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父と娘、時々息子

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 一度提出したものには、「諦める」というコマンドを自分の経験上から作り出したらしいのだが、一度だけ「やっぱりあれはあかんやろ!!!」と差し戻した依頼があったらしい。
 それも録音中に進行していくほどその「アカン!」は払拭されないまま、録音は続いた。
 さぁ、音合わせも済み、本チャン一発録音行きますか!というところで、父がマイクに向かって「みんな、悪いけど、この曲全部書き換えたいねん。」と言い出し、波乱が起きた。
 本人の中にはもう音の組み立てはできていたらしく、1時間弱で全パートのアレンジスコアを書き上げ、一発目の音合わせだけで、一発録音に挑んだことがあったらしい。
 その時の波乱の有様と、自分の中の焦りと、苛立ちに集中できているんだかできていないんだかわからない精神状態で続いた仕事ほど、こんな後味の悪いもんはない!!!と学び、それ以来「諦める」コマンドを作成したと言っていた。
 ね、正直な人でしょ?
 純粋すぎるゆえの波乱ですわね、これも。

 あとは、親しい友人たちが口をそろえて言うのは、「嫌だなぁと思う人がいても悪口だけは言わなかった」。
 だが、家族にはその後続く言葉がある。
「常識から外れたことをする人や人を傷つけるような事、和を乱すような事を目や耳にすると、真正面から口喧嘩した。」
 普段はとても温厚で楽しいことが大好きで、ちょっと気弱なヘタレなところもあった父。
 娘がこういう言葉を使うのは間違っているが、人として可愛らしさを持っている人であった。
 手だけは絶対に出さず、何か揉めると必ず話し合い、話し合いでこじれて出されかけたことはあっても、父は相手に向かって拳を握ることはしなかった。
 それと同じことで、人から発せられるものには何かしらのメリットとデメリット、相対性が働いているものだと考えていた。
 言葉一つにとっても、薬になれば毒、または凶器に変わるということを父は誰よりも強く感じていたのかもしれない。
 私もそれに影響されて、文章を作る時には気をつけていることがある。
 それは包み隠さず、隠語を人に差して使わないことである。
 フィクションで隠語を使うにも、細心の注意を払って書いている程、私も自然とその怖さを学んだのだと思う。
 よく、いじめ問題についてニュースで耳にするたび、「メディア素人がメディアの真似事をネットを使ってするから、無法化すんねん。媒体を使う人は媒体の怖さを知らな、そもそも使ったらいかん。」とぼやいていた。
 まったくもってその通りだ。
 言葉には物象、現象化するちからがとても強い。
 それを父は周辺の環境もあって、強くそれを感じていた。
 これらからわかるように、正義感は強い人である。
 だが、それを押し付けるのではなく諭し、学ぶか学ばないかはその人の器量に任せた。

作品名:父と娘、時々息子 作家名:SAYA.