父と娘、時々息子
16・時代の波1
時代の波は容赦がなかった。
不景気という引き潮はどんどん引いたまま押し返してくるものはなく、そのかわりに下品なネオンが北新地には増えた。
大阪で北新地といえば東京でいう銀座なのだと、誰に教わるでもなく、空気感が記憶に残っている。
香水の付け方一つにしても本当に上品で、子供というのは香水の香りがするだけで気持ち悪くなるが、子供の頃の私でも良い匂いがすると憧れたほどだった。
私が北新地に仕事で出入りするようになった頃には、キャバクラ層が入り込んできていて、キャストもスタッフも何かきな臭い・・・。
勿論、上品で話術と思いやりのある善良なキャバクラもあったが、ごく僅か。
別に高級志向が良いとかっていう話しではなく、日本人らしい所作をキャストはどこに置いてきたのや?という人の多いこと。
それを言うと、同年代のキャバ嬢に「意味わからんし〜。そんな堅っ苦しいの、嫌やん?お客さんも求めてないわ!」と、思い込み発言が出る始末であった。
勿論、私はキャバ嬢でもホステスでもなかったので、クラブにしたってキャバクラにしたってその内情なんか知らん。
でも、ある程度の人としての品格くらいはせめて新地の中だけでも持っていてはくれまいか、と思うことはある、未だに・・・。
昼間は打ち込みの仕事をし、夜からはお店に出るという生活を続けていたある日、お店を閉めるという話しを切り出された。
それまで、周囲の知っているお店が軒並みシーズン毎に振り落されていっているのを目の当たりにしていたから、いつか呑まれるのではないかとは思っていたが、こんなに早いとは思ってもみなかった。