさー、あの原作者の大場つぐみなんだけど」


なんて言ってナンパするとき、本当の名前は忘れて自分はほんとに大場つぐみだと思い込んでいただめんず男は、こんなことはまったく気にしたことはないだろうけど。

おれは気にする人間である。そして断じる人間である。人は〈デスノート〉なんか持ったところで神になれるわけがない、と。

2007年におれが〈デスノート〉を持てば、おれはこういう人間だから、市橋達也と、北朝鮮やミャンマーのなんとか日本で知ることのできる悪人トップ20ばかりの名はまあ書いただろうが、そこまでだ。それからまあ〈光市母子殺害事件〉の犯人と腐れ弁護士どもの名、それに昔にさかのぼって〈女子高生コンクリート詰め殺人事件〉の犯人どもの名前なんかも調べて書きはしただろうが、そこまでだ。

それ以上はもう大変な仕事になるし、できるわけのないことであり、やったとしてなんになるのか。夜神ライトという男はそれがわからないのだからただのバカとしか思えない。

道でスマホをいじくりながら歩いてるやつを見かけたら銃で撃ってやりたいとも思うが、たぶん本物のライフルよりも、エアガンでやる方がおもしろいだろう。何十人かやったところでニュースで見るのだ。


『最近、スマートフォンを操りながら道を歩く人物がどこからともなくエアガンで狙い撃たれる事件が連続しています。その犯人も許せませんが、「スマホをいじりながら歩く人間の側にも問題がある」という意見が……』

おれは言う。「ウヒャヒャヒャ! リューク、少しはそんなの減るかね?」

「無理だろうな。たとえマジもんのライフルで撃っても、スマホいじって歩くやつは全員が明日もいじって歩くだろうよ」

「宝くじより当たる率は高いはずだぜ」

「バカは絶対そんなふうには考えねえよ」


だろうな、とおれは思う。十万掛ける一万で十億。プール額がそれだけあれば、五億円を一等にして四億円をその他の経費とし、残り一億円を〈親〉の儲けとすることができる。つまり単純に考えて、宝くじは一万円買えば十万分の一、十万円買えば一万分の一で当たるものと見ていいのだ。百万買えば千分の一の確率で一等五億円が当たる。


「なんだ。それって、パチンコならもうそろそろ当たって良さそうな確率じゃん」


そんなふうに考えるバカも結構いるだろうな。〈だろうな〉どころか、ウジャウジャとそんなやつがいるはずだ。宝くじとパチンコでは確率の計算法がまるで違うと言ってもわかるわけがない。

宝くじでたとえ一等が当たったとしても人に言えない。パチンコで二十連して勝った話とまるで違う。その五億は後ろめたいカネであり、人に隠れてコソコソと少しずつ使うしかないものだ。夜神ライトはエルに勝っても自分が〈キラ〉とは人に言えず、直にああしろこうしろと民に対して言うことができない。自分を讃える人間は〈ひよひよ〉だの〈とぺとぺ〉と名乗るなんだか気持ちの悪い昭和の公衆便所の壁に落書きしてそうなやつばかりで、テレビをつければ出渕裕みたいな男がそんな者達を従えて〈キラ教〉なんていうのを作り、


『このワタシこそがキラ様の代弁者。ワタシの言葉はキラ様の言葉。どうか我が教団にご寄付をーっ!』


なんて叫んで画面の下に今日の寄付の入金額が表示されてる。ああ、いいなあ。今日はもう五億円も集まってるのか。〈キラ〉はボクなのにこのボクにはただの一円も入らないのか。ボクが〈デスノート〉でしたことは、この〈ぶっちゃん〉の懐を肥やすだけであったのか……。

そういうのが〈新世界の神〉という。そんなダメダメな現実も描いてるのがあの『デスノート』というマンガのよく出来ているところでもある。やっぱり、そんなノートを使って頑張って一億人も殺しても大変なだけでおもしろくない。しょせんそこに正義はない。出渕裕を殺してしまうと笑う相手がいなくなってとても困るのでやめておき、代わりに、そうだな、北朝鮮の金正恩の名でもおれは書くことにしよう。


《金正恩、女子便所で全裸で首を吊って死ぬ!》


 だとか。数日後にニュースを見ると、


『北朝鮮の政府内部に混乱が起きている模様です。金正恩総書記が急死したとの話がありますが、確かなことはまだ一切が公表されず……』

おれは言う。「ウヒャヒャヒャ! リューク、ちゃんと全裸で女子便所で首吊ったのかな?」

「だからそんな情報が出るわけないとわかってるだろ。なのになんでオレに聞くんだ」

「いや、知りたくて聞いてんじゃないよ」

作品名:ヤマト航海日誌 作家名:島田信之