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永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)

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と言って、近江守が指さす方向に先ほどの親子ずれのような若い男女の姿があった。二人は明らかに近江守の姿を認めながら、歩を早めるでもなく、並の歩幅で彼に近づいてきたのである。                                    「待ちかねたぞ。正月早々お集まりの皆様もお待ちかねだ。」            
「申し訳ございません。近江守様。少し手間取りまして。一(はじめ)様、こちらが近江守様でございますよ。ご挨拶なさいませ。」                     「山口一にございます。お見しりおきを」
 彼の声は、まるで下手な役者のように一本調子だった。近江守はいささかあきれてこう言ったのである。                                 「おいおい、やそよ。こんな調子で大丈夫なのか。」                 
「それは私には分かりません。私はただ、仰せの通りにしたまでで、その結果までは存じ上げません。」                               「うむ、そうか、そうだな。そなたはそうとしか言えぬな。分かった。とにかく皆様がお待ちだ。中へ入れ。」                              「分かりました。お芳、お前はここで待っておいで。」                
「はい、姫様。後で中のことを詳しくお話し下さいね。」
 近江守は、芳が来ぬと聞いて少し残念そうな顔をしたが、そのまま二人を中へと導いたのだった。三人が一礼をして道場の中へ入ると、そこには稽古着姿の屈強の男達が普通より短い竹刀を持って待ち構えていたのである。そして、その中の一人の初老の男が一歩前へ出たのだった。   
「男谷様、正月からわざわざの起こし、痛みいります。こちらがお話した山口一にございます。後ろに控えしは、篠田やそにございます。」                     
 やそは膝をついて一同にお辞儀をしたのである。男臭い講武場の道場が、美男美女の出現でぱっと明るくなったようだった。                           「いや、拙者達が集まったのもそちと思いは同じ。正月が何だ。伝説の無外流の奥義が蘇り、その試しの相手が出来るというのだから、家で屠蘇など飲んでいられぬわい。おぉ、そうだ。わしと同じモノ好きでここに集いし者どもを紹介しておこう。まずわしじゃが、直心影流男谷精一郎信友と申す。この講武場を取り仕切る者の一人でもござる。おい、お主ら。後は自己紹介せえ。」
 男谷精一郎にそう言われ、彼の傍に立つ者から順に自ら名乗り始めたのである。     
「同じく直心影流、榊原健吉。」                          
「同じく直心影流、勝麟太郎。」
「心形刀流、三橋虎蔵で御座る。」                          「同じく、伊庭軍兵衛。」                            「神陰流、山岡鉄太郎。」                                                           「溝口一刀流、佐川官兵衛。」                            「天然理心流、小野田東市。」                           「北辰一刀流、中島三郎助。」                            「神道無念流、桂小五郎。以上、八名にて貴殿のお相手致す。いざ、覚悟めされい。」     「まずは拙者から、よろしゅうございますか、男谷様。」               
と三橋が間髪入れず口を出すと、他の者も黙っていなかったのだった。
「いや拙者が。」
「拙者こそ。」
と騒がしくなると、男谷が一同をすぐ制したのである。                 「各々方、誰彼と先陣を争うことはござらん。山口一殿の用意さえ良ければ、皆で一斉に打ちかかるがよろしかろう。」                    「先生、それではあまりに我らを見くびられているのではございませんか。」     
と若い榊原が色をなして叫んだのだった。それに対し男谷は、あくまで冷静にこう諭したのである。   
「この中の誰それと良い勝負するような程度であれば、お主らをわざわざ呼ぶまでもあるまい。わし一人で見聞いたしておるよ。」                    「それでは男谷先生、この者、我ら全員でたたきのめし、二度と竹刀の握れぬ身体にしてしまいましてもよろしゅうございますな。」                     と三橋が吠えると、剣士たちの中で勝麟太郎だけは、三橋の激高振りを冷ややかに見ていたのだった。
「三橋さん。男谷様のように少し落ち着いたらどうだい。」
 そう言われても、三橋を始めとする他の六人の興奮は収まりそうもなかったのである。それを見た男谷は、にやりと笑いながらこう続けたのだった。              
「あぁ一向に構わん。もしもそれがお主らにできるものならばな。一(はじめ)殿、さあ、この竹刀を持たれい。この竹刀は我が講武場特製でな。皆が手にしておるのも同じものだから、お前さんのも同じものが良かろうと思う。さっ構えられよ。わしと近江守、そしてやそ殿はよっくと見せていただく。よろしいかな。皆のもの、用意は良いか。」
 男谷の掛け声で、全員が短い竹刀を構え、山口一の周りをぐるりと囲んだのである。一(はじめ)は竹刀を左腕を利き腕にして持ち、相変わらず力の入っていないへなへなとした様子で構えたのだった。それを見た八人の剣客は、口にこそ出さなかったが、『この若造、我らをなめおって。痛い目にあうだけでは済まぬぞ。』と心中一様に念じていたのである。        
「始め!」
 彼の声と共に全員がそれぞれ独特の気合の声を上げ、山口一に襲いかかった。するとどうしたことか、彼を捉えるはずの八本の竹刀は、まるでスローモーション再生を見るように動きがゆっくりとなったかと思うと、八本全部が、バチッと言う音とともに宙へ舞い、八人の剣士はその場にうづくまってしまったのである。
「無外真伝剣法八則、玉簾不断。」                                   と一(はじめ)はつぶやき、左腕には竹刀が握られ、辺りには焦げ臭いにおいが立ち込めていたのだった。打ちすえられた八人は元より、目の前で見ていたはずの三人にも何が何だか分からず、ぽかんとしていたのである。男谷はその中でいち早く気を取り直し、一(はじめ)にこう尋ねたのだった。                                   「一殿、大変申し訳ござらんが、今何がどうなったのか、よろしければご説明してくださらんか?」