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ヤマト航海日誌

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2014.12.16 『ミンキーモモ』をリメイクする



前回書いた五島勉の本だけど、改めて考えてみるに『大予言』を四冊はさすがに読まなかったような気がする。一、二冊は確かに一気読みしたが、あまりにもくだらないとも思ったのでそこでやめたんじゃなかったかな。何しろ憶えるようなもんじゃないんで、記憶が定かでないのだが。

さて、くだらないと言えば『ヤマト』だ。最近はケーブルテレビや地方局で『2199』が再三放送されている。よっぽど他に流すものがないのであろう。嫌々ながらにちょっと見ると、たとえば沖田艦長が〈宇宙のサルガッソー〉とかでこんなことを言うのにぶつかる。


「ここでは時空の性質が反転している。本来真空から無限にエネルギーを取り入れる特性を持つ波動エンジンが、逆にエネルギーを外部に放出してしまうのだ」


なんでそんなこと知ってんですか、沖田艦長! まだ真田が言うならわかるが、あんた別に科学者ってわけでもなんでもないよねえ。他のやつらも「へえ」とか言って聞いてるだけっておかしくねえか? 『二度と出ることのできない場所に入った』って意味なんじゃないの?

苦痛をこらえつつ見続けると、波動砲で元の空間に出られるとの情報がもたらされる。ドカンと一発、サルガッソーを抜け出すと、そこにはガミラス艦隊が。しかし沖田は慌てない。何もせずとも敵達は波動砲が開けた穴に呑み込まれて消えてしまった。そうなることを沖田は知っていたのである――。

いや、だからさ。なんでそんなこと知ってんだよ。沖田艦長、あんたそもそも波動砲ならサルガッソーを出られると知らなかったはずだよな。それがどうして――なんてなことを出渕裕のようなバカに言っても糠に釘であろう。嗚呼、とおれは、十三代目石川五エ門のように嘆くしかないのである。またつまらぬアニメを見てしまった……。

で、この前はどんな話をしたんだっけな。そうそう、〈東京の大学生〉だ。思春期過ぎてお子様向けのテレビマンガにかじりついて、「オレが『ヤマト』をリメイクする」と三十年間言い続けて出来た話があのサルガッソーかい、ぶっちゃんよ。これだから〈東京の大学生〉は……。

『ヤマト2199』が『宇宙戦艦ヤマト』じゃなくて『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のリメイクなのは、おれの世代の人間ならばひと目でわかることである。〈東京の大学生〉が理知的な存在でもなんでもなく、たんに日本の教育が生んだいびつな変態の集団であるのを明らかにしたのが『ミンキーモモ』だ。『2199』がそのリメイクである証拠に、見たまえ、岬百合亜という幼女が「ピピルマピピルマ」と唱えながらハダカに色塗った大人の女に変身しているじゃあないか!

『ミンキーモモ』だ! 三十年前に〈東京の大学生〉が、『ヤマト』や『ガンダム』以上に熱く、熱く熱く語ってたやつだ!

何しろ気味が悪かったからおれもまともに見たわけじゃないが、『ミンキーモモ』は確かにあんなアニメであった。ウン、そうか……出渕裕。『ヤマト』のフリして『ミンキーモモ』をリメイクする。さすが変態はやることが違う。

宮崎勤事件のときに思ったもんだ。やっぱりなあ、あの〈ぶっちゃん〉みたいなのを野放しにしたらいつかこんなことやると。地下鉄サリンのときも思った。毒ガス撒けば自分らの敵を抹殺できると思い込むとは、なんと幼稚な――。

と、ここで、今日の話の最初に戻る。オウムの麻原彰晃はサリンで〈敵〉を一掃できると〈知って〉いて、信者は信じて行動した。『2199』の沖田もなんでも〈知って〉いるので、古代らは何が起きても慌てない。「信じるのだ」と言う沖田をただ信じて突き進むのだ。

それで必ず勝利となる、と――まったく、人間、マジメで純真なのも程を過ぎるとよくないねえ。大人を信じるやつはバカだと普通はどっかで学ぶもんだが。


(付記:この日誌の三回目に『七話か八話で岬百合亜が艦内放送――』と書いたけれど、このときは記憶が曖昧だった。再放送で振り返ると、おれが『2199』に見切りをつけたのは第九話で、岬百合亜が四等兵の分際で一尉か二尉だかに向かって「ロボットに人権はないというの!」とかなんとか言い、それに対して上位であるはずの者達が、「ウッ、あると思うのか?」とかタジタジに応えた瞬間である。

この士官はより上である真田に向かい、「副長、あなたはどう思うんだ!」と声を上げる。真田はこれにムニャムニャと首相の答弁みたいな言葉を返す……岬百合亜の気色悪さもさることながら、中二の会話にホトホトあきれてもう見るのはやめた、というのが実際のところだった。

しかしあらためて考えるに、このシーンはカルトがよく洗脳で使うテクニックそのものだと言えるだろう。オウムの麻原彰晃が、習わぬ経を覚えただけの信者の子供を『これは真理を悟った者』と呼んでその親よりも位が高いとし、まさに鸚鵡(オウム)がしゃべるような言葉にいちいち頷いてやる。〈尊師〉がその子に返す言葉は、立ち会って聞く大人のはずの者達の常識を壊し自信を失わせるように計算されている。そうしてまともにものを考えることのできない〈戦士〉を作り上げ、狂気の教えに従うように仕向けるのだ。どうしても〈ロボット〉にならない者は追放もしくは処刑する。

オタクは選民だ。アニメを見続けろ。世間のやつらは間違っている。憎め、憎め、憎め、憎め……。『ヤマト』に限らず今の日本のアニメからは、もう怪物になった者らの呪詛の叫びが聞こえてくる。本放映をおれは毎週予約にしたまま、早送りで見てはいたから、続きがいよいよ地下鉄サリンになるのは概ね知っていた。だから本当に嫌々ながら、消したものをあらためて録画し、第十話の〈サルガッソー〉を見たのだが……という次第。結局、この一回だけで、以降の分は見ていない)



作品名:ヤマト航海日誌 作家名:島田信之