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父と娘、時々息子

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 この幼少の頃の性格を強制したのは、この家庭環境であったことは違いない。
 そして父自身、なりたくてなったわけではない病の数々が、私の人格を形成した。
 何より一番学んだことといえば、親も生物であるということ。
 母が幼少の頃に亡くなっているので絶対的な生存は信じておらず、いつかは死を迎えることは分かっていた。
 ところが病院へ行き、父の入院手続きをするたびに担当医から「限界まで手を尽くしますが、どの病気でも必ず治る、必ず元の通りと言うわけにはいきません。」と説明がされる。
 基本は患者本人が直るための努力を注いで初めて医師の施した医療行為が本領を発揮する。その努力をそぐことがないように、家族説明で必ず言われる決まり文句のようなものなのだが、ある医師は付け加えた。
「心のすべてで治ると信じないで、そこの4割は生物学的にとらえてなくなるという事実も覚悟しておいてください。子度ならなおさらの事、親は死なないと勝手に神格化させてしまう傾向があって、いざ直面すると耐えられず、異常行動に陥りがちなんです。」
 私は既に母を見送り、その記憶もすべてではないがある。
 通夜の様子や葬儀、火葬場、納骨の時のことも途切れ途切れではあるがちゃんと記憶に残っていて、忘れようにも、忘れたくても、事実として私の中には長く留まっている。
 医者に言われなくとも・・・と思う反面、直面した時の私はどう変わってしまうのか、怖くもあった。
 それが行き過ぎて、父が亡くなってしまったら、どんなに寂しくどんなにつらいか、不安が大きくなり、止まらなくなって独り泣きじゃくることも多かった。
 よくそんなことでなく時間があるなと自分に嫌味を零したが、実はこれが大事なことなんだとある時に気が付く。
 なく泣かない限らず、動揺していっぱいいっぱいなところを経験すれば経験するほど、自分の許容範囲が広がってゆくようなのだ。
 まぁ、自分の中での変化なので、人から見て明らかに変わったかどうかはよくわからないが、私が私自身、ちょっと前向きになれているかも…と思えるだけの変化はあった。
 涙の数といった詞はたくさんあるが、それだけ人を成長させるという現れであると同時に、老若男女それだけ泣いている、または泣きたいといったところか。

作品名:父と娘、時々息子 作家名:SAYA.