父と娘、時々息子
そのショックは自分の中でちょっと長引いてしまい、前章にも書いた通り父との相違でのストレスとのWで抱えていた時に事件が起きた。
どんだけ飲んでも酔えない感覚に、疑問は持っていたものの自分の限界値をとっくに越していたことに気づかず、飲み続けた結果救急車騒ぎとなってしまう。
そんな事件を引き起こしておきながら、次の日にはケロッとした顔で仕事をしていたから、父は「末恐ろしい・・・。」と繰り返していた。
でも、その事件のおかげで私の中でラストへ向けての覚悟は決まった。
40周年イベントをもってママが一代で築き上げたお店のラスト、私にもその時間を精一杯お手伝いしたい、と。
そのアニバーサリーに向けての準備が始まると、私は写真を担当した。
年代、ジャンル、人物別に分け、飾り枠をつけ、アルバムにまとめるといった作業で、昼間の仕事とあまり変わり映えしないが、特別な感覚が沸いてきてどことなく楽しかった。
写真を一枚一枚見ていけば、母が勤めていた時代の写真があったり、父がまだ太ってひげを生やした頃の物があったりして、名前は分からないけれどこの人知ってる!というのもあったりで、それがすべて詰まっていた。
その一つ一つは直接的に我が家につながってはいないが、巡り巡って、間接的には繋がっている気がしている。
一枚一枚すべてがすべてわかっていなくても、ちょっと目を通すだけでどんな感じの空気だったのかとか想像できるのが面白かった。
それはきっと、そのお店の人たちがどんな性格で、どんな思いを持ち、どんな性分の人達かというのが肌だけでわかっていたような気がする。
もし分かっていなかったとすれば想像すらせず、黙々と年代と人物だけで分けて、こんなもんじゃないか?と、妥協点をとても低いところで打たざるを得なくなるだろう。