父と娘、時々息子
05・中学生への告知
中学一年の春、学校と言い、私と言い、何より教師のやり方がどう見積もったって間違えている方向へしか進まず、それらは私自身に降ってきた。過度なストレスにさらされ、重度の適応障害に陥り、完全なる登校拒否児になってしまった。
制服をかけてあるハンガーに手を伸ばすだけで吐き下し、頭痛、耳鳴り、さらに鬱も重なり、ほぼ家に引きこもる生活が続いていたある日、父が弟もリビングに呼び、丸テーブルを囲むように着かせた。
その時の空気がとても重たく感じて、座りたくないと思う気持ちが強くなる。そういうときの私の勘は鋭く、嫌な印象をとらえてしまうと現実に起こりやすい。なるべく気をしっかり持って、いつも通りの説教だと刷り込みをし乍ら父が口を開くのを待った。
父はテレビの電源を切り、リビングを無音状態にしてその嫌な印象はさらに強くなってしまい、刷り込みに意味がなくなってしまった。
そして父は本題を口にした。
「ちょっと、心配なことあんねん・・・。胃癌かもしれん。」
本当に何の前置きもなく、この言葉だけ放たれた。
十何年ぶりに府から送られてくる人間ドックの案内で重い腰を上げ、身体の検査を受けた。間もなくして再検査の必要性があると通知が来て、胃カメラを飲まされて来た夕方にこの状況になった。
父が聞いてきた話では、胃カメラでも腫瘍は見えており、ただそれが良性か悪性かで手術が必要か否かの判断がつけられる、そう言った。その胃カメラの先で胃壁を採取され、組織検体へ出したので、あとは病院から電話で知らせてくるのを待っていたらいいというところまで聞かされた。