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永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)

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 やその声に、あれ程反応の無かった一(はじめ)の肩が一瞬震えたように見えたのである。そして、ゆつくり、ゆっくりと、顔を伏せたまま左腕だけを動かして、その指を宙にさまよわせ始めたのだ。その機を逃さず、やそは自らの右手を伸ばし、彼のその手をしっかりとつかんだのである。そして自らの真名までも告げて、彼を呼ぶのだった。
「三郎様、私です。春日でございますよ。お忘れですか?」
 その声に反応して、やその右手を一(はじめ)がつかみ返したのを彼女は確かに感じたのである。そしてやそは、幾島に言われた予言の言葉の続きを思い出していたのだった。
「良いか、やそ。お前達は巡り会い、愛し合う定めなのじゃ。じゃがこの世の理(ことわり)に反して再び巡り会った恋人は、天の理を犯した罪で、再び死によって引き離される定めにある。良いか、忘れるで無いぞ。例え二人が巡り会っても、お前は添い遂げることは出来ぬ。お前が再び先に死に、奴は生き残り、二人は離ればなれになる定めなのじゃ。」
 (第四場)再び元の河原
 やそは、
「うーん。」
と小さくうなった後、うっすらと眼を開くと、そこには心配そうに自分を見つめる芳の大きな二つの眼があったのである。                「姫様、姫様、大丈夫でございますか。」                       「あっ芳、私は戻ったのですね。」                          「はい、そうでございます。先ほどにわかに姫様がお倒れになったので、芳はどうされたのかと心配で心配で。」                               「そうか。もう大事ないぞ。はっ、ところで一(はじめ)様はどうなされた。」
 そう言ってからやそが辺りを見回すと、一(はじめ)がやそのすぐ後ろに立っていて、こちらを窺っているのが目に入ってきたのだった。しかし、やそはこの時確かに彼と目があったにもかかわらず、彼は何も言う気配もないどころか、ぴくりとも動くことは無かったのである。
「一(はじめ)様は姫様がお倒れになると、すぐにお目ざめになり、やおらお立ちがりなさったかと思うと、そのまま何もおっしゃられず、話しかけてもお返事もなく、またお姫様をお見つめになったままぴくりとも動こうとなさらなかったのです。」
 やそは芳に支えられながらゆっくりと立ち上がると、目の前の男に話しかけてみたのだった。
「一(はじめ)様、お初にお目にかかります。私は篠田やそと申す者にございます。今後は、あなた様のお側を片時も離れず、手足となってお役に立ちたく存じますのでよろしゅうお願い申し上げます。また、こちらに控えしは、芳と申し、私のお付きの者でございますから、私同様下知を下さいますよう。」                 
とここまで言って、やそはある事に気が付いたのである。一(はじめ)は相変わらず身動き一つせず、こちらをぼんやりと見ているだけだったのだ。そこでやそは、ためしにこう聞いてみたのである。    
「一(はじめ)様、一様、私の声がお分かりですか?」                             
 それに対し彼は、端正な顔を無表情にしたままぼそっと呟いたのだった。           
「うむ、やそ殿、聞こえている。だが、拙者の下知に従うとのことだったが、それは少し無理のようだ。拙者は今、自分が何をなすべきかは元より、何をするかさえ分らぬ。それよりもやそ殿、拙者にこそ下知してくださるまいか。お願いいたす。」      
 それを聞いてやそは、『やはり』と思ったのである。あらかじめ聞いていた話でも、こういう事態は予想されていたのだった。
「やむをえぬか。」
とあきらめると、すぐにこう述べたのである。                                     「分かりました。こうなるであろうことはあらかじめ見当がついておりました。このまま一(はじめ)様にお役を押し付けるのは無理がありました。あなた様が真にお目ざめになるまでは、このやそがお助け申し上げます。それでよろしゅうございますか?」     
「うむ、何事もよろしく頼む。」                          
 それを聞いたやそは、『あの一(はじめ)様の心の中のことはお覚えではないのかしら』と思いながらこう答えたのだった。                           「それではこれより、このやそにお任せ下さいませ。それではまずお聞きしますが、一(はじめ)様は朝よりお食事をお召し上がりではないのではございませんか。」     
「そうだな。」                                  と、彼は相変わらずぼそっと呟いたのである。                        「やはりさようでございましたか。もう昼時をとうに過ぎております。まずは祐助様の所で腹ごしらえをいたしましょう。これお芳、お前一足先に行って、ことの次第を祐助様のご家族に告げてまいれ。」                         「承知いたしました。」                              と言うが早いか、芳の姿はその場よりかき消すように消えていたのである。           「さっそれでは一(はじめ)様、我らも参りましょう。」                と言い、やそは彼の右ひじをつかみ、先程は使わなかった河原への降り口へと向かった。一(はじめ)はそれに対し、まるで童のように返事をしたのである。「うむ、分かった。」                                 
 そう言って連れて行かれる彼と彼女の姿は、まるで母親と一人息子のようであった。  
(第五場)川井の家にて                              
 時はあれからいくらも立っていない。職人にしてはやや広い屋敷の中、修復された斎藤平兵衛の遺体が白い服を着させられ、部屋の上座に寝かせられていたのだった。どう連絡をつけたのか、僧がいて読経をあげ終わった所である。喪主は川井亀太郎が務め、その女房らが帰り支度をする僧の世話を焼いていたのだった。部屋の中にはこの他に、川井の長男の久仲、養女ということになっている芳がまずいたのである。山口祐助夫妻もいたが、僧といっしょに席をたった山口近江守とともに席を立っていたのだった。山口一は斎藤の一番弟子と言うことでその場にいたが、もちろん親子の名乗りなどはしていなかったのである。やそは一(はじめ)の横に影のようによりそい、こうはその向かいに座していたのだった。
 密葬ではあったが、川合家の方で簡単な通夜の夕餉が用意され、川井の妻や長男の嫁が給仕をして、亀太郎も席について食事が始まったのだ。一同言葉少なに黙々と箸を進めたが、やそだけは、箸を持って一(はじめ)を見つめたまま身動きしなくなっていたのである。席についた芳がそれに気づき、声をかけたのだった。                       「どうかなされましたか、姫様。あっ。」