永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
見ると、やそは大粒の涙をその美しい目から流していたのである。
「やそ様。」 「だって、だって。一様は悲しみたくても悲しむこともできないのだ。だから、私が代わりに泣いて差し上げるのだ。」
とやそは、返事をしてまた涙をぬぐったのだった。山口一はまるで生き人形のように無表情に座ったまま、黙ってふるまわれた酒を飲んでいるのである。 「姫様。」
そう再び言ったきり、芳もまた泣き始めたのだ。続いて芳の隣のおこうも涙を流し、川合夫妻もまた泣いていたのである。無表情な一(はじめ)が、おこうの方を向き、泣いていたおこうと目が合ったのだ。彼は忍びだけが使う、声を出さずに唇だけで通じ合う会話法で話しかけたのである。
「母上、あなた様は私の本当の母上様なのですね。」
「やはり知れてしまったのですね。」 「はい。万法帰一刀を会得した時から母上の心も知ってしまいました。どうして母子の名乗りをしてくださらないのですか?」 「それは平兵衛様のご意思でもあり、そなたを実の子として育ててくれた山口夫妻への義理も礼儀もあります。」 「ならば、何ゆえお亡くなりになったと偽りをなされたのですか?」
「それも同じことです。さらにそうすることが、そなたを山口夫妻に預ける理由として自然なのです。それに…。」 「それに?」 「それに私は幼い頃より女だてらに拳法を学び、それを極めんと両の乳房を切り取ってしまったのです。もちろんその時は、もはや誰かと結ばれ、子をなすなどと思ってはおりませんでした。それが、私に強力な気功の能力があることを知った永井様が、私と平兵衛様を見合わせたのです。私は子をなすことは出来ても、乳を与えることは出来ません。どちらにしろそなたは里子に出される運命だったのです。ですが、まさかこんなことになろうとは…。」 「本当にこうなることをご存知なかったと。」 「恐らく、この計画が事前に私に知れれば、私が邪魔をするとでも思ったのでしょう。もしかしたらそうかもしれませんが、今となっては全て終わったことです。これからは、そなたとも同じ一味として手を携えて励むのみです。」 「分かりました。ですが、本当に母上はそれで良いのですか?」
「それで良いのです。それで…。」
二人の会話は、誰にも気づかれぬままそれで途絶えたかに思えたが、人の心の読めるやそだけには、全て筒抜けであったのだった。
(第六場)加納藩江戸藩邸にて
食事の後、こうをその場に残して山口一とやそと芳は川井邸を後にしたのである。
そして何故か山口祐助の家へは行かず、やそ達が荷物をおいてある白金村の加納藩江戸屋敷へと向かったのだった。藩邸では加納から供をしてきた他の小者が待っていて、三人を出迎えたのである。三人は中に入ると、山口一だけが一室に待たされ、やそと芳は用を済ますまで待ってくれと言い残して隣の部屋へ消えていったのだった。芳はやそのことを姫と呼んでいるが、彼女は旗本永井尚志の妾腹であり、本当の姫とは自ずから扱いも違っていたのである。しばらくすると一は芳に風呂に案内され、入浴が済むと、白い浴衣に着替えさせられたのだった。それが終わると、だいぶ夜も更けていたのである。そのまま一(はじめ)は隣の部屋に通されたのだった。部屋には既に白い浴衣に着替えたやそと芳が正坐しており、部屋には枕の二つ置かれた布団が敷かれていたのである。一がやその隣に正坐すると、やそは改めて三つ指をついてこう述べたのだった。
「実の父上が亡くなられたその夜に、このようなご用意をしてまことに申し訳なく存じます。ただ、あの試合の時より通夜の時までご様子を窺ってまいりましたが、もはや一刻の猶予もならぬとお察っししました。一(はじめ)様のお心をお救いするには、心を通じ合えるこの世でただ一人の女子(おなご)である私と肌を合わせるより他にないと存じます。このことにつきましては、私のお婆様の幾島様にご指事を仰いでおりまする。しかし、実は私は七つの祝いの時、その幾島様、私はお婆様と呼んでおりますが、その方から託宣され、私には生涯にただ一人契るべきおのこが現れるから、決してそれまで操を誰にも捧げぬように言われ、それを十九になる今日まで守って参りました。また一様は、昨日元服の儀を済まされたばかり、おなごのことなど知る由もありますまい。そこで今日は、このお芳に介添え女を務めてもらい、万事ご指導を仰ぐことといたしました。一様、よろしゅうございますか。」
一は無表情のまま黙って頷いたのである。
「それでは一様も姫様も、始めましょうか。何しろこの芳は本場吉原仕込みの上、こう見えて姫様より年上なんですから、万事お任せ下さりますよう。」
と彼女は、まるで花でも摘みに行くかのように気楽に口火を切ったのだった。その時突如として、一が口を利いたのである。
「やそ様。私は子種を増やすことも無きものとするのも自在です。やそ様、今宵はどちらを望みまするか。」
やそはそう言われて、目を潤ませながらこう答えたのだった。
「今後の任務に差し支えがありますから、そう云うものは無きようにお願い申し上げます。」
(第七場)講武場にて
講武所は、安政三(一八五六)年、黒船来航などの外圧に刺激された幕府が、旗本・御家人とその子弟を鍛え直す目的でまずは築地に発足され、その当時は講武場で呼ばれていたのである。その発足には、剣豪の男谷信友(おやのぶとも)や旗本の永井尚志らが深く関わっていたのだ。ここでは、剣術を始めとして洋式兵学、砲術、槍、弓、鉄砲などあらゆる武芸を日夜研鑽していたのである。先ほど斎藤平兵衛と山口一の試合を見聞していた山口近江守直邦も、ここの鉄砲組の一人であった。その近江守が、先程山口一の来訪の知らせを芳から受け、居ても立ってもいられず、講武場の門の前に立ち、今や遅しとその来訪を待ちかねているのである。傍らには件の芳が控えて、見るも恐ろしい顔をした近江守が何やら忙しげにしているのを面白そうに見守っていたのだ。 「近江守さまー。お二人はすぐに参りますよ〜。ご安心下さい。」
どうやらこの少女には、全ての男が恐ろしく無いらしい。
「分かっておる、分かってはおるのだが…。あっあれではないか。」
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊