小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)

INDEX|65ページ/67ページ|

次のページ前のページ
 

 この年二月二七日、藤田五郎は東京高等師範学校付属東京博物館を退職し、その慰労会の席で、退職と山口家の断絶が重なってつい深酔いしてしまった彼は、飲み友達の山川浩の弟の健次郎に盛んにこう述べたのだった。
「健次郎君、私の実家の山口家は断絶してしまったのだよ。私の故郷は会津しか無いんだ。私は死んだら、会津の阿弥陀寺の会津戊申戦死者之墓に傍らに葬ってもらう積りなんだよ。」
 さらに彼は、再び時尾のいとこの高嶺秀夫の好意で、彼の新しい赴任先でもある東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)の庶務係兼会計係となるのである。
 既に五六歳となっていた彼だが、そのきびきびとした仕事振りは評判であったと云う。特に雨が降って学校の女子生徒を迎えに来る馬車で混雑すると、羽織姿の彼が交通整理して車の流れがスムーズになるよう的確に指示を出したのである。
 これを見ていた花も恥じらう良家の乙女達の間で、彼は評判になっていたのだ。
「あっ、ご覧になって、五郎様が交通整理をしていらっしゃる。」
「まあ、本当。いつ見ても五郎様は凛々しくて素敵だわ。あれこそ日本男児の鏡と言えるのではないかしら。」
 そんな女学生達の声が聞こえたのか聞こえないのか、五郎は表情も変えずに任務を黙々とこなしていくのである。その姿がまた、彼女達の心をくすぐったのであった。
 そんな日々が続いた明治三七年、古(こ)閑(が)?(たん)次(じ)が消防士として殉職したこの年の二月、日々悪化する日露関係に頭を悩ませていた昭憲皇后(明治天皇の妻)の枕元に白装束の一人の武士が立ち、こう述べたのだと云う。
「わしは坂本と云うもんぜよ。わしが見守っておりますきに、ロシアとの戦(いくさ)は必ず勝ちますろうから、どうぞ安心してつかあさい。」
 皇后は、目覚めてからこの夢を不思議に思い、当時の宮内大臣の田中光顕に坂本と云う名の武士についてお尋ねになられたのだった。それに対し元陸援隊の土佐藩士の田中は、すかさずこう答えたのである。
「皇后様、その坂本と云う武士は、恐らく死んだ我が同士坂本龍馬かと思われます。彼の海援隊には、外相の故陸奥宗光がおり、勝門下の弟弟子に山本権兵衛海軍大臣がおります。恐らく彼が見守っていると言ったのは、このことを指すのではないでしょうか。」
 こうしてそれまで埋もれていた龍馬の名は、一躍有名となるのであった。
 同年三月末日、日本とロシアの開戦が秒読み段階に入った頃、高嶺の斡旋により秋田の名家の令嬢西野みどり嬢が東京女子高等師範学校に通うため下宿することに決まり、藤田家に越して来たのである。みどりが初めて藤田家の玄関を訪れた時、藤田の長男の勉が陸軍に寄宿するために家を出る日に彼女が来たのであった。この時両親は意外にも、と言ったら失礼かもしれないが、勉が日露戦争に従軍するであろうことを心から励ましたのであった。その証拠に、五郎は息子に最新式の双眼鏡と用済みとなった自らの『鬼切丸』を軍刀として持たせたのである。この双眼鏡は同時期の例を言えば、あの連合艦隊の東郷平八郎総督が個人的に持っていた物と同じだったのだ。東郷はこの双眼鏡を以っていち早くバルチック艦隊を発見し、日本を大勝利へと導いたのである。五郎がいかに心から息子の身を案じていたのか、分かろうかと云うものであった。
 話を元の時間に戻すと、勉が制服に着替え、家の玄関に出た途端、入ろうと声をかけようとしたみどりとこの時鉢合わせしてしまったのである。
「ごめんあそばせ。」
「失敬。」
 その時二人は偶然一度だけ顔を合わせたのだが、一目見て互いに恋に落ちてしまったのだった。この時勉、満で二八歳、みどり、満で十八の時であった。
 勉が去ってみどりが開けたままの玄関の中に向き直ると、勉を見送っていた五郎と時尾が立っていたのである。みどりは慌てて二人に頭を下げたのであった。
「酒田から参りました西野みどりと申します。御主人の藤田五郎様と奥様の時尾様でいらっしゃいますか。宜しくお願いします。」
 みどりは頭を上げて二人を改めて見ると、たった今見た勉と瓜二つの五郎の顔を見て驚き、思わず笑い出してしまったのである。時尾は突然笑い出した初対面の少女を無礼に思い、静かにこう諭したのであった。
「みどりさん、東京女子高等師範学校にこれから通うと云うお嬢様が、初対面の人の前で笑い出すとは何事ですか。」
 時尾はそう小言を言ったものの、初対面の緑に対し、好感を抱いていたのである。それは、女なから師範学校の理科を専攻するみどりの凛とした出で立ちが、どことなく亡きやそを彷彿としたからであろう。
『もしや、やそ姫様は早くも蘇ったのでは。いや、顔形はそれ程似ているわけではない。全体の雰囲気が似ているに過ぎないのだ。』
 みどりは時尾に一括され、恐縮して笑った理由を小声で話し出したのである。
「すみません。今出てらっしゃった方と御主人様があまりに似てらっしゃったので、つい笑ってしまいました。お許し下さい。」
 時尾はいつもと違い、息子の勉と父の五郎が似ていると言われ、『あぁ、五郎様の時代も終わられたのだなあ』と密かに思ったのだった。
 女学生の躾は、これまで何度も経験してきて慣れている時尾であったが、西野みどりの礼儀作法は格別であったのである。彼女は最初の時を抜かして滅多に時尾に注意を受けることは無かったが、たまに注意されても、それを二度と繰り返すことは無かったのであった。その上部屋の中も綺麗に片付いている上、そんなことは要求していなかったのだが、下宿の家事も率先してやっていたのである。特に時尾が感心したのは、彼女が留守をしていた時、年を取ってからまるようになった五郎の痰を、嫌がりもせず箸の先に綿をからませた物で取って上げていたことであった。時尾は帰って来てこのことを知り、みどりにまず厚く礼を言ったのである。そして元々好感を持っていたこともあり、彼女の実家に即座に、高師を卒業したら長男の嫁に欲しい、と手紙を書いたのであった。時尾は、出で立ちがやそと似ているみどりなら、五郎も嫁として依存あるまいと判断し、夫に相談もせずこの挙に出たのである。実家は驚いた。西野家と言えば、豊かな酒田でも指折の豪商である。いくら東京女子高等師範学校校長の高嶺からの紹介と言っても、藤田の正体を知らない西尾家から見ればどう見ても藤田家と釣り合うわけがない。しかし、自由な家風であった同家は、まず本人のみどりの意向を聞くことにしたのであった。実家からの突然の問い合わせの文(ふみ)に対し、みどりは即座にこう返事を書いたのである。
「私、大学まで行かせてもらってこんなことを言って大変心苦しいのですが、藤田勉様の元に嫁ぐのに異存はありませんし、時尾様に嫁に欲しいと言われ、大変光栄に思っております。勉様が無事戦地よりお帰りになったら、妻になりとうございます。ですからこのお話は、是非進めて頂きたく存じます。」
 こうして大陸へ出兵していく勉をよそに、縁談は進められていったのであった。