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父と娘、時々息子

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04・今思えば…




 4年生の秋、父に最終通達を出された。
「帰阪する。」
 問答無用であった。
 時期は話し合いをしたとおり、学年昇級の春休みの間に大阪へ戻って来て、休み明けから大阪の小学校へ移ることとなった。その上、私の知らないあいだに学校のほうとも話をしてきたようだった。
 私は「勝手だ!」と精一杯にぶーたれたが、父には痛くも痒くもなく、放置しておけば何かのきっかけで機嫌を直すだろうとタカをくくっていたはずだ。
 現実は、私の頑固さで一週間は電話しても電話に出ない、出てきてもそっけない態度で「何?宿題の邪魔!」と、弟に受話器を渡したりと、苦戦していたようである。
 帰阪する日、車の中でも一切父とは口を聞かなかった。聞けなかった、という表現でも間違ってはいない。
 なんせ、金沢にいるときは親戚のおじさんと思わずには、寂しすぎたのだ。
 月に2回、実質二日ずつしか会えない父だと、寂しくて最後には必ず泣いて引き留めようとするのだから、父にとってこんなやるせないことはない。ならば、こちらが何かすり替えをして、気丈に振る舞おうとした。
 それが、「親戚のおじさん」化させることだった。
 それを、日付まで決められてこの日に帰阪する、と言われても、その日からまた父と思えなんて、思えるわきゃないやろーっ!ってなもんで・・・。
 やはり、帰阪してからも遠慮があり、家の中でも行儀よくという意識が、中学入るまで続いた。
 まぁ、猫かぶりだったわけだ。
 中学に入ったころ、少しずつ父になり始めたとたん、衝突するようになる。と、言っても我が家の基本は温厚柔和な家風なので、喧嘩とか衝突とか苦手である。それでも「これは喧嘩してでも・・・、」というときはやむを得ずするが、絶対に手は出さない。口喧嘩。
 それもくだらないことでね・・・。
 年頃の娘の前で、夏場は下着一枚でいるのが平気な人だった為、それが喧嘩の元になる。
「暑いもんは暑いから、エアコンつけてても暑かったら、脱ぐしかないやろ!」
という言い分と、
「私はそんな姿を毎日毎日見たないし!!!そもそも、急な来客があったら、その姿を人に見せることになるんよ!!!」
という言い分で口喧嘩・・・。
 今思うと、本当にくだらないことでよく親子喧嘩していた。特に意地汚いというか、食べ物のことが多かった気がする。しかも、あれがないこれがない、こっちが多い、少ない、あの料理にあの薬味はないわぁとか・・・。
 そんな程度の喧嘩なら幾つもしていたな、懐かしい・・・。

作品名:父と娘、時々息子 作家名:SAYA.