永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
その後さすがの秦(篠原)秦之進も、ライフルロケットを以ってしても歯が立たない彼の命を狙うことの断念したのだった。その後秦は犯した罪を懺悔したのか、晩年キリスト教に帰依し、昭和四四年静かに没したのである。
密偵の仕事は緊張の途切れぬ日々であった。故にたまに休みを取って自宅で過ごすこととなると、妙におどけて張り詰めた神経を癒したくなるのである。これはまた、最近特に彼は人間らしくなって来て、彼が身に付けた『死人暗示』が解け掛けてきたことを意味するのでもあった。例えば最近自分と良く似て来た長男の勉が厠(かわや)から出て来た時、柱の影に隠れていた五郎が突然出て来て、丸めた新聞紙でこう叫びながら勉の頭を打ったのである。
「士道不覚悟!」
勉は打たれた頭を押さえながら、父親にこう言ったのであった。
「痛いなあ。父上、何をなさるのですか?」
「はっはっはっはっはっ。悪い、悪い。昔の父は、そう言って新撰組の不覚悟者を何人も斬ってきたのだぞ。」
そう言って、五郎は久し振りに勉を抱き上げたのである。
「止めて下さい、父上。私はもう童ではございません。」
「うお、なるほど勉、重くなったなあ。どうだ、学問は進んでいるか。」
「それが父上、どうやら私は、学問には向いていないようです。私は父上のような軍人になりとうございます。」
「はっはっはっはっは。軍人でも良いぞ。だがな、わしの様な軍人にはなるな。わしの様な者も、わしの技も、わしの代限りじゃ。分かったな。」
「何故ですか、父上。父上の技は永井百年の成果なのでしょう。勿体無いではありませんか。」
五郎は勉を降ろしながら、こう教え諭したのだった。
「あの技を会得したわしは、どれだけ多くの人の犠牲の元にあの技を会得したのか、最近良く考えるのだ。仮に私の技を継がせるなら、わしはお前に斬られねばならぬ。別にこの命が惜しいわけではない。そうしてこの技を受け継いだとしても、次は勉が我が子に討たれねばならぬ。そんな血みどろの継承は、わしの代で仕舞としたいのだ。第一、わしが自分の父を斬った時、わしが心を閉ざしてしまったのを救ってくれた『やそ』はもうこの世にいない。その上、わざわざ辛い修行や継承の儀式を経てこの技を会得しなくても、近代兵器さえあれば同様な戦果を得られよう。これからわしの技と同じことが誰でも出来る近代兵器が、次々と生まれよう。さすれば、わしの出来ることなど、大道芸と変わらぬ類の物となるのだ。」
こうして無外流奥義継承の道は、永遠に閉ざされてしまったのである。また息子と戯れた五郎は、自らの幸せを切々と感じ、自分が無残に殺してきた者達にも、親もあれば妻もあり、こんな可愛いい子もあるはずだ、と思われてならなかったのだった。そして、勉には自分のような思いをさせたくない、と思い、こんなことを息子に言って聞かせたのである。それと同時に自分が犠牲にしてきた者達に、何とか贖罪できぬものなのか、思い迷い始めていたのであった。
明治十九年二月十日、藤田は得(とく)能(のう)関(かん)四(し)郎(ろう)らと共に、井上馨(聞(もん)多(た))外相自らの発案で作られた鹿鳴館で、かの人の護衛をしたのである。井上は、かつて伊藤俊輔と共に黙示録の十二使徒を操って永井十訣を窮地に陥れたものであった。しかし維新後、外相にまで登り詰めていたのである。だがその評判はすこぶる悪く、政治的立場を利用したあらゆる悪事に手を染めていたのだった。古来より現在に至るまで続く為政者の不正が大久保利通暗殺よって途切れる機会を、この男が台無しにしたとも言えよう。よって彼の命を狙っていないのは、日本中でその家族と友人だけしかおらず、毎日刺客に狙われていると言っても過言では無かったのだ。実際彼は刺客に何度も襲われて、身体中傷だらけで、それは顔にまで及んでいたのである。実際彼が致命傷を負わなかったのは、奇跡としか言いようが無かったのであった。よって当然、藤田達密偵による護衛が最も必要な人物ではあったのだが、藤田は個人的因縁から彼の護衛をこれまで避け続けてきたのである。周囲もその事情を何となく知っていて同情していたこともあったが、何より虎の子の大事な藤田を、死んでも良い井上に無理に割り振る必要性を感じていなかったのだ。だがこの日は、大事な鹿鳴館での晩餐会と云うこともあって、守るのは井上ばかりではなく大勢いたのでさすがに人手が足りず、真剣の仕込まれた握りステッキを装備して藤田も借り出されていたのである。華やかな舞踏会が始まると、フロックコートに身を包んだ得能と藤田は、まず主に護衛しなければならない井上外相に挨拶をしたのだった。
「そうか、今日は得能君に加えて藤田君も護衛の任に就いてくれるのか。君は会津藩の出身だそうだな。成程、会津武士らしく、やたら強そうだ。こりゃ頼もしい。」
この時藤田は軽く会釈をしながら、この傷のついた顔の男の心をふと読んでしまったのである。
『これは愉快。こいつら会津には散々苦しめられたなあ。それが今ではどうだ。俺の忠実な番犬ではないか。そう言えば今はどうしているのか、会津お預かりの新撰組には、やたら腕の立つ斎藤一とか云う奴がいたな。あいつにも、黙示録の十二使徒をぶつけて、全滅させられたことがあったけ。だがもうこうして外相にまで上り詰め、忍者の頭領まがいのことをしていた頃が夢のようだ。今のわしの栄華はどうだ。今太閤とでも誰か呼んでくくれんかな。わしをこき使っていた大村さんも、大久保さんも、木戸さんももうこの世にはいない。わしの天下と言うわけよ。それにしても政治家は儲かるものよの。こりゃやめられんわい。面倒な国事は総理大臣の俊輔(伊藤博文)に任せ、わしはそんなものにはならずに、ここ鹿鳴館で今宵もうまい酒を飲んで良い女と踊るのだ。うひゃひゃひゃひゃ。どうせ暴漢と云うのも、わしの今の地位を妬んだ貧乏人であろうよ。』
これを読んだ五郎は、読まなければ良かったと後悔したのだった。正直、暴漢どもが来る前に自分が叩き切ってしまいたい、と思ってさえいたのである。
それでも彼らは、油断無く広い会場を見回ったのだった。ダンスが佳境に入り、会場には得能が監視し、藤田は裏手を見回っていた時のことである。突然会場に真剣や木刀を持った壮士達が乱入し、
「井上はどこだ。」
と口々に叫んだのであった。同僚の藤田を呼ぶ間も無く、彼らは井上馨の命を狙ってきたのである。
得能は迷わず壮士達の間に割って入り、手にしていた仕込みステッキで、そのまま賊達の小手をしたたか打ち、凶器を全て落とさせたのであった。
そこへ藤田が駆け付け、落とした凶器を取り上げた上、得能と共に賊共を捕縛したのである。
「いやー、君が来る前に片付いて良かったよ。」
と、得能が犯人確保に安堵したのか、こう藤田に漏らしたのであった。
「は?」
「だって君は強過ぎて、見ていると、悪漢達の方が気の毒になってしまう。そんな気持ちになるのは、職務上御法度だがね。君流に言うと、士道不覚悟ってわけだ。はっはっはっはっはっ。」
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊