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ヤマト航海日誌

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おれは感じたんだけどな。それでまあ今、ひょっとして、と思うんだが、〈幻のエピソード2〉というのはこいつを軸にしてストーリーが展開することになっていたんじゃねえか。クジラの肉で出来ているゴリラのような怪物が核戦争で生まれてしまい、ナイルパーチのように繁殖、人類の存続を脅かすほどの存在となる。生き残るのは果たして人かそれとも〈ゴジラ〉か――。

そんな話を書こうとしたが、無理があって断念した。ひょっとしたらそういうことなんじゃなかろうか。

そうだとしたら、『虐殺器官』の文中にはページの上を虫がやたらと這ってるみたいに出てくる鯨肉ロボどもが『ハーモニー』には影も見えない理由が説明つく気もするのだけれど。おれのうがち過ぎかねえ。

まあとにかく、もし万が一当たりとしても無理だろうそんなもん。書けませんよね。エメリッヒの映画みたいなもんでいいならいくらでも出来るだろうけど、読んで身震いするようなちゃんとしたものはまず書けない。『ターミネーター』も二十世紀で話をやるなら矛盾が目立たないけれど、未来が舞台の話を見るととにかくおかしなことだらけ。

『怪獣惑星』のCMとおんなじだ。だいたいみんな、この手のものは、地球全土が放射能に汚染された環境で生き残ったわずかな人が古い缶詰を奪い合う。そんな話となっている。

新たな食料はまったく生産されていない。どう考えても缶詰の最後の一個がなくなったときに人間達は共食いを始め、最後のひとりは自分で自分の脚を斬って食べ、さらには自分の胃の中に自分で入らねばならなくなる。そうなるまでにせいぜい五年というところだ。

なのになぜかそんな世界で、女が子を産み育てている。一体どうすりゃそんなことが可能なのか。カイル・リースの母親は、サラ・コナーよりすげえ女ということなのか。そもそも普通、そんな世界で、妊娠して子を産もうと思う女はいないんじゃねえのか。

『ターミネーター4』を見て、それまで思うことはなかったそんなことを考えてしまう。〈ゴジラのトリル〉を読んでもやっぱり、同じような疑問が湧く。おれがこいつを元に話を作るとしても、やはりまずはその点をどうにかしなきゃならんと感じる。

でも、無理だろ。あんな設定。食い物もそうだけれども水をどうする。放射能に汚染されてない水をどこでどうやって手に入れるのか。おれはおれの『敵中』でそこんところにまあなんとか理屈をつけたが、あれは元があれだからだよ。〈ゴジラのトリル〉で同じ手は無理。

伊藤計劃が〈エピソード2〉の一体どこでつまづいたのかそれはやっぱりわからないけど、『怪獣惑星』がその点をまったくなんにも考えてないのは十五秒のCMでわかる。

『マジンガーZ』の早乙女科学研究所を画だけリアルっぽくした基地が地上にあって、そこだけバリヤーで放射能から護られている。でもって中に『ヤマト2199』と同じ魔法の料理食堂があって、ボタンを押せばラーメンでもお好み焼きでも、むろん焼き鳥も串に刺さって出てくるのだ。

主人公の熱血漢は肉をいちいち串から抜いて食べるのだが、対するニヒルは串のままかぶりつく。ブレーンとして参加する(どうせ参加してるだろう)出渕裕がインタビューに応えて言う。


「ハリウッドの映画などでは人間が缶詰を奪い合う話になっていますけど、無理があると思うんですよね。それに、水はどうするのかと。ですからここはそのような疑問が起こらないようにボクが設定を考えまして……」


そういうのを〈考えた〉とは言わねえんだよ。〈荒唐無稽な設定に荒唐無稽の上乗せをしている〉と言うんだ。おれが思うに、亡き天才は己が見た〈ゴジラのトリル〉に大きな無理があることを最初からよく知っていた。2004年の『ゴジラFINAL WARS』の後にゴジラの映画を撮ろうとする人間は、〈地中貫通型爆弾さえもゴジラに効かず、残された手段は核しかない。しかし――〉という問題を軸に構想を練らねばならなくなる。『シン・ゴジラ』で庵野がまさにそうしたように――それを見越していたのじゃないか。

そしてやっても絶対に、まともな話にならないこともだ。〈残された手は核だけだ。政府は核の使用を決めた。だが核でさえゴジラに効くかわからない。なんとか核を使わずにゴジラを倒す方法はないか。核のボタンが押さえるまでの猶予は一日――〉。

庵野はこのように話を作った。そりゃあ、おれでも、まずはこのように作ろうとするよ。他にないんじゃしょうがねえ。で、菓子折り作戦とかいう――。

あれがねえ。あまりに無理があるだろう。おれがあれ見ていちばん苦しいと思ったのは、ゴジラの口に氷水を流し込むところだよ。普通、人間も寝ているときにそんなことされたら、首を激しく振り動かして抵抗するだろ。ゴジラだってやられた途端にそうしてよさそうなもんだろう。水を注ぎ込むことなんか、まったくできずに終わりそうだぞ。

だいたい、ゴジラがゴクゴクと喉を動かして飲んでくれなきゃ、水は体の中に入っていかねえだろう。おれは見ながら、これじゃ口から全部こぼれて終わりじゃねえのかと思ったぞ。せめてあの蛇口と言うかなんと言うのかを、ゴジラの喉の奥までグッと突っ込んだらどうなんじゃい、と。

これは苦しい。無理があり過ぎ……まあ、もっともこれに関して、おれは決して人のことが言えぬところがあるんだけどね。おれの処女作『太平洋の翼』を読んでくれてる人はわかるだろうが、あれが結構『シン・ゴジラ』に似てると言えば似ているような話だからな。

ある世界を救うために残された猶予はわずか一日。そこで主人公が立てた作戦とは――というような展開で、やっぱりその作戦てのに無理がある。それを承知で書いたものでもあるんでさ。

『シン・ゴジラ』と同じだが、『SOS原子旅客機』と同じとも言える。だから繰り返し書いてるように、『FINAL WARS』の十年後にゴジラ映画の企画を立てるとどうしてもそれまでと違うリアルなものが必要と感じ、まず誰もが地中貫通型爆弾を話にもってこようとするのだ。

それが効いては話がおもしろくないけれど、だが〈効かない〉としてしまうともう風呂敷をたためない。結局、核が効いたのでは話がおもしろくなくなってしまい、人類が滅んで終わりという結末にするしかなくなる――。

そのジレンマに庵野も直面したんだろうよ。頑張ってあの一気飲み無理強い作戦で行くしかなかったんだ。イッキ! イッキ! バブルだよなあ。それで昭和の末頃はよく人が死んだんだっけ。庵野とタメ歳くらいのバカが――だったらまあしょうがないとおれにもわかるという話でもあるんだが。

『怪獣惑星』を作ったやつらは、ジレンマに悩むことはない。主人公がスーパーメカで「うおお」と叫べば無限の力。核投下三秒前の土壇場で、伏線なしにいきなり編み出した必殺技〈ハンドレッド・タキザワ・キック〉でゴジラを倒す。中島かずきに脚本を頼めば、小牧ノブのペナルティキックが榊裕に力を与えてダブルパワーでゴジラを破る『少林サッカー』な結末をちゃんと考えてくれるのだから。
作品名:ヤマト航海日誌 作家名:島田信之