ヤマト航海日誌
「ご安心ください。行くぞ、科学戦法・焼き鳥!」
で、ドドーン――いやはや、出渕裕なら、これぞリアルと叫ぶでしょうねえ。君らが書けばこんなもんだ。だからおれは安心して、ここまでならばアイデアを盗ませてやるという話である。
これで充分、ラノベの新人賞に出しても、〈佳作〉ぐらい獲れるんじゃねえの。『これほどのアイデアは見たことがない! ただ、1968年である必然性がぜんぜん感じられなかったため、〈大賞〉に推すに至らなかったが……』なんて評をされたりして。
それは君が書いたならそうなるのはしょうがない。『奇妙なことに下読み選考員によると、今回は「○○ラ1968:世界が揺れた年」と題する作品が二十ほども寄せられたということで、しかしその内容はどれもこれもが一般人が普通にスマホでSNSに『超ヤバくね?』なんて書き込みをしているという……』なんてなことも書かれたりして。
それは君が書いたならそうなるのはしょうがない。おれの『ガゼラ』のアイデアはもちろん前回ここに書いたぶんだけで全部じゃないし、おれの頭はよく回るパチンコ台の抽選のように今もグルグル回転してるが、もう決してあれ以上のことを君に明かしたりしない。
当たり前だろう。何を期待してんだバーカ。おれがこないだ『しばらく休む』と嘘ついたのはなんのためだと思うんだよ。おれの『敵中』の目次だけ覗いてるのがどれだけいるか見るために決まってんだろ。案の定、アリがウジャウジャと七、八十も、どうやって嗅ぎつけるのかたかってきやんの。実数はたぶん三倍はいると見たね。
その連中は、この日誌は決して見ない。ましてや、題が『戦いに勝てるやつが違うのは』とか『サイトのトップをねらえ』だったりしたら絶対に開けるわけがない。
もちろん、わざとそいつらが読まないように付けたんだから当然だ。おれの投稿を読む者が増えるな増えるな増えるな増えるな増えるなと念じながら目次だけを見てる二百に何を読ませても無駄だしな。
これをすぐ読む二十ばかりはそいつらよりマシだろうけど、だからと言って教えないよ。これから、おれの『敵中』は真田が〈魔女の居所〉を突き止め古代に報せるまでのパートを間にいろいろいろいろいろいろいろいろ挟みながら百回かけて書いていくので、〈古代対魔女〉のスペシャルリーチを君が読めるまで今のペースだと五百日かかります。教えるのはそれだけです。おれは君らがどれだけイライラしようとも気にならないのでのんびりパチンコを打ちながら『ガゼラ』の構想練ることにします。
イライラするのはおれを盗む考えを捨てない君らの方が悪いのだ。利口になってちっとはものを考えたまえ。
〈ゴジラ1968〉の案は、人類社会がグラグラと揺れる当時の世界情勢を話の横糸にしっかりと織り込めないと意味を成さない。タツノコプロの『ガッチャマン』と言えばもうひとつ忘れちゃならないのが『新造人間キャシャーン』で、かく言うおれもタッタ今まで忘れていたが、2004年に実写映画化された。伊藤計劃はこれを見てずいぶんイライラしたらしく、「てめえの頭で考えろ」なんてなことを自分のブログの読者に書いてる。
それではおれが考えてみよう。『新造人間キャシャーン』。オリジナルのTVアニメは'73年放映開始で、その内容は五年前の世界の揺れとその余震を反映したものと言えるが、これもやっぱり今あらためて見直すほどの価値はない。『ヤマト』の第十九話と同じでいくつかいい話もあるが、全体としてはしょうもなく、最後は風呂敷をたためずにもうグチャグチャな結末を迎える。
誰もあんなもの見てないか、見ても忘れてるでしょう。おれもそうだが、映画の方は、まだいくらか覚えてる人もいるでしょう。おれも見たけど、実写映画版『CASSHERN』は、話の縦糸を成している伊勢谷友介と唐沢寿明が新造人間同士で戦うドラマだけ見れば実は人が言うほどに悪い出来ということもなかった。ただ、横糸キャラである麻生久美子と及川光博が、
「どうして人は焼き鳥の串をどうするなんてことで憎み合いを続けるの!」
「アナタのようなお嬢様にはわからぬでしょうが、憎しみから〈くし〉を抜いたら〈にみ〉になってしまうのですよ!」
なんて調子で憎み合うドラマがあまりに不毛なために、人は見ながら『一体どうしてそんなことで憎み合いを』という気になるしかないのである。縦と横とがまるで織り合わさっていない。オリジナルのTVアニメが途中にある一話完結の横糸話にたまに結構いいのがあるのに縦がダメ、という感じであったのと逆。
なのに映画はダメな横糸が布地の表側に出て、縦糸は裏になっている。だから結局縦の方もダメなわけで、最後になんか、どどんがどんという事が起きて、ズガガガガンのドッカンバッコン、ギャギャギャギャーン!となってそれから……。
さて、どうなったんだっけ。全然まったく記憶に残ってないんだけどさ。誰かあの映画の結末覚えてる人いる? ダメだ。おれには、ほんとに思い出せないや。
そしてもちろんあらためて見直す価値ないだろう。な。だから荒廃した未来世界で、人類対ナイルパーチ化した機械とのどちらが生き残るかを懸けた戦いなんていうのはやっちゃいけないんだよ。まともな結末つけられるわけないんだから。
『タ−ミネーター4』をおれは昔にやっぱりパチンコで勝ったとき、店の景品の棚にあったDVDを貯玉カードの一千玉と替えて見たけど、『これはまあこれだけ見たらまあよくても「5」と「6」は絶対にダメだな』と思ったね。無理だ。絶対にグチャグチャになる。『スター・ウォーズ』の新三部作もおれは『7』も見てないけど、見なくてわかる。『7』だけならばまあよくても、『8』と『9』はグチャグチャだ。帝国の残党との戦いってのはやっちゃダメだよ。それはナイルパーチだよ。
『ブレードランナー』の新作だって見なくてダメとわかるだろう。ナイルパーチだ。デッカードとレイチェルが〈ネクサス7〉で子が生まれて〈レプリカント軍団〉だとか、いうんじゃねえの? 違うの? それは、絶対やっちゃいけないことだよ。おれはタイレルという男が、天才だとはとても信じられんのだがね。
だってあれってどう見ても、チェスで二手先も読めないだろう。せめて「七手先で詰み」くらいのことを言えよと思わないかね、君。
あーあ、なんだか本当に、カネ出して見たいと思うようなもんがなくなっちゃったな。と言えばおれの『コート・イン・ジ・アクト』だけれど、あれはそういうことはないから大丈夫だよ。おれがただの一度でも嘘ついたことありますか。
そりゃ嘘ばかりついてるけどさ。『コート・イン・ジ・アクト』については、長編だけ読もうとか、第五話がいちばん笑えそうだからこれだけ読んでみようとか思ったとしても大丈夫な一話完結となっております。鎌倉の大アクションだけ読めればいいから『クラップ・ゲーム・フェノミナン』の〈4〉と〈7〉だけ、なんていうのはさすがに困るが、けれどもおれも『シン・ゴジラ』の特撮シーンしか見なかった男だからなあ。