父と娘、時々息子
純粋でわかりやすい。
一般社会の擦れている考えは持ち合わせていなかった。
嘘も苦手な人で、嘘をつくとなぜか困っていないのに困った顔をする。
隠し事も苦手だった。
内緒だと言われたことでも、よく口を滑らせる節があったので、隣に私がいるときは、袖を引っ張って止めていたこともあった。
一般社会、つまりどこかの会社で務めたという実績も経験もないため、擦れる必要性がなかったのだろう。
音楽一辺倒でやってきた父である。
オタクな職人だ。
生前、よく言っていた言葉がある。
「芸能に通じる人はみんなオタクじゃないと、芸なんかできるわけがない。長くも続かない。」
父の言葉に、私も同意見だ。
結局芸事は、人が好きでなければできないことだと、何を見ていても思う。
人間の行動、言動、思想、それらを一度模写するところから始め、自分の思う、感じるものを体を使って表現していくのが芸だと私は思う。
それは、絵画や音楽、芝居、舞踊、小説、コミック、料理、工芸、技術職、全部ひっくるめた物が父の言う「芸」の言葉に集約されている。
先ほど、音楽一辺倒と書いたが少し訂正を加える。
音楽をする前に少しばかり、職人だった時代がある。
父の実家が神具職人だったこともあり、音楽だけで食べていくようになる前は職人だった。
何かを作るということはとても労力と観察力、素早さに忍耐が求められるものだ。
そういう意味では父はエキスパートだったように思う。だが、問題はそこに妥協点を見いだせるかどうかで、趣味で留まるか、職業として成り立つかが決まるのだとか。
勿論、最高のものを提供するのがプロである。
だが最高点、つまり頂上点のものを作るには時間をかければできることもあるだろうが、提供するとなると少なからず時間が存在する。
提供する、つまり依頼があるために作成する、または修繕させていただけるというチャンスがある。
そこには、納期という時間が存在してくるため、頂上点のものを提供できるのには限りがある。
最高点ではなく最高位に高められるかどうかで職業になるか趣味になるかの違いがあるようなのだ。